いつもより倍くらい時間が掛かったような気がした。みんな無言のまま歩いて、電車を乗り継いで、なんとか清姉の家まで戻って来た。うちと陽介が上がったことを確かめてから、清姉がドアロックを全部掛ける。チェーンも含めてだ。よっぽどのことがない限りドアは開けない、そんな意志が伝わってくる。青ざめた顔をする陽介を見ているだけで辛くて、でもうちにできるのは手を繋いであげることくらいしかなくて。自分の心細さを押し隠して、陽介の手をぐっと強く握る。すがってほしい、頼ってほしい、こんな自分でいいなら。陽介にうちの気持ちは届いただろうか、陽介から握り返された手の感触だけが、うちの心を支えている。
戻って来た清姉が小さくため息を吐く。何から話せばいいのか分からないって顔してる、そりゃそうだ。案件管理局の連中が清姉にぶつけてきた情報の量が多すぎるし、中身だってとんでもないもんばっかだ。整理するのに時間がいくらあっても足りないくらい、無茶苦茶な話をしてきやがったんだから。それでも清姉の頭の回転は滅茶苦茶速い、最低限の整頓はできたみたいだ。
「ねえ、二人とも。あの佐藤って人がしてた話、聞こえてた?」
黙って頷く。うちも、陽介も。陽介が辺りを晴れさせていたことを案件管理局が異常なことだって警戒してること、一緒にいるところを見られたうちが延々降り続く雨の原因かも知れないってこと。局はうちらを、うちと陽介を本気で探してる。佐藤のテンションを見てれば、それくらい簡単に分かった。嫌ってほどに。
一段と大きなため息を吐く清姉。晴れにするくらい見逃してくりゃいいのに、そういうわけには行かないみたいね。うちも同じ気持ち、きっと陽介もそうだろう。何が間違ってたんだろう? うちはただ、陽介に自分が凄い力を持っていて、みんなを喜ばせられるんだってことを知ってほしかった。いつまでも雨が降り止まなくて、みんな晴れを欲しがってた。だから晴れにしただけ。うちも陽介も清姉も、何か悪いことしようなんて、ちっとも思ってなかった。セカイのカタチを変えようだとか、そんな大それたことは誰も考えてなかった。
ただ、太陽が欲しかった、晴れた空を見たかった。本当に、それだけだったのに。
「陽介の方は聞き込みとかで突き止めたんでしょうね、きっと」
「トウキョシティのあちこちを晴れにしてたからね、僕たち」
「ええ。で、ハル子の方は……」
「……たぶん、お祖母ちゃんが警察に捜索願を出したのを、局にチクったんだと思う。少しの間、支局で収容されてたことがあるから」
「そんなところでしょうね。ハル子は当然として、あの言い方だと陽介の方も顔が割れてるわ」
「清音さんは……どうなのかな」
「佐藤の様子を見てたら、明らかにウチをマークしてた感じね。きっと、三人組の一人、くらいには認識されてるでしょうね」
まっさか、ムロからこんなところまで追っかけてくるなんて、相当ハル子にご執心ね。清姉の言葉がうちに重くのしかかる。佐藤とうちは顔見知りで、どういう人間なのかってのもよく知ってる。職務に忠実でくそ真面目、見つかれば間違いなく捕まって、それでもう一巻の終わりだろう。
捕まった後はどうなるだろう。うちは確実にムロへ送り返されるに違いない。今の自分は、捜索願の出てる行方不明者だから。陽介の方はムロへ行く理由が何もない、きっとトウキョシティの支局に収容されることになる。そうなったら、もう二度と陽介に会えなくなる。嫌だ、そんなの嫌だ! 絶対に!
「ウチだって二人をおめおめと引き渡す気は毛頭ないわ。次の手を考えなきゃね」
内心清姉だって気が気じゃないはずなのに、うちらを心配させまいと気丈に振る舞ってる。うちもなんとか気を張らないと、そう思ってはみても、湧いてくる不安を抑え込むことはできなくて。
「瑠璃、さん……」
「大丈夫か? 陽介。眠いのか?」
元々だいぶ疲れが溜まってたところへ、案件管理局の連中がずけずけとしゃしゃり出て来やがったせいで、陽介の目が虚ろになってる。ちょっと休ませないとまずい、清姉もすぐ気付いてくれた。和室に行ってさっと布団を敷くと、横になった方がいいわ、と陽介に勧めてくれた。ありがとう、陽介はそれだけ言うと倒れ込むように横になって、すぐに静かな寝息を立て始めた。陽介、大丈夫かな。ただでさえ心がかき乱されてるところに、疲れが取れない様子の陽介。どうすりゃいいんだ、その言葉しか浮かんでこなくて、うちは清姉の側まで駆け寄って。
「……清姉」
ただ名前を言うのが精いっぱいだったうちをぎゅっと抱き寄せて、包み込むように抱きしめてくれた。途端、胸の奥から言葉と感情があふれてくる。清姉に言ったってしょうがないのは分かってる、だけど抑え込んでたらおかしくなっちまう。大切な人を亡くした気持ちが行き場を失くして間違ったコトダマになっちまった頼子みたいに、うちもどうにかなりそうだった。
「あのさ、清姉、聞いてくれ……あの、佐藤が言ってたことなんだけど」
「うん、言ってちょうだい」
「うん。うちが長雨の原因になってるって、どういうことなんだよ……!」
雨を降らせてるのがうちかも知れない。ショックだった、ショックなんて言葉じゃくくれないくらい、頭がどうにかなりそうだった。うちが何をしたっていうんだ、何をしてるっていうんだ。雨なんか降らせてない、雨なんか降ってほしくない! なのに、なんでうちが雨を降らせてるって、あいつらは……。
「全然身に覚えなんかない! 雨なんか降らせてない! こんなくそ雨、すぐにでも止んでほしいくらいだ! うち、そんなこと、そんなこと……!」
「もう、なーに真に受けてんのよ、ハル子らしくないんだから。あいつらが情報不足でテキトーかましてるだけに決まってるっしょ?」
「清姉……」
「あとはそうねぇ、ウチにカマかけてハル子たちのこと訊き出そうってブラフかも知れないし? ま、深く考えたら負けよ負け」
不安で内側から押しつぶされそうな心のうちを、清姉はいつもの調子で元気付けてくれる。本当に、清姉に会えてよかった。今はただ、その気持ちしか浮かんでこない。
「ところで、ハル子。陽介くんからなんか話ってあった?」
「えっ? ううん、特には……」
「そっかぁ。ま、こんな時だもんね。ハル子もちょっと横になったら? ここはウチが完全防備を固めとくからさ」
清姉に勧められて、うちも陽介の隣でそっと横になる。眠る陽介の顔をいくらか見てから、うちもまたそっと瞼を下ろす。
眠りに落ちるまでのわずかな時間、うちは揺れ動く胸の中で、ある事を考えていて。
(もう、ここにはいられない)
それは、これからのこと。
(陽介と一緒に――どこかへ逃げなきゃ)
自分と陽介の、これからの未来のこと。
どのくらい眠っていただろう、重い瞼を開けて体を起こす。
「うぅん……瑠璃、さん」
「ごめん、陽介。起こしちゃったかな」
「大丈夫だよ。寝たおかげでだいぶ楽になったから」
うちが動いたせいかな、隣で寝ていた陽介も目を覚ました。ミナとサニーもボールから出てたみたいだ。近くですやすや眠ってる。部屋が暗い、今は何時だろう? この家には掛け時計がないから、時間を知りたきゃスマホを見るのが早い。寝る前に充電器に挿しておいたスマホを探し出して、いつものようにロックを解除しようとした。
「そこを動かないで 部屋から出ないで」
思わず寒気がする端的なメッセージ、LINQ、清姉からだ。陽介にもすぐに見せた、ハッとした様子の陽介が見える。いつもから想像できないくらいシリアスな顔してる、うちも同じで心がガタガタだ。清姉の姿は見えない、どこかに行ったんだろうか。けど、今はここを動いちゃダメだ。絶対に、絶対に。
うちが震えてるのを察した陽介が、肩にそっと手を置いてくれた。大丈夫、清音さんを信じよう。陽介だって怖いはずなのに、うちを勇気付けようとしてくれてる。ここで折れちゃダメだ、今はじっと息をひそめてなきゃ。少しずつ体の震えが収まっていく。ありがとう、陽介。陽介の手を握り返して応える。だんだん心が落ち着いてきた。清姉が戻ってくるのを待とう。きっと戻ってくるはずだから。
どれくらい時間が経っただろう、玄関の方で音がするのが聞こえた。こっちに向かって誰かが歩いてくる。ドアが開いた、清姉だ。思わず目を見開く。清姉が部屋の明かりを点けた、もう大丈夫、追い払ったから。清姉の言葉で、何が起きていたのか大体察する。陽介と一緒に立ち上がって、清姉の目を見つめる。
「もしかして清姉、ここに来てたのか」
「ええ。ずいぶんしぶとかったけどね、局の連中」
だいぶ怪しまれてる、ここにいるに違いないって感じで、あと一歩で踏み込まれるところだったわ。思ったよりずっと悪い状況になってる、冷や汗が流れた。案件管理局はここに、清姉の家にうちと陽介がいるってアタリを付けてて、なんとしても連れ出そうとしてるって感じだ。清音が機転を利かせて追い返してくれたから、今はどうにかなってる。けど、いつまでも続けられるとは思えない。
清姉が水を飲みにキッチンへ向かったのを見てから、うちが陽介にそっと耳打ちをする。
「陽介。うちと一緒にここを出よう」
「瑠璃さん」
「捕まらないように、二人で逃げるんだ」
「……やっぱり、瑠璃さんも同じ事を考えてたんだね。以心伝心って、こういうことなのかな」
ここを出よう、一緒に逃げよう。うちの提案を受けた陽介は少しも驚いたり戸惑ったりせずに、自分も同じことを考えてた、と打ち明けてくれた。どっちが先に言いだすか、その違いでしかなかったってわけだ。清姉にはたくさんお世話になった、お世話になりっぱなしだった。だけど、こんなことになったらこれ以上迷惑はかけられない。陽介もうちも考えは同じだ。だったら話は早い、やるべきことは一つしかない。清姉にお礼を言って、ここを出ていくだけだ。
一息ついた清姉が戻ってくる。話をするなら今しかない。
「ま、なんとか追い払えたし、どうにかなるっしょ。安心して、二人とも。これからも清音さんがしつこいあいつらをシャットアウト……」
「清姉。聞いてくれ、話がある」
清姉が言葉を詰まらせる。何を言われるのか察してて、あえて言わせまいと「自分があいつらを追い払う」って言ってた感じだ。けど、もう清姉には甘えられない、甘えちゃいけない。一歩前に出て、清姉に決意を告げる。
「うちと陽介、これから清姉の家を出ていくよ」
自分に続いて、陽介も前に出る。
「清音さん、今までありがとう。僕は瑠璃さんと一緒に行くよ。家を出るんだ」
戸惑うような、困ったような、あるいは怯えたような顔。いつも饒舌だった清姉が言葉を失って、目の前にいるうちと陽介を代わる代わる見つめる。でも、その言葉だけが出てきて、それきり止まってしまった。行くところなんてないはず、どうするつもりなのか。清姉はそう言いたかったに違いない。そんなことはうちも陽介も分かってる、清姉が気遣ってくれるのも痛いほど分かる。それでも、もううちと陽介はここにはいられないんだ。
「清姉。清姉には仕事もある、帰らなきゃいけない家もある。そうだろ?」
「僕、忘れないよ。清音さんと一緒にいたこと。毎日がすごく楽しかった。清音さんのおかげだよ」
まだ何か言おうとして、だけど言うべき言葉が見つからなくて。清姉は諦めたように手を顔に当てて、そっと頭を振った。
「ウチも一緒に付き添う、そう言えりゃよかったんだけどさ」
「ハル子、あんたの言う通りよ。この歳にもなると、捨てられないものが増えてきちゃうから」
「それに人数が増えたらそれだけ見つかりやすくなる。背の高いやつが混ざってれば尚更ね」
「見捨てる形にはしたくなかった……けど、ウチはここまでのよう、ね」
そう言って、清姉はうちと陽介をまとめて抱きしめた。瞼に涙が溜まってるのが見える。清姉だって辛いんだ、心がギリギリと締め付けられる思いだった。
足元でミナとサニーがうちらを見上げてる、ここを出ていくってのが分かってる顔だ。不安は感じてる、けど顔つきはとても凛々しい。本当に頼もしい相棒だ、ずっと一緒にいたい。皆の力を合わせればきっと逃げ切れる、うちはそう信じてる。
手早く荷物をまとめた。要らないって思ったものはここに残して、必要なものをちゃんと詰める。ミナとサニーはどっちも一度ボールへ戻ってもらった。清姉からも日持ちのする食べ物とか懐中電灯とかライターとか、使えそうなものをいくつも貰った。うちのカバン、陽介のリュックサック。どっちも普段より荷物が多くなって重みを増してる。けど全部必要なものだ。だからどうってことない。
「ごめんね、二人とも。本当に」
謝る必要なんて少しもないのに、清姉は繰り返しうちらに謝りながら、財布からあるだけのおカネを出してうちと陽介に渡してきた。大した足しにもならないだろうけど、大人としてできるせめてもの餞別だと思って。陽介と一緒に頷いてから、そっとお札を受け取った。
「二人が居てくれて楽しかった。こんな夏は二度とないってくらい」
「だから、いつかもう一回やれたらいいって、ウチ本気で思ってる」
「元気でいて。それだけ、ウチと約束して」
約束する、約束するよ清姉。
いつかまた、こうやって三人一緒に同じ場所に揃って、腹の底から笑い合えるように。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。