「対戦、ありがとうございましたーっ!」
「ありがとうございます!」
ついさっきまで闘志をぶつけ合ってた野球部っぽい男子二人とバトル後の挨拶をしてから、陽介と一緒にフィールドから出ていく。今日はここまでで四戦して四勝。つまりは全勝。連戦連勝って最高に気持ちがいいな、天気がいいのもいい気持ちを加速させてくれる。陽の光を浴びた体が軽くなってくのを感じる。やっぱ夏は晴れてるのに限るな、本心からそう思わずにはいられない。
にっこり笑う陽介がさっと手を上げる。ハイタッチってやつかな。照れくさいけど、陽介とならしてもいいか。ぱしっ、と手が重なり合う。今日も楽しかったね、朗らかな声で言われて、そうだな、って言って頷いた。
「喉渇いちゃったね。どこかで冷たいもの飲もうよ」
「ああ。おカネもだいぶもらったし、ちょっとくらい使ってもいいだろ」
ということで陽介に連れてきてもらったのが、名前だけはテレビとかで聞いて知ってたコーヒーショップ・スターバックスだ。へぇ、中こんな風になってるのか、洒落てるなあ、ペリドットとはまた違う感じがする。雰囲気いいな、都会って感じだ。さて何飲もうかな、ってメニューを見る。
(キャラメルマキアート……? コーヒーフラペチーノ……? シェケラート……?)
なんじゃこれ、なんじゃこれ。横文字の嵐で訳が分からない。あれは飲み物の名前なのか、それとも食べ物なのか、いやもしかするとなんかのオプションなのか? チンプンカンプンもいいとこだ。どうしよう、ここへ連れて来たってことは陽介なら何か知ってるかも。いっそ陽介と同じもの飲めばいいか。昨日のサブウェイもそうだったけど、都会のお店は難易度が高い。うちみたいな田舎育ちには特に。
アイスのキャラメルフラペチーノ! トールで! と元気よく注文する陽介、やばい続かなきゃ、自分も同じで! かしこまりました、なんとかオーダーが通ったみたいだ。ホッと一安心。
「瑠璃さんもフラペチーノなんだ! おそろいだね!」
「あっ、いや、えっと……まあ、うん」
「うれしいなぁ……! 瑠璃さんとおそろいなんて!」
「声がでかいってば」
期せずしておそろいになってしまった。陽介のノリならそりゃ喜ぶだろう。どうしよう、メニュー見ても訳わかんなかったから、なんて言えない。いくらなんでもそれはちょっとダサすぎる。黙ってよう、うん。おまたせいたしましたー、ちょっと間を空けてカップが出て来た。結構でかい、トールサイズってちょっと大き目とかそういう意味だったのか。陽介が二つとも持っていって、空いてる席を探してスッと座る。向かいに腰かける自分。渡されるキャラメルフラペチーノ。
っていうかキャラメルフラペチーノってどんな飲み物でどんな味するんだろ、ヘンな味じゃなきゃいいけど。まあちょっと味見して
「何これうまっ!? こんな飲み物あったの!?」
「いいよね、キャラメルフラペチーノ。キャラメルのほんのりした甘さが好きなんだ」
「都会やべえ、都会半端ない……ペリドットでもこんなの置いてないし」
ヘンな味とかじゃない、めちゃくちゃおいしかった。えっ何、トウキョシティの人たちはこんなの毎日飲んでるわけ? 飲めるわけ? 羨ましい、羨ましすぎる。そりゃムロを出て外へ行きたがる人が多いのも分かるわ、こりゃ。都会に出てきてうちの世間知らずっぷりを痛感することばっかりだったけど、こんな美味しい形で思い知らされるのは大歓迎だ。うまい。
渇いた喉を潤したいのもあってキャラメルフラペチーノを夢中で飲んでたんだけど、半分飲んだかな、ってくらいの時に、すっと横を通り抜けていく人影が見えて。
(――頼子? どうしてこんなトコにあいつが)
頼子、南雲頼子。まさかこんなところで見知った顔を見るとは思ってなかったよ。それもあんまり見たくなかった顔。けど、確か親戚の家がカントーの方にあるとか言ってた気がするな。トウキョシティはカントーに属してる、時期的にも親戚ん家とか行っててもおかしくない。おかしくはない、確かに。
おかしくはないけど、嫌な偶然だとは思う。とても嫌な偶然だとは。
向こうもうちに気付いたみたいだ。振り返ってこっちの顔を見て、一瞬ぎょっとした表情を見せる。でもそれは瞬きするくらい短い時間でしかなくて、それからすぐ暗い顔をして目を逸らしてきた。どうかしたか? お父さんっぽい人が訊ねてる、なんでもないよ、そう答えて奥の席へ消えていく。ここからは見えない遠くの席、これ以上関わり合いになることは無さそうだった。
(あいつ、だったっけ。うちを『影の子』だって言い出したのは)
うちが『影の子』呼ばわりされるようになった原因、それはあいつがうちに「瑠璃ちゃんは『影の子』だ」って言ったから。聞いてた周りの連中が意味も分からずに続くようになって、夏休みになるまでずっと言われまくってた。頼子が言うまでは誰も『影の子』なんて言ってなかったから、言いだしっぺは頼子で間違いない。それまで漠然と持ってた「春原は独りだけ生き残った」「春原の周りのやつはみんな死んだ」っていう名前のない不気味さが、頼子に『影の子』って名前を付けられたことでハッキリした感情になった。あいつが全部の火付け役だって考えるのが、一番自然。
けど、うちは頼子を責められない。あいつがうちを『影の子』と呼ぶのは、なんていうか、自然とすら思ってる。そう言われても何も言い返せない、頼子に起こったことを思えば。
(ダメダメ、気持ち切り替えてこ。もう頼子が絡んでくることなんてないし)
(陽介はうちが『影の子』でもいい、『影の子』のうちが好きだって言ってくれてるんだから)
昨日家に帰ってからよく考えた。陽介の「友達になりたい」ってお願いへの答えを。伝えるんだ、この場で、はっきりと。
「昨日のことだけどさ。友達になりたいって言ってくれたじゃん」
「うん。僕の気持ちは変わらないよ。瑠璃さんと仲良くしたいなって思ってるから」
「その……うちも、陽介と、友達になりたい」
「瑠璃さん……!」
「『影の子』だって言われてるけど、陽介が、それでもいいなら」
今の自分を受け入れてくれる陽介と友達になりたい。あれこれ考えて、強がろうとする自分を黙らせて、本心の本音を絞り出した結果。自分に素直になってみれば、答えは笑っちゃうくらいシンプルで、分かりやすいものだった。
陽介の顔が相方のサニーみたいなことになってるのが見えた、すっごい笑ってる、めちゃくちゃ分かりやすい。
「やったぁ! ありがとう、瑠璃さん!」
「うん、やっぱり陽介ちょっと声がでかい。それに、その、『瑠璃さん』って……聞いてる方が恥ずかしいよ」
「そう? じゃあ、瑠璃ちゃん!」
「わああぁ! ちゃん付けはやめろバカぁ! だったらまださん付けの方がマシ!」
「うん、僕も「瑠璃さん」の方が好き! だって尊敬してるんだ、瑠璃さんのこと! 瑠璃ちゃんだと、尊敬してる感がちょっと伝わりにくいもんね」
うちのどこを尊敬するのかさっぱり分かんないけど、陽介に意味不明なところがあるのは別にいま始まったことでもねーし、ま、いいかなって。いやいいのか? 放置してていいのか? またヘンなところで爆発しそうでちょっと怖い。でも、そういうトコも全部ひっくるめて、陽介といると楽しい気持ちになる。不思議だよな、昨日会ったばっかだっていうのに、ここまで心を許してるなんて。ちょっと前のうちじゃ考えられない。
これでちゃんとした友達になった、ってことで、自己紹介とかでもしようって流れになった。
「瑠璃さんは遠くから来たって言ってたよね。どうしてここへ?」
「もともとムロタウンって小さな島に住んでてさ。そこでいろいろあって『影の子』って言われるようになって、それが嫌で出て来たんだ、うち」
周りの連中から『影の子』呼ばわりされて、海を見るたび居なくなった人たちのことを思いだして。お祖母ちゃんは優しくしてくれたけど、でも居づらさはどうにもならなくて、それで夏休みに入った途端島を飛び出した。周りに知り合いがいなくて、海に囲まれてもなくて、田舎くさくもない場所。トウキョシティを目指したのは、それに全部当てはまってたからだった。
「今年の初めにホウエンで大雨が降っただろ? ムロはそれが特に酷くて、たくさんの人が死んだ」
「知り合いもそう、一番の親友もそう、それから――お父さんと、お母さんも」
「みんな海へ流されてった。うちも例外じゃなくて、同じように巻き込まれて」
「けど、うち一人だけが助かった。無傷で砂浜に打ち上げられてるのを、案件管理局の佐藤って人に見つけられたんだ」
「おかしいよな、友達も親も同じ目に遭って死んだのに、自分だけ生き残ったって」
「だから。だから、みんなから『影の子』って言われるようになったんだ」
出会ったばっかりの陽介に話すには重すぎる内容だって自覚はしてる。けど話さなきゃ、トウキョシティまで来た背景とか理由が陽介にちゃんと伝わらない。陽介なら最後まで話しを聞いてくれるはずって言う安心感もあった。誰かに話したかった、自分だけが生き残ったこと、親も親友も亡くして自分一人だけになったってこと。清姉に話すことも考えたけど、家に置いてくれてるだけでも十分だったのに、これ以上甘えられないって思ったから。だからまだ、話はしてない。
「そっか。そうだったんだね、瑠璃さん」
「なんかごめん、会ったばっかでこんなくそ重たい話して」
「ううん。それは、僕にだったら話しても大丈夫、そう思ってくれたからだよね」
だから僕、ちゃんと聞こうって思ったよ。瑠璃さんの話を、ちゃんと。陽介の言葉が胸に沁みる。
「『影の子』って、僕はすごくカッコいいって思う。今も思ってるよ」
「でも、もし瑠璃さんがそれを好きじゃないなら、僕が太陽に来てもらって、光で照らしてあげたいな」
「光をいっぱい当てれば、影は小さくなってくからね」
ああ、悪いやつじゃない。陽介は悪いやつなんかじゃない。こんなことだったら、もっと早く心をオープンにしてればよかったな。強がりが過ぎるよ、自分。
「瑠璃さんの闇の力を分けてもらって、光の力が通じない邪悪な使徒をやっつけるんだ!」
「いや誰と戦ってるのお前」
ごめんちょっと訂正。悪くないのは間違いないけどやっぱちょっとヘンだこいつ。若干気持ちが後ずさるのを感じる。
「陽介はどの辺りに住んでるの? この近くとか?」
うちがムロに住んでたってことは伝えた。じゃあ、陽介が何処に住んでるかを訊いたっていいはず。どの辺りだろ。ヒグラシの辺りとか? だったら行き来しやすくていいんだけど。
「うん! すぐ近くだよ。北東のポケモンセンターにいることが多いかな」
「……えっ?」
ポケモンセンター。あまりにもしれっと出て来た。しれっと出てくるには強すぎる言葉。ポケモンセンターで暮らしてる? それってどういうことだ? トウキョシティに出て来たばっかのうちがやろうとしてたことをやってるってこと? 家、家は? 家ないの?
「ご、ごめん陽介。もう一回、今なんつった?」
「北東のポケモンセンター。ベッドを貸してもらってるよ。他のセンターにもよく行くけどね」
「おっ、お前、それ……!」
「僕、病気でずっと入院してたんだ。その間に家が売られちゃったみたいで」
「家が、売られて……」
「見て見て、僕のトレーナーカード! 住所の欄に「不定」って書いてるんだ。すっごいレアだよ! 他に同じ風に書いてあるの見たことないからね!」
トレーナーカードに付けられた偽造防止のマークと本人の写真。当たり前の仕組みが、陽介の言葉に一つの嘘もないことを暗に示していた。確かに印字された「住所:不定」の一文が背筋をぞわぞわさせる。こんな感覚初めてだ。この二日間で何度見たか分からない、裏表のない朗らかで無邪気な陽介の笑み。その口で言ってるのは、陽介に突き付けられたあまりにもきつい現実。住所不定、つまりは家がない。寝るとこもないから、ポケモンセンターを転々としてる。
「親は? 親はいないのか?」
「うん。三年くらい前だったかな。少し遠くへ行くって言って、それっきりだよ」
「な……なんでだよ!? その時だって陽介は入院してたんだろ!?」
「そうだよ。僕の病気を治すための方法を探しに行ってくれたんだ」
「それで、そのままどこかへ……」
「どこかで暮らしてるって僕は思ってるよ。それで、いつか会いに行けたらいいな。僕の病気、治ったよって言いに行きたいんだ」
「陽介……」
「お父さんもお母さんもいないのは、ちょっと寂しいかな。でも、僕にはサニーがいてくれてる。僕の大切な友達だよ」
サニーをボールから出して抱いてあげる。サニーがすっと顔を上げると、陽介が「ねー」と目を細めて笑う。
「それに、親がいないのは瑠璃さんも同じ、僕らはおそろいだって分かった。このキャラメルフラペチーノみたいにね」
もう三分の一くらいしか残ってないキャラメルフラペチーノのカップを掲げて、陽介が明るい声で言った。声の調子は朗らかで、ちっとも影ってものを感じない。なのに儚さを帯びていて、目を離すとふっと消えてしまいそうで。うちは瞬き一つできずに、陽介だけを捉え続けている。煌めく星のようにキラキラした瞳の奥にあるものを見ようとして、星の引力に吸い込まれてしまいそうだった。
家がない、親もいない。こんな境遇にもめげずに、陽介はサニーと二人で強く生きてる。うちが知らないだけで、危ない橋だって渡って来たに違いない。今はいい、今はいいかもって思う。けど、いつまでも続くかって言われたら、絶対続かない、どっかで折れたって何もおかしくないとしか思えない。ムロから出てきて一週間で真っ二つに折れたうちみたいに、いつか……いつか陽介だって。
ダメだ、放っといちゃ絶対ダメだ。うちが今抱いてるのは、助けたいとか手を差し伸べたいとか、そんな上から目線のくそ偉そうな気持ちかも知れない、とんだお節介だ。でも、陽介にはうちと同じ目には遭ってほしくない。それだけは間違いない。
「あのさ、陽介。旅してるわけでもないのにポケモンセンターで寝泊まりしててさ、辛かったりしないのか」
「たまにベッドが空いてなくて、座って寝ることがあるのはちょっとつらいね」
「そうだよな。横になれないの、つらいよな」
「やっぱり、家があったらいいなって思うこともあるよ。でも、僕は大丈夫。サニーが僕を支えてくれてるから」
「けど……けどだ、そんなことしてたら陽介、お前いつか倒れちまうぞ」
「もし僕がいなくなっても、朝日はまた昇る。明日だってやってくる。世界はいつも通り回っていくよ」
「ばか。真面目な話してんだぞ、なにカッコつけてんだよ」
本当は分かってる。陽介の言葉は口先だけのモノじゃなくて、マジでそう思ってるから出て来たものなんだ、って。自分がいなくたって明日は来る、世界はいつも通り回っていく。確かにそうだ、うちがいなくなったって同じ。けどそんなの嫌だって思ってるだけ。陽介はうちよりももっと遠くのものを見ていて、それを受け入れて日々笑って過ごしてる。
ホント、訳わかんないやつだ。何から何まで、無茶苦茶なやつだ。
「僕、入院してた時からずっと誰かのお世話になりっぱなしで、役に立ててないなあって思ってるんだ」
「だから、瑠璃さんとバトルして『また組んでもいいよ』って言ってもらえて、すごく嬉しかった」
「僕がいなくなっても、瑠璃さんは強いから、また別の人を見つけられるはずだけどね」
生きてても死んでても変わらない、ちょっと前の自分と同じことを、いつもの笑顔で言ってる。一緒に居なきゃ、側に着いてなきゃ、気が付いたら居なくなってそうだ。
やっぱ放っとけない。そんなの絶対嫌だ。せっかく友達になったんだぞ、トウキョシティに来て初めてできた友達なんだぞ。もうこれ以上誰かを助けられないまま黙って見てるなんてうちは嫌だぞ。
だったら、だったら一か八か、やってみるしかないじゃないか。
「陽介、聞いてくれ」
「瑠璃さん?」
先のことなんてその時考えればいい。今はこの繋いだ手を離したくない、その気持ちしかなかったから。
「一緒に、来てほしい場所があるんだ」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。