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#21 『怪物』と『そらのはしら』

朦朧としていた意識が、少しずつ、少しずつ元の明瞭さを取り戻していく。ざらついていた視覚が均されていく、ざわついていた聴覚が収まっていく。ここはどこだ、うちは今どうなってるんだ。ままならない思考を必死にまとめながら、今この瞬間、見えているもの、聞こえているものを捉えようとする。目の前に大きな影が見える。鳴き声とも轟音とも付かない音が聞こえている。なんだ、あれは。なんだ、あいつは。

影が形を成していく。曖昧な外郭に霧のような何かが寄り集まって、具体的なカタチができていく。見覚えのあるシルエットだ、何度忘れようと思っても忘れられない、忘れられるはずなんてない『アイツ』の姿だ。

(カイオーガ……いや、違う! それを模した『何か』だ、うちを無茶苦茶にした『あいつだ』!)

閉じかけていた瞼が一気に見開かれた。紛れもない『あいつ』だ、どうしてこんなところにいやがるんだ。何が何だかさっぱり分からねえ、けど、うちの目の前に『あいつ』がいやがるのは間違いない。間違いないんだ。

目の前にいる『あいつ』は……カイオーガのカタチをしている、だけどカイオーガそのものとは違う。カタチだけを似せた全然別の何かだ。忘れもしない、自分の中に入って大事なものを引っ掴んでた『怪物』だ。海に呑まれた時に対面したのと完全に同じ、あの時の『怪物』そのものだ!

急に視界がクリアになった。周りの物が普段以上によく見える。ここは――空だ、空の上にいる。下を、地上の方を見ると、そこには見覚えのある風景が広がっていた。トウキョシティ、トウキョシティだ! あの『怪物』はトウキョシティの上空に居座ってやがる! うちはすべてを察した。こいつが今ここでしていることも、こいつがなぜここにいるのかも、全部一本の線で繋がった。

(止まない雨を降らせてたのは……こいつだ! こいつが原因だったんだ!)

カイオーガが無理矢理引き出された力は、ホウエン全土にとてつもない大雨を降らせた。その力の残滓がトウキョシティの上空まで辿り着いて、今こうやってバカみたいに雨を降らせ続けてる。あの時の雨と同じ感じがしたのも道理だ、同じやつが同じ雨を降らせてたんだから! 残滓になっても力は膨大なままで、いつまでも止むことのないくそみたいな雨を延々降らせ続けてる、今もずっと! ホウエンの時のみたいに、トウキョシティまで滅茶苦茶にするような最悪の雨を!

こいつがトウキョシティに留まってるのも分かった。うちがいるからだ。うちの中に残した自分の一部に反応して、動かずにずっと居座ってるんだ。雷が避雷針に落ちるみたいに、こいつもうちの上へ落ち続けてる。佐藤が言ってたことはある程度正しかった。うちが雨を降らせてるわけじゃない、だけど雨が降り続く原因にはなってる。ちくしょうが、このくそ野郎が! 迷惑なことばっかしやがって!

この『怪物』には実態ってものがない。見えるけど掴みどころがない、それこそ雨雲みたいに。肉体を、依代を失って、力だけの存在に成り果ててる。うちに反応して、意味も分からずに無意味な雨を降らせ続けてる。もう自分が何をしてるのかも分からない、そもそも「自分」なんてものをカケラも持たない、意識も感情もないただの現象、どうしようもない災害に過ぎない。

(中に……うちがいる)

行き場を失って彷徨する『怪物』、その中に丸くなって俯くうちが囚われているのが見える。この『怪物』がうちの中に何かを残す時に、代わりと言わんばかりに奪っていったうちの一部、うちの大切なものだ。こいつがうちを中に閉じ込めていて、うちがあいつの一部を持っている限り、この雨は止まない。閉じ込められたうちを解き放たない限り、トウキョシティに降る雨は止まないんだ。

不意にぐらりと視界が揺れた。空から地面めがけてすとんと落ちていく、どんどん落ちていく。瞬く間に高度が下がって行って、気が付くと地上に降り立っていた。何もない完全に平面な、まっ平らな空間にいる。いたのは自分だけ? 違う、そうじゃない。うちともう一人、もう一人誰かがここにいた。

(陽介……!)

雨降りの空を見上げている陽介がいた、悲しそうな顔をしている陽介がいた。うちのことにはまったく気づかなくて、空ばかりを見つめ続けている。声を上げて呼び掛けようとする、けれど声が出ない。身振り手振りで存在を報せようとする、でも体は動かない。うちはここにいるのに、陽介に気付いてもらえないことがとても悲しくて、これ以上ないってくらい悲しくて、すぐにでもワッとたくさんの涙が出てきそうなのに、今の自分は泣くことさえできない。ただ見聞きすることしかできない、空っぽの存在だ。

陽介は何をしようとしているんだろう。うちが必死にその姿を追う。空を見つめてる? 雨の止まない空を、悲しそうな顔で? それって……まさか! 陽介やめろ! やめるんだ! ダメだ、絶対ダメだ! 喉から血が出そうなくらいに叫んでも声はカタチにならなくて、陽介にはわずかな声さえもとどかない。このままじゃ陽介は、陽介は……空を晴れにするために、力を使っちゃう!

掌を重ね合わせるのが見えた。何度も見た、陽介が力を使う時の構え。ダメだ! やめろ! やめてくれ! うちの叫びは届かない、声は決して音にならない、陽介は今ここにうちがいることにさえ気が付かない。陽介から光があふれ出す、目を開けていられないほどの眩しさ、並ぶもののないほどの煌めく光。放出された光が何かの形を成して、ひとところに向かって収束していく。

――柱。光は空に向かって伸びる柱、『そらのはしら』になって、上空を覆うカタチのない雲、あの『怪物』目掛けて貫かんばかりに伸びていく。

柱の中心に取り込まれた陽介は、伸びる柱と歩調を合わせて空へと昇っていく。待って! 行かないで! 追いかけようとしても体は動かないままで、陽介はどんどん離れていってしまう。うちの必死の呼びかけは空気を揺らすことさえできず、陽介は空へと吸い込まれていく。

自分に迫る脅威に反応した『怪物』が、自らの一部を切り離して『そらのさかな』を無数に生み出して陽介を襲わせる。『そらのさかな』に取り囲まれる陽介、けれど陽介を封じ込めた『そらのはしら』が攻撃を阻む。『そらのはしら』に守られながら、陽介はどんどん天へ昇って行って、もう姿を追うことさえ困難になる。

行かないで、行かないで……行かないで、陽介!

「……陽介ぇえぇええええぇーっ!!」

ずっと出せなかった声が全部の壁を突き破って飛び出した最後の瞬間――雨が止み、『怪物』が『そらのはしら』に貫かれて。

どちらもその動きを止めるのが、見えた気がした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。