「お待たせしましたーっ」
その声と共に、客室へと入ってくる佐祐理さん。俺は即座にその方向を振り向き、佐祐理さんの姿を確認する。すると、そこには……
(……佐祐理さんっ?!)
そこには、この前の学園武闘……じゃなかった。学園舞踏会で見せてくれたあの衣装をまとった佐祐理さんの姿があった。いや、嘘じゃなくてマジで。冗談でもなく本気で。
「さ、佐祐理さん……それ、どーしたんですか?!」
「ふぇ? これ、私服ですけどー」
「……し、私服だったんですか?! なんかこう、式典専用とかそんなのじゃなかったんですか?!」
「あははーっ。違いますよー。佐祐理の服はみんなこんなのですー」
信じられなかった。これが世の中のお嬢様と言うヤツなのだろうか。お嬢様がよく浮世離れしているとは言うけど、ここまでストレートに浮世離れされるとなんだか逆にスカッとさわやかな気分である。さすがは佐祐理さんっ。俺たちには(想像も)出来ないことを平然とやってのけるぅっ! そこにシビれる、あ
「……憧れる……」
「ふぇ……舞、どうしたの?」
「……カリスマ吸血鬼……」
「……………………」
……なぁ、心のセリフを先読みしてぼそっと口に出すの、止めてくれないかなぁ。俺、びっくりするんだけどなぁ……
などと俺が心の中で観鈴ちっくにお願いしていると、
「ほほう。倉田家では日常的にそのような服を着るんだな。いい勉強になった」
横から聞こえてくる声……
「……って、何言ってるんですかっ! 先生っ、先生今その家の長男なんですよっ!」
「ああ、そう言えばそうだったな。すっかり忘れていたよ」
「どうして忘れられるのか純粋に興味があります」
……駄目だ。この人、自分が置かれてる状況分かってないよ……佐祐理さんの弟さんになりきろうとかいう意志、ゼロどころかむしろマイナスだよこの人。あぁ、どうするつもりなんだろ……
「祐一さん? どうしたんですかー?」
「あ、いや……」
俺の不審な様子が目に留まったのか、佐祐理さんがこちらに向かってずんずん歩いてくる。この先に予想される展開は……
……二人の接触。
「……やばい」
「あっ、一弥……!」
佐祐理さんが固まる。まさか、こんなところに自分の弟がいるなんて、思ってもみなかった、ってな感じの表情だ。出会いがあまりに唐突過ぎて、どうすればいいか分からない様子。さて、俺もどうすればいいか何一つ分からない。
「……………………」
そこに遅れてやってくる舞。
「……むぐむぐ……」
……というか、せんべいぐらい全部食ってから出て来いよっ! せんべいを朝寝坊して「うおーっ! 遅刻したぁぁぁっ!」ってな感じの中学生(高校生でも可)が走りながらくわえてるパンみたいな中途半端な状態で置いとくなよっ! 全部食えよっ!
「一弥、こんなところに……」
「ああ。先ほどからずっとここにいさせてもらった。この古風でシックな時計が」
「……って、先生っ! 弟さんはそんな言葉遣いじゃないですよっ」
「ふむ。そうだったか。それでこの古風でシックな時計が目に留まって」
「ぐはあっ」
なんだこの人はっ! 全然なりきろうとかそういう意志ないよっ! むしろ佐祐理さんを混乱のどん底のずんどこに落そうとしてるよっ!
……って、佐祐理さん……!
「あ……あは……あはは……」
「……やべっ……これは……」
ああ、これはもう間違いないな……
「あははははははははははーっ! そーですっ! やはり倉田家のきょーいくほーしんが間違ってたんですっ! 一弥は倉田家のきょーいくほーしんの犠牲者になっちゃったんですーっ! かわいそうな子なんですーっ!」
ごめん。今、どちらかと言うと可哀想な子はむしろ佐祐理さんだと思う。
「あははーっ! つまらないですつまらないですーっ! 倉田家なんてつまらないですーっ! 自滅です自滅です、つまらないなら自滅するですーっ!!!」
むしろあれだ。今はなんていうかこう、佐祐理さんだけがひたすらに自滅しているような気がしないでも無い。どうしよう。
「……祐一、佐祐理を止めて……」
「んなこと言ったってだなぁ……俺もどうすればいいか分からんぞ……」
「ふむ。やや精神錯乱気味だな。後で精神安定剤を処方せねばならぬな」
「えぇ、そうですねってどちらかというと元凶はあなたですよ先生ぇぇぇっ!」
「こらこら。落ち着きたまえ。叫んだところで事態が収拾するわけでは無いぞ、姉上」
「ぁね……ぅぇ?」
一弥(聖先生)の「姉上」という言葉に、物理的に発音できないっぽい声で答える佐祐理さん。そして……
「あ、あ、あ、姉上……か、一弥が……そ、そんな言葉を使うなんて……」
「さ、佐祐理さん? あのですね、これは……」
「こ、こ、こ、こんなことが……や、や、や、やはり倉田家の教育方針が一弥を苦しめていたんですね……」
「あの、実は……」
「……こうなったら佐祐理、腹をくくりますっ。一弥がまた一弥に戻れる日まで、佐祐理、徹底的に闘いますっ!」
「さ、佐祐理さんっ?!」
「こうなったら全面戦争ですっ。宇宙戦争ですっ。佐祐理と倉田家の仁義無き戦いなんですっ。ネバーエンディングストーリーなんですっ。佐祐理、生きずして死すことなしですっ。理想の器満つらざるとも屈せずなんですっ。これ、後悔と共に死すこ」
佐祐理さんの壊れ具合がまさに頂点に達しようとした、その瞬間。
(すびしっ)
舞の……
「しんらっ」
……舞の殺人突っ込みチョップが、佐祐理さんの首筋に深々と食い込んだ。舞は何かをやり遂げたような表情で、手を構えたまままったく動かない。ちなみに、まったく動かなくなっているのは、笑顔のままこの世から旅立たれた佐祐理さんも同様だ。ああ、惜しい人を亡くした……
「……祐一、佐祐理は」
「分かってるわっ」
「……実は、そういうわけなんですよ」
「その通りだ。相沢君の言うとおりだ。私は霧島聖。霧島診療所の女医だ」
「ふぇ……まさか、そんなことがあったなんて……佐祐理、びっくりですー」
気絶した佐祐理さんが目覚めた後、俺と聖先生は今自分たちが置かれた状況をもう洗いざらい徹底的に吐いてしまうことにした。これ以上隠す意味もないし、どちらかというとこの方が佐祐理さんの精神衛生上よろしいという判断が下ったからだ。
「信じられないかも知れませんが、本当の話なんです。一弥君と先生が、入れ替わっちゃったんです」
「そういうことだ。だからきっと、今頃彼は私の診療所にいることだろう」
「はぇー……そうなんですかー。でもなんだか、そう聞くとほっとしましたー」
「……この話を聞いてほっとできる佐祐理さんの精神は……その、ある意味普通じゃないと思います……」
「あははーっ。褒めないでくださいよーっ」
「……佐祐理、褒められて無い……」
佐祐理さんはすっかり元通りになってしまった。弟さんが直接おかしくなったわけじゃないと分かって、安心したのだろう。
「それで、どうすれば元に戻るんですかー?」
「簡単ですよ。一日待てばすっかり元通りです。だから、安心してください」
「これは間違いないぞ。何せ、相沢君の親族の方が同じ目に遭われているのだからな」
「はぇー……祐一さん、そんなことがあったんですねー」
「はい。まぁ、言わなくてもいいかな、と思って言わなかったんですけど……」
大体、あんな非日常的で常識外れの出来事が、まさか二日も続けて起きるとは思ってもみなかった。いい加減、この手の出来事は打ち止めにして欲しいとおもう。
「ところで相沢君、私は本当に明日になれば『霧島聖』に戻れるんだろうな?」
「はい。それは間違いありません」
「ふむ。それなら構わない。実はな、私の診療所に日曜日に必ず来られる患者さんがいるのだよ。であるから、できれば明日にでも元に戻りたいのだが」
「大丈夫ですよ。安心してください」
まぁ、いくら突拍子も無い入れ替えがあったとはいえ、効力を発揮するのは一日の間だけ。そう気にすることでも無いだろう。明日になれば、すべて元通りだ。
「でも……気になりますねー。どうしてこんな不思議なことが起きたんでしょうねー」
「ふむ。それが私にも分からんのだよ。何か原因があるのは間違いないのだが」
「……………………」
どーでもいいけど、普通の男の子(強いて言うならちょっと顔が女の子っぽい)の姿なのに、あの聖先生特有のあの口調……なんか、アンバランスにも程があるぞ。ああでも、なんか一部の層にはウケそうだな。知的少年属性とかそういう方向。そんでもって胸ポケットに入ったカッターナイフ。今にして思うと、なんかこうこれが知的少年の抱える冷徹なイメージと内に秘めた攻撃性、そして「カッターナイフ」という場合によっては「自分をも傷つけることが出来る」モノを持ってる、ってことで、何か新しいキャラクター性を開拓
「……君は何をじろじろ人の胸元を見ているのかね?」
「……はっ!」
「そうだな……もし私が『倉田一弥』ではなく『霧島聖』だったら、君は今頃どうなっているか……それが想像できないほど頭の働きが鈍いわけではなかろう?」
「すみません。俺が悪かったです」
素で謝る俺。そうだぞ俺。もしだ。もしこれが、一弥じゃなくて聖先生本体だったら……
……だったら……
………………
…………
……
「……祐一、『青空』は禁止」
「……悪かったな」
舞が絶妙のタイミングで突っ込みを入れてきたので、俺の飛躍した空想はここでおしまいになってしまった。
「それじゃあ佐祐理さん、後はよろしくお願いします」
俺はそう挨拶して、舞と共に倉田家の門を逆にくぐった。
「あははーっ。任せてくださいねーっ。それじゃあ先生、そろそろお夕飯の時間ですから、一緒に行きましょうー」
「ふむ。倉田家の夕飯をご相伴に預かるのは初めての事だ。楽しみにしているぞ」
……やれやれ。案外あっさり解決したな。佐祐理さん、状況が飲み込めるとあんなに普通でいられるんだよな。実際、もう何の抵抗も無く「先生」と呼んでいる。順応力が高すぎると思った。
「ああ、相沢君。一ついいか?」
「いいですよ。どうしました?」
「もし時間があれば、診療所の方を見て行って欲しい。佳乃がいるから、そう心配することも無いと思うが」
「分かりました。帰りに寄って帰ります」
「そうしてくれるとありがたい」
しかし、先生も順応力高いな……俺がいきなりあんな姿になってたら、大パニックを起こして一日過ごして、気が付いたら元に戻ってましたーとかそんな状態だぞ……伊達に医者はやってない、ってことかな。
「それじゃ舞、帰るか」
「……はちみつくまさん……」
「舞ーっ、祐一さーんっ、今日は本当にありがとうございましたーっ」
「大したことないですよ。それじゃあ、また来週に」
「……さよなら……」
佐祐理さんは、俺たちが佐祐理さんの姿を見ることができなくなるまで、聖先生と一緒に玄関の前に立ち、俺たちを見送ってくれた。
交差点まで来たところで、今度は舞と別れた。
「それじゃ舞、またな」
「……………………」
こくこくと頷く舞。なんだかんだで、要所要所で殺人チョップを使ってもらったから、舞も活躍したといえるだろう。どうでもいいけど、痛みを与えずに気絶だけさせられる舞のチョップはさりげなくすごい。
そして、別々の方向に歩いて行こうとした、その直後だった。
「……祐一……」
「ん? どうした?」
「……佐祐理、元に戻った……」
「ああ。戻ったな。良かったと思うぞ」
「……祐一……」
「……………………?」
「……ありがじゅっぴき……」
「古いわっ」
舞はそう言って、すたすたとその場を立ち去った。なんだったんだ、ありゃ。
(……ま、あれが舞なりの感謝の示し方なのかもな……)
俺はそう思うことにした。
(さて、俺もそろそろ帰るかな。時間的に、そろそろ名雪も学校から引き上げ始める頃だろうし……)
……俺がそんなことを考えていた……
ちょうど、その時だった。
「うぐぅぅぅぅぅぅぅっ! そこの人、どいて~~~っ!」
「こらぁぁぁぁっ! 待てぇぇぇぇっ!」
聞き覚えのある声が二つ、俺の耳に飛び込んできた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。