降りしきる雨の中を陽介と二人で歩いていく。どこへ行こうか考えて、ひとまず電車に乗って都心に出ることにした。中に籠もるのと外に出るのと、どっちも一長一短、完全な正解なんてありはしない。案件管理局の人間が見回ってそうっていうマイナス面と、人が多いからその分紛れられそうっていうプラス面。うちも陽介もプラスを取った。揃って背丈が高くないってこともあった。散々乗った私鉄に乗って、都内をぐるぐる回ってるサンノテ線を目指す。
清姉がレインコートを渡してくれた、うちにも陽介にも。傘を差してるよりこっちの方が歩きやすいから、清姉の言うことは理に適ってる。最後の最後まで世話を焼いてもらってた。もう清姉はいない、頼れるのは自分と陽介、あとはミナとサニーだけ。陽介とうちは固く手を結んでる、離れないように、離れ離れにならないように。この手を離さない、離せば二度と会えなくなる気がしていたから。
雨の勢いが増してる。風も強くなってきた。電車はまだ普通に動いてたけど、ヒグラシ駅に降りて電光掲示板を見ると都内のあっちこっちに雷だの暴風だの大雨だのの警報を示すアイコンが出てる。やべえことになってるぞ、これ。運行中止だとかダイヤ乱れだとかがそこら中で起きてやがる。陽介が「サンノテ線はまだ動いてるみたい」って教えてくれた。フクロウ駅まで行こう、陽介の提案に賛成する。フクロウ駅は陽介の庭みたいな場所、逃げるなら知ってる場所の方が何かと有利だ。
逃げることでいっぱいいっぱいになってたけど、うちは一つ気掛かりなことがあって。
(くそっ、さっきから頭がズキズキする……なんなんだよ、これ)
清姉の家へ上がる前に襲われたあの頭痛、あれに似た痛みがじわじわと頭ん中で起こってた。まだ前ほどとんでもない痛みじゃない、けど無視はできないくらいの痛さではある。ただでさえ先行き不透明なんだ、これ以上陽介を不安がらせたくない、せめて今は言わないでおこう。そう思って平気な風を装ってるけど、頭痛が止む気配はない。こんな時にめんどくせえ、なんなんだよこの頭の痛みは。雨降ってるからか? 気圧が下がってるとかそういうやつなのか? そういうもんだと思いたい。
頭が痛むたびに――得体の知れない『でかぶつ』のビジョンがチラつく気がしてるのは、ただの幻覚とは思えねえけど。
「みんな家へ帰ろうとしてる。この天気だからね。とんでもないや」
「うん。雨・雷・風・霰……降らせられるもんはなんでも降らせてやるって感じだ」
電車を降りて改札を抜ける。人ごみに紛れて歩いていると、自分たちが目立たないちっぽけな存在に思えて仕方ない。誰もうちと陽介のことなんて気にかけてない。よく「都会は冷たい」みたいな文脈で言われるけど、今はそれがありがたかった。このまま何も目立つところのない、ただの通りすがりの中学生二人って感じですり抜けて、どこか遠くへ行ってしまいたい。
天気はますますおかしくなってきてる。雨は言うまでもなく、風も強まってきて、所かまわず雷も轟いてる。これだけだったらまだいつもの夏でも起こるかもしれない、これだけなら。
「これ……! 見て瑠璃さん、空から雪が……!」
「嘘だろ……マジで雪が降ってやがる……」
周囲を歩く人々が一斉にどよめく。元々例年にない冷夏、寒い夏だったのは認識あったけど、まさか雪まで降って来るなんて誰が想像できるかよ? 夏の雪、字面だけならポエミーな感じだけど、実際に降られてみるとまあたまったもんじゃない。夏で薄着してたってこともあって、肌を突き刺すような寒さが容赦なく襲ってくる。吐く息は真っ白、ビルの看板についてるデジタル温度計は一桁。明らかに夏の天気じゃない。
おわり――何かの「おわり」を暗示するかのような、常識っていうあるべきレールから外れて暴走を続ける、完全にバグった天気だ。
「寒いね、陽介。大丈夫?」
「僕は大丈夫。でも、ちょっと寒いね。こういうときは……」
陽介が腕を組んで身を寄せる。言いたいことはよく分かったし、陽介のぬくもりが感じられてあったかい。
「こうやって、くっついてればあったかいよ」
「……うん」
身体は冷えてるけど、ほっぺたは確かに熱い。たぶん紅くなってる。けど、これでいいんだ。陽介が自分の傍にいて、自分も陽介の側に居られてるって実感できるから。こっぱずかしいけど。こっぱずかしいのは間違いないけど。
歩きながらどこへ行くかを考えて、陽介とも相談して、トウキョシティを何とかして離れようって話になった。思い付いたのが船だ。船でトウキョシティから離れた遠くへ行ってしまえば、案件管理局を振り切れるかもしれない。振り切れなくても時間稼ぎくらいにはなるはず。電車やバスも考えたけど、乗り継ぎのタイミングで見つかったりするリスクがある。その点船に乗ってしまえば、一回で長い距離を移動できる。フクロウ駅からは別の私鉄を乗り継いで船着き場のある駅へ行ける、行き先は決まった。
ただ、その駅はいわゆる「フクロウ駅」のあるでかいビルからかなり離れた場所にあって、それなりに歩く必要がある。オフィス街だってこともあって、中学に上がりたてって感じのうちと陽介が連れ立って歩いてるのはちょっと浮いてる。できるだけ早く駅へ移動したい、外に長居してればしてるほど案件管理局のやつらに見つかるリスクが上がっちまう。陽介の手を引いて、時には陽介に手を引いてもらって、揃って先を急ぐ。
「君たち! どこへ行くんだ?」
悪い予感ってのは当たるもんだ。そうなる可能性が高いから悪い予感を覚える、ってどっかで聞いた気がするから。案件管理局のバッジを付けた局員二人が、うちと陽介を呼び止めて来た。この状況は良くない、陽介もうちも顔をこわばらせる。ただ、向こうはうちらの顔を知らないみたいだ。佐藤が追っかけてるってことも知らないはず、なんとか切り抜けないと。
「ここは危険だよ。早く家へ帰りなさい」
「あの、今から帰るところです」
「向こうへ行くのか?」
「えっと、僕ら向こうに家があって、それで」
うちらが行こうとしていた方向にはオフィスビルが延々と続いてて、家があるって感じの場所じゃない。その辺りはしっかり見てやがる、めんどくせえ連中だ。くそっ、頭も痛いし、空気が冷たくなって寒さもきつくなってきてる。こんなところで立ち止まってちゃ埒が明かないってのに。
なんとかごまかそうとしたけど、却っておかしいと思われたっぽい。局員二人で何か話してて、それからこっちへ向き直って来た。
「この酷い天気だ。家まで遠いようだし、この近くの支局へ移動した方がいい」
やばい、連れて行かれる。うちと陽介が思わず目を合わせる。手を繋いでると走るに走れない、繋いでた手を離して、全力で駆け出した。
「あっ、待ちなさい! どこへ行くんだ!」
全力で走って振り切ろうとしたけれど、向こうがすぐに気付いてこっちに向かってきた。体格差ってやつは本当にどうしようもない、ムカつくけどムカついたってどうしようもなくて、だから余計に腹が立つ。やり場のない怒りってやつだ。すぐに追いつかれて、右手をがしっと掴まれた。
「こんのぉ! 離せぇっ! やめろっつってんだろ!」
「待てと言っているんだ、さあ!」
暴れたところでどうにもならない。逃げようったって力の差がありすぎる。捕まっちまったら終わりだって分かってたのに、こんなにあっさり捕まるなんて。ちくしょう、どうにもならねえのか! うちも陽介も、ただ一緒にいたいだけだってのに! ダメだ、このままじゃ陽介も捕まっちまう、出遅れて走らなかったからまだ取り押さえられてないけど、そんなの時間の問題だ。うちはもうどうにもならない、せめて、せめて陽介だけでも!
「陽介逃げろ! 逃げるんだ!」
うちが叫ぶ。けれど陽介はその場から一歩も動かない。どうしてだ陽介、どっちも捕まっちまったらおしまいなんだぞ! さらに叫ぼうとしたところで、陽介の様子が変わる。両手を固く合わせたかと思うと、ギュッと両眼を閉じて。
「大地よ! 僕に、力を貸して!!」
刹那、陽介の身体に、赤い紅いラインが幾つも走った――ように見えた。
次の瞬間だった。ぐらり、と地面が揺れた。立っていられないほどの大きな縦揺れだ、うちの手を掴んでいた局員が思わず手を離した。けどうちも動こうにも動けなくて、かろうじて近くの街灯に掴まる。それでも立っていられずに尻餅をついた。なんだこれ、なんで急に地震なんて起きたんだ、意味分かんねえぞ! うちが陽介の方を見ようとした、その時だった。
車が全速力で正面衝突したときよりも馬鹿でかい音を響かせながら、コンクリートで舗装された地面が、さながら「剣」のように天に向かってせり上がるのが見えた。それもひとつやふたつじゃない、いくつもの「剣」が地面から隆起して、近くの建物だとか車だとかを次々に貫いていく。地面が割れてる、滅茶苦茶になってる! あっちこっちから悲鳴が聞こえてきてる、わーだとかキャーだとかのシャレにならないマジもんの悲鳴だ。これ、一体どういうことなんだ。何が起きてんだ、何があったんだ。
「瑠璃さん!」
「陽介!」
大揺れの中で、陽介がうちの側まで来てくれた。急いで陽介の手を繋ごうとした、けれども。
「うわぁっ!」
「わっ!?」
すぐ近くに「剣」が生じたショックで、うちも陽介も吹っ飛ばされた。思いっきり地面に背中を打ち付ける、いってぇ。そのすぐ後、バッグの中で何かがもぞもぞ蠢くのを感じた。なんだなんだ、すぐにチャックを開けてみる。
「うきゅ!」
「ミナ!? 一体どうして……あぁっ!」
バッグを下敷きにして転んだのがまずかったみたいだ、モンスターボールが完全にぶっ壊れてる。安全装置が働いたおかげでミナは無傷で外へ出られたけど、これじゃもう使い物にならない。ともかくミナが無事でよかった。地面がまだ揺れててミナが怖がってる、こっちへおいで、うちのところまで来てもらって、これ以上遠くへ行かないように抱いてあげる。これで大丈夫そうだ。
陽介の方を見ると、向こうも同じようにサニーが外に飛び出てきてる。カバンから壊れたモンスターボールが転がり落ちてるのが見えた。不幸ってのは重なるもんなんだな、そんな風にしか考えられなかった。サニーの方も無事みたいだ。陽介に抱き着いて、地震と地割れが収まるのを待ってる。うちも一刻も早く収まってほしい、何が何だか訳が分からない。
一分くらい地面が大暴れしたあと、ようやく「剣」が姿を見せることが無くなった。けど辺りは酷い有様だ、目につくものみんなが滅茶苦茶になってやがる。
「これは……! なんてことだ! 事案発生! 事案発生!!」
さっきまでうちを捕まえてた局員が血相を変えて走っていく。酷いパニックだ、みんな逃げ惑ってる。ざっと見た限り怪我をした人とかはいなさそうだけど、馬鹿でかい地震が起きた上に地面が「剣」みたいに突き上がるっていう尋常じゃない出来事が起きて、収拾がつかなくなってる。二人の局員が無線で応援を要請しながら、逃げ惑う人たちをなんとか落ち着かせようとしてる。うちらのことは完全に眼中になくなってる。
地震は収まったけど、まだ足ががくがくしてる。近くに来ていた陽介に助けられてどうにか立ち上がった。
「瑠璃さん、大丈夫?」
「うん、なんとか。けど……モンスターボールが」
「僕もだ。ボールはもう使えないけど、ミナもサニーも無事でよかった」
「こっからは、抱いて連れて行くしかないな」
局員からも目を付けられてない、どさくさに紛れて逃げるなら今のうちだ。陽介ともう一度手を取り合って、混乱の渦中にある人ごみをそ知らぬ顔で抜け出す。
後ろから誰も付いてきていないことを、何度となく確かめながら。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。