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五.ようこそ桃源郷へ - the secret garden -

月が輝き星が瞬き、梟とホーホーが織り成す鳴き声の合唱が、帳に降りた夜に響き渡る。延々続くかと思われた合唱がひっそり幕を下ろす頃、陽が再び上り始めた。

志郎は例によって早く目を覚まし、いつものように先に起床して飯の支度をしている義孝の手伝いをする。義孝に早起きを褒められつつ、日の上りきっていないやや薄暗い中で時間を過ごすのは、志郎にとってなかなか気持ちのよいものであった。

刻んだキャベツに焼きあがった目玉焼きを盛り付ける頃に康夫が起き出し、朝食の時間と相成る。湯気を立てる白米と麦の混ぜ飯を右手に、雌株に淡口醤油を入れて掻き混ぜる志郎の横では、昨日も目にしたような、康夫と義孝による志郎不在の空中戦が展開されていた。

「健治をあのまま放っておいたら、山科のところへ怒鳴り込みかねない」

「止めねばならんのは分かっておる。もう、これより拗れるのは望んでおらんはずだ」

「それは俺も同じだ。だが、健治は違う。どうにかして、仮夜の件とか、狐憑きの件を、表沙汰にしようとしている」

「これ以上、恥を晒してどうするつもりなのか。家を取り崩したいなら、そう言えばええと」

「仮夜は、日和田全体の悪習で、狐憑きは誤解だ。それが家を取り崩すことになると、健治は理解していない」

「家は、もうええんじゃ。これも皆、儂が不甲斐ないばかりに」

竹輪と若布の入った澄まし汁を啜りながら、志郎は二人の会話にはこれといって興味を示さず、この後一緒に遊ぶであろうチエのことばかりを考えていた。今日もまたチエは、いつもと同じ黄色い雨合羽で川へやってくるに違いない。自分はチエと待ち合わせて、日が暮れるまで遊べばよい。難しいことは、考えなくてもよいのだ。

朝飯を食べ終えた志郎は、義孝に頼んで昼飯に握り飯を作ってもらい、昨日と同じ按配で手提げに突っ込んだ。出かける準備を整え、志郎が家から出て行く。康夫と義孝は一昨日にも増して深刻顔で話をするばかりで、正味な話、同じ部屋にいるとこちらまで気が滅入ってきそうだった。

縁側の下で眠りこけていたヒトモシを軽くつついてやると、ヒトモシはひょっこり目を覚ました。朝飯代わりに、冷蔵庫から失敬してきたカップ入りの水羊羹を渡してやる。昨日と同じように目を輝かせ、ヒトモシは一思いに水羊羹を平らげた。こやつの甘味好きはまさに筋金入りである。

傍らにヒトモシを連れ、チエと待ち合わせているいつもの川辺へと向かう。相変わらず蝉がみんみんと喧しく鳴き、耳にしているだけでじりじりと暑さが増してくるような感触がする。だが、これもまた夏の風物詩の一つではないか。蝉の鳴かない夏など、実に味気ない。少なくとも、ここ日和田においてはそうだ。

川が見えてきた。麦藁帽子のつばを少し上げ、志郎が遠方に目をやる。川岸で何かが動いているのが目に留まった。黄色い服を着た子供のようだ。間違いない。この時点で志郎は確信した。今日は相手方の方が一足早かったと見える。別に競争しているわけでもないのだが、どちらが早いか云々を意識するのは、子供の時分にはよくあることだ。

チエの姿が明瞭に見えるところまで歩いて、一旦そこで立ち止まった。チエが何をしているのか、声を掛ける前に見極めておこうと考えたためである。チエは、河原に無数に転がる石をあれこれと選別し、これはと思うものを拾い上げ、てけてけと川縁まで歩いていくと、ひょいと反対側に向けて投げる、ということを繰り返していた。そういうことか。志郎は得心し、チエの元へ駆け寄った。

「おはよう、チエちゃん。水切りの練習?」

「来たかぁ、志郎。んだ。昨日志郎に教えてもらったのを、おら特訓してんだぞぉ」

昨日志郎に見せてもらった「水切り」を、チエは熱心に練習していた。石の選び方、投石の構え方、力の入れ方。志郎は細々としたところまで手本を見せてやり、チエは一つ一つ聞き漏らさずに耳に入れていた。それを、今ここで実践しているというわけである。

チエは得意気な面を見せて、河原から平べったい石を一つ取り上げると、ごく軽く振りかぶって向こう岸へと向けて投げた。石は水平に飛び、やがて自重で川面に着水すると、ぱちゃんと小さな波紋を残して再び跳ね上がり、またも着水しては跳ね上がり……を二度三度と繰り返し、五度目の跳ねで勢いが足らずに入水した。

昨日は力任せにぶん投げて盛大な水飛沫を上げていたことを勘案すると、チエの上達ぶりには目を見張るものがあった。一日練習しただけでここまで様になる水切りをやってのけるのは、並大抵のことではない。志郎はチエの水切りの様子を見て、素直に拍手を送りたいという気持ちになった。

「すごいよ、チエちゃん! 一日でこんなに上達するなんて」

「ははっ、おらも嬉しいぞぉ。石が水ん上をぴょんぴょん跳ねてくのって、気持ちいいなぁ」

「さすがだね。よく練習したよ」

志郎が右手を差し出して、チエの平時と変わらぬおかっぱ髪を撫でてやる。くすぐったそうな表情を見せて、チエがやわやわと小さく身を捩った。照れているのである。難しい顔ばかりしている大人たちに比べて、チエの快さといったらなかった。側にいられることの幸せを、噛み締めずにはおれぬ。

暫くそうしてチエの側に立っておると、足元の小さな影が動いた。ヒトモシである。ごつごつした石が所狭しと居並ぶ河原で難儀そうに一つ一つ石を越えながら、ようやくチエの元まで辿り着く。額(ヒトモシは全身が顔のようなものなので、どこからどこまでが額と問われると答えに窮するが、とりあえず人の目から見て「額のような場所」である)に浮かんだ汗を拭い、チエの顔を見上げた。

「おぉ、火灯かぁ。志郎に甘いもんご馳走になったかえ?」

「(こくこく)」

「そうかそうかぁ。よかったなぁ」

「暗い所を照らしてくれて、すごく頼もしかったよ。ありがとう、ヒトモシ」

志郎から礼を言われて、ヒトモシは満更でもない、と言うべき表情を浮かべた。やはり愛嬌のある物の怪である。

「?」

「あれ? ヒトモシ、どうしたの?」

直後であった。不意に顔を上げ、ヒトモシがキョロキョロと周囲を眺め回し始めた。しきりに何かを探っているようである。志郎はヒトモシの意図を計りかね、とりあえず静観しておく、という対応を取らざるを得なかった。

のだが、すぐに対応を変えざるを得なくなった。ヒトモシは何か目星が付いたのか、川の下流に向けて猛然と走り出したのだ。志郎とチエは顔を見合わせ、爆走を始めたヒトモシの後を追って同じく走り始める。一体何がヒトモシを走らせたというのか。いや、あの一風変わったヒトモシであるから、ある程度説得力のある理由は即座に思いつくのであるが。

ヒトモシの後を追ってゆく。猛然と走り出したと言えど、ヒトモシの足は「出っ張り」かと見紛うほどに小さく短く、歩幅も猫の額か雀の涙かと思えるようなものであったため、チエと志郎が追いかけるのは容易いことであった。川縁にヒトモシが立っているのを認めて、二人が傍へと寄る。

「ヒトモシ、一体何があったの? 急に走り出したりなんかして……」

「志郎、あれじゃあ。あれ見てみぃ」

訳が分からぬといった調子で、チエが指差した方面を志郎が見詰める。志郎の目に飛び込んできたのは、水上で佇む一匹のアメタマであった。足の表面張力で軽々浮いて、時折滑るようにして水の上を颯爽と移動していく。アメンボのようなポケモンである。

それはともかく。チエが指差した先にはアメタマがいた。ヒトモシはアメタマを見つめている。これらは事実だ。問題はそこではなくて、何故ヒトモシはアメタマに熱い視線を向けていたのか、ということである。志郎が首を傾げると、隣にいたチエが答えを口にした。

「知らんのかえ? 雨珠は、頭の先っぽから甘い水飴を出すんだぞぉ」

「水飴……ああ、なるほど。だからヒトモシが走っていったんだね」

アメタマは頭に付いた触手のような突起から、水飴に似た甘い匂いを出す粘り気ある液体を分泌させている。これは別に毒があるとか体に悪いとかいう類のものではなく、本当に水飴のようなものであるとされている。これを使って、獲物となる微生物を呼び寄せたりしているそうな。

既にお判りかと思うが、ヒトモシはアメタマの出す水飴の匂いにつられて、ここまで走ってきたというお話である。物欲しそうにアメタマを見つめるヒトモシの思いとは裏腹に、アメタマはこの場に用がなくなったのか、特に気にせずすいーっと水の上を滑っていき、あっという間に姿を消した。

「ヒトモシったら、本当に甘いものが好きなんだね」

「こいつも食い意地が張っとるなぁ。雨珠がいたなんて、おらにも分かんなかったぞぉ」

アメタマがいなくなって残念そうにしているヒトモシを、志郎が慰めてやるのだった。

 

志郎とチエが川を離れ、昨日と同じように森へと向かう。昨日は大きな川へ出かけたが、今日はさらに奥まで進み、チエの遊び場であるという溜め池まで足を運ぶことと相成った。これが相当に深い池で、辺りには水棲のポケモンが数多く住んでいるという。

「じゃあね、ヒトモシ。また、いつでも遊びに来てね」

「甘いもんばっか食って、虫歯にならねぇようにするんだぞぉ」

森の入り口で、一晩連れ添ったヒトモシと別れた。手を振るヒトモシを背に、チエと志郎が奥へと歩を進める。

今日も日が差して暑い。木々のおかげで彼方此方に影ができ、日に焼ける度合いは幾分ましではあったものの、そこは日本の夏。湿気という忌々しい存在は遺憾ともし難い。噎せ返るような蒸し暑さの中を、二人は切れ切れの木陰を頼りにして歩いてゆく。

「あっついのう。おら暑いのは苦手だぁ」

「それは分かるけど、一つ訊いてもいい?」

「なんじゃあ、志郎。どうしたんかえ?」

額から大粒の汗を零すチエを前にして、志郎がこのような問いかけを行った。

「暑いなら、そのレインコート、着てこないほうがいいと思うけど……」

「『れいんこーと』? まぁた『はいから』なものを言いよってからに。これは『雨合羽』じゃあ」

「雨ガッパなら雨ガッパでいいけど、暑いの、そのせいじゃないかな?」

問い掛けの内容は、まあある意味至極当然のものであった。暑い盛りにも拘らず、チエは黄色いナイロン製のレインコート……チエの言葉を尊重して、雨合羽と言っておこうか。雨合羽を羽織っている。頭巾は付いていないので、おかっぱ頭は風に当たるし、靴を履いておらぬから足も外に出ているが、それら以外の部分は外気に晒されない。

ナイロンは、作りにも拠るが基本的に風を通さぬ。雨合羽のような通気性が求められるものであれば、尚更だ。そのようなものを着ていては、中が蒸して暑くなるのは道理である。それをもって暑い、暑いというチエに、志郎は少なからず疑問を覚えたわけである。

「そりゃあ、そうじゃけど。そうじゃけど、おらはこれを脱ぐわけにはいかんのじゃあ」

「何か、理由があるの?」

「あるともぉ。この雨合羽は、おっ母がおらに着せてくれたんじゃあ」

「お母さんが?」

「んだ。おらが倒れて、おっ母が出て行く段になった時に、おらに『雨に濡れんように』って言い聞かして、これを着させてくれたんだぞぉ」

「昨日の……あの話のときだね」

チエは胸を張って言う。不可思議な力を使ったり、言葉遣いが女子らしくなかったり、その割には綺麗なおかっぱ髪であったり、物の怪と普通に話したりと、いろいろとちぐはぐな所はあるが、チエは基本的に真っ直ぐで無理筋の無い性格である。チエが雨合羽を着ているのには、チエなりにちゃんと理由があった。

この雨合羽は、チエの母親がチエを助ける為に出て行った際に、チエに「雨に濡れないように」と気配って着せてやったものだという。病が進行していたということは、体力も衰えているはずであるから、雨に打たれて風など引くと命に関わりかねない。母親はチエに雨合羽を着せ、雨に打たれても大丈夫なようにしてやった、そういうことである。

病気の最中でも覚えていたのだ。雨合羽を着せてもらったというのは、チエにとってとてつもなく大きな「鍵」となっているに違いない。母親とのツナガリを確認するものと言えば分かりよいだろうか。雨合羽を着るということは、チエが母親の存在を思い返すために欠かせぬことなのだろう。

「そっか。チエちゃんのお母さん、優しい人なんだね」

「おらの自慢のおっ母だぞぉ。志郎にも会わせてやりてぇなぁ」

「ぼくも、一度会ってみたいな。チエちゃんのお母さん」

志郎は母親を知らない。いや、級友たちには普通に母親がいるから、母親というのが如何なるもので、子供たる自分にとってどのような存在であるかは、概念として知っている。だが、志郎には母親と呼べる者はいない。康夫ははぐらかすばかりで答えてくれぬが、多分、既にこの世の人ではないのだろう。

であるから、チエに対して優しかったであろう母親に会ってみたい、そう思った。チエがこれだけ慕っていて、三年も顔を見せぬのに尚もその気持ちが揺るがぬのだから、チエに対しては相当な愛を持って接したはずである。今も帰らぬのには、何がしか理由があるのだろう。そうとしか思えぬ。

「それで、チエちゃんはレイン……じゃなかった。雨合羽を着てるんだね」

「そういうことじゃあ。これ着てっとぉ、おっ母が傍におるような気がするんじゃあ」

「お母さんがくれたものだからね。その気持ち、分かるよ。ぼくの麦藁帽子も、お父さんがくれたものだからね」

「へぇー。その麦わら、志郎のおっ父のものだったんかえ?」

「うん。お父さんが、お母さんからもらったって聞いたよ。お父さんからもらった、大事な宝物なんだ」

「だからかぁ。いっつもその麦わらを被っとるんわ」

「うん。まあ、夏だし単純に外が暑いっていうのもあるけどね」

志郎の麦藁帽子も、チエの雨合羽に劣らず大切なものであったようだ。父から貰ったものであるが、これを選んだのは母であるという。母のいない志郎にとっては、それこそチエの雨合羽のように、母を想起することのできる掛け替えのない代物と言えよう。

とまあ、このような具合で調子よく歩いていたのであるが。

「あっちいなぁ。汗が止まらんぞぉ」

「そういえば……チエちゃん」

「ん? どうしたぁ、志郎」

「そんなに暑いならさ、脱がなくてもいいから、雨合羽の前だけでも開けたらどう?」

という、志郎のごく普通の提案に対して、チエは。

「馬鹿言うでねえ。おらにも『つつしみ』ってもんがあるんだぞぉ」

「……え?」

何やら、想像を絶する回答が帰ってきた。言葉は適当にぼかされているが、チエが何を言いたいのかは、簡単に察しがついた。志郎は若干どぎまぎしつつ、チエに問いかけてみる。

「あ……あのさ、チエちゃん。も、もしかしてその下って、何も着てないの?」

「素っ裸ってわけじゃぁねぇぞぉ。下帯はちゃぁんと締めとるからなぁ。おっ母に習ったんじゃあ」

「いや……いや、ちょっとごめん。とりあえず、脱いだり前開けたりするとよくない、っていうのは分かったよ」

これには聞いていた志郎のほうが赤面してしまった。志郎の言うとおり、雨合羽を取り去るのはいろいろとよろしくなかろう。腰布は巻いているというが、そういう問題ではない。いやはや、やはりチエは破天荒でちぐはぐである。人は見かけによらぬというが、チエはその度合いが凄まじい。いろいろな形で、常識を覆して叩き壊していく。

それでも――それでも、志郎にとってチエは大切な友達であった。チエがちぐはぐであればあるほど、志郎にとってはそれが新鮮な驚きであり、チエという少女をより明瞭に、明確に、明快に形作っていくからだ。ちぐはぐであることは、チエをチエらしくするものである、と言えた。

 

このようにして、色とりどり種々の言葉を交わしあいつつ、二人はチエの遊び場たる池に向けてずんずん進んでいった。累計して小一時間ほど歩き続け、漸く池に辿り着いた。鬱蒼とした森の小径から一気に視界が開け、眼前に水溜まりのような池が現れる。この池が、チエの言っていた「遊び場」であろう。

「チエちゃん、池ってここ?」

「んだ。ここはおらだけの秘密の遊び場だぞぉ」

清水を湛える大きな池が、志郎とチエの前に広がっていた。四方を木々が囲い、辺りに二人を除いた人影は欠片も見えない。池の周囲には大小多彩な蓮の葉が足場のように浮き、桃や紫に色づいた美しい花を開いていた。まるで人の手が入っていないにも拘らず、池は整然と整えられた庭園のような装いであった。

池には多くのポケモン、いや物の怪が集まっていた。蓮華に混じってハスボーやハスブレロが池に潜り、時折ひょっこり顔を出しては周囲を伺う。ハスブレロの頭上にはナゾノクサが乗り、池の水を吸い取りつつ光合成に興じている。その合間を縫って、コアルヒーがすいすいとすり抜けていく。水中からのっそり顔を出したウパーにも慌てず騒がず、適切に進路を買えて移動する。

志郎が池を覗き込んでみると、水面からマッギョがじっとこちらを見つめていた。無表情ながら剽軽な顔つきに、志郎は思わず噴き出してしまった。マッギョの面構えに笑う志郎の隣では、ヤドンが何食わぬ顔つきでもって、尻尾を池に垂らして釣りを楽しんでいた。本人は単純に暑いが為に、尻尾を水の中に浸けているだけなのかも知れぬが。

マリルとニョロモが水の掛け合いをする様を、其々の姉か兄かと思われるマリルリとニョロゾが見つめていた。木陰から楽しげな水遊びの様子をちらちら伺っていたミジュマルとばったり目が合ったマリルがこちらへ来るよう誘うと、内気なミジュマルはおずおずと姿を現し、水掛け遊びに加わるのだった。

炎を操る物の怪も、熱さではなく『暑さ』にはほとほと参っているようだ。木陰では、ヒノアラシとアチャモが背中を合わせてすやすや眠り、ヒトカゲは炎の燃え盛る尻尾の先のみを日向に出し、自分自身は日陰でぐにょりと伸びている。平時と変わらぬのは、元々全身が燃えているマグカルゴくらいのものである。

無論、元気に遊び回るものもいる。一際目立っていたのは、目隠しをしたピカチュウを手をつないで取り囲む、ピチュー・プラスル・マイナン・パチリス・エモンガという、電気袋を持つ物の怪たちの一団だった。ピカチュウを囲んでぐるぐると周り、後ろの正面だあれと問い掛ける。間違うと、お仕置き代わりに背中から電撃が飛んでくるという寸法だ。

此方では、地味ながら熱い戦いが繰り広げられていた。キャタピーとビードルが口から糸を吐き合って絡ませあい、綱引きならぬ糸引きで競り合っていたのである。ぐいぐい引っ張るキャタピーに、ビードルは劣勢を装いつつ冷静に戦況を読み、引っ繰り返す時を伺っている。音もなく激しさもないが、見れば焼けた鉄を叩くような火花が飛び散っているのは明らかなことだ。

皆、例外なく奔放で束縛なく、各々の望むことを思うようにやっている。池の中、池の周囲、水中で、物の怪たちは自由に夏を謳歌していた。平凡で野暮ったい言葉であるが、物の怪たちの楽園というのが、この場所を表現する上で、もっとも適切且つ素直な言葉に思えた。

「志郎、見てみぃ。大物同士の力比べじゃあ」

「うわぁ……すごい! カイロスとヘラクロスだ!」

「がんばれ、がんばれ、負けるでねぇぞ」

物の怪たちの空間に、志郎とチエは迷わず飛び込んでいった。彼らも二人を快く受け容れて、良き遊び相手として付き合ってくれた。

「ありゃあ、すっ転ばされちまったかぁ。よぉし、ならおらが仇討ちしてやるぞぉ。かかってこぉい!」

「ええっ!? チエちゃん、カイロスと力比べするつもりなの?」

「任せとけぇ。おらこう見えても力は大人にも負けねぇぞぉ。岩だってぐいぐい押すんじゃあ」

「それは知ってるけど、相手が悪いような……」

いやはや、これではどちらが腕白坊主か、分かったものではない。この剛毅さもまた、チエらしいと言ってしまえばまさしくその通りであり、否定する必要などどこにもないのであるが。

「てぇい! おら負けねぇぞぉ! そりゃあっ!」

「カイロスと正面から押し合える女の子なんて、絶対チエちゃんしかいないよ」

「こんのぉ、くうぅ、とりゃっ、せいやっ!」

「いいよ、チエちゃん。その調子その調子!」

鍬形虫を思わせる容貌の怪力自慢の物の怪・カイロスと互角に渡り合うチエ。どこからその馬鹿力が出てくるのかはとんと見当も付かぬが、それがチエであるというだけで、やけに強い説得力を帯びてくるのを感じる。顔を真っ赤にして押し合いを続けるチエを、志郎はそのような感想を抱きながら見詰めつづけていた。

結局三分ほど押し合って、僅差でチエが破れてしまった。尻餅を付いて座り込み、汗をたらたら流して呼吸を整えるチエに、志郎は水筒に池の水を汲んで持ってきてやり、頭の上から流し掛けてやった。チエは子犬のように顔をぷるぷる震わせ、水の清涼感に快い表情を見せた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。