レックウザは高度をどんどん上げていく。けれど息苦しさも熱さも寒さも何も感じない。ただ高く、高く昇って行っているという感覚があるだけ。ミナとサニーも同じだ。強いまなざしで天を睨みつけて、大切な人を奪ったあの怪物と、大切な人を封じ込めた『そらのはしら』への敵意と殺意を漲らせている。自分の目を自分で見ることはできないけど、きっとうちも同じか、それ以上のぎらついた目をしているに違いない。
雲の中へ入る。あの怪物が集めた雲だ。雨が降ろうとするのを、陽介が作り出した『そらのはしら』が抑え込んでいる。とても不安定な状態だった。今の地上は晴れている、けれどそれは普通の「晴れ」じゃない。陽介がグラードンの力を使って作り出した「特異な晴れ」に過ぎない。特異な雨天を特異な晴天で無理矢理上書きした、そう言うべき状態だった。いつまでも続くとはとても思えない。いつか『そらのはしら』が耐えきれずにぶっ壊れて、破滅的な豪雨がトウキョシティを襲うだろう。そうなれば、ムロの時とは比べ物にならないくらいの惨事になる。
させるか、そんなバカげたことを!
雲を突き破ってレックウザが飛び出した。もう「空」を越えて、自分たちが「宇宙」に近い場所にいることを実感する。それでも普通に息ができてる、苦しいことは一つもない。太陽がとても近い場所にある、すぐ近くに太陽を感じられる、空の果て、空の終わり。
ふと、ポケットの中に強い熱を感じた。なんだろう、そっと手を突っ込んでみる。取り出してみたそれには、見覚えがあった。
「これは……『たいようのいし』」
どこで手に入れたものだろう。その答えはすぐに思い出せた。うちが路地裏で倒れたあの日、全身の痛みと寒さで動けなくなっていたうちに、誰かが渡してくれたものだ。さっきビルに突っ込んですっ転んだ時、カバンに入れてたそれがたまたまポケットへ入り込んだに違いなかった。
あれを渡してくれたのは誰だったんだろう。なぜか今、そんなことを考えていて。
「はいこれ、持ってると元気になれるよ。あげるね」
「今日は寒いけど、これがあればもう大丈夫。病院には行きたくないもんね」
その答えは、すぐに導き出された。
(……陽介。陽介だったんだな)
(この石をうちにくれたのは、寒さに震えてたうちを助けてくれたのは)
どうして今の今まで気付かなかったんだろう、なぜ思い至らなかったんだろう。あの時うちにこの『たいようのいし』をくれたのは、陽介だったんだ。うちは陽介に助けられてた、自分が意識するよりもずっと前から、陽介はうちを助けてくれてたんだ。
バトルに助太刀してくれて、頼子と仲直りさせてくれて、もがき苦しむうちを救うために『そらのはしら』になって……そしてその全部よりもっと前に、陽介はうちに温かい『たいようのいし』をくれた。今ここにうちがいるのは、全部陽介のおかげなんだ。陽介がいたから、陽介がうちに手を差し伸べてくれたから、だからこうして今うちは、陽介を助けに行くことができてるんだ!
「……ミナ。これ、陽介がくれたものだよ。陽介がうちにくれたんだ」
「うきゅう……!」
「使おう、ミナ。陽介を助けるために、あの化物を滅ぼすために……!」
ミナはエリキテルだ。エリキテルが進化するためには、ただ戦いの経験を積み重ねるだけじゃダメだ。外から力を与えなきゃいけない、とても強い力を。その力をもたらすのは、他でもない――この『たいようのいし』だ。ミナは大きく頷いて、進化することを受け入れてくれた。強く望んでいるのが分かる。うちにもためらいはない。輝く石を握りしめて、ミナへと向けた。
太陽に近づいて強い輝きを放つ『たいようのいし』を、穏やかで強いまなざしを向けるミナへかざす。『たいようのいし』から光が放たれて、ミナの全身を包み込む。柔らかな光の中で、小さかったミナの身体がだんだんと大きくなっていくのが見える。四本の足で立っていたのが二本の足で力強く立てるようになって、短かった尻尾が長く伸びていく。そして、首筋には太陽を思わせる立派な襟が生えてきて。
「きゅおおぉっ!」
「ミナ……! おめでとう、ミナ!」
エリキテルだったミナが――エレザードへと進化を遂げた。太陽に一番近い場所で、『たいようのいし』の力をもらって、ミナは、立派なエレザードへと進化したんだ。うちが進化したミナを抱きしめる、大きくなったミナがうちを抱き返してくれた。隣でサニーも喜んでる、祝福してくれている。そう言えば、キマワリも『たいようのいし』で進化するポケモンだって聞いた。こんなところまで、うちと陽介は『おそろい』ってわけだ。
エレザードのミナ、キマワリのサニー。太陽の近くで力を漲らせたうちらには、冷静に「空の上」から「空」のありさまを見る余裕さえある。
「あいつが……『怪物』か!」
光り輝く『そらのはしら』に穿たれた霧状のカタマリ。かろうじてカイオーガのようなシルエットを残すそれは、うちが夢に見た『怪物』そのものだった。全身を貫かれてもがき苦しみながら、その力は決して衰えることなく、今なお雨を降らせようとしている。性懲りもないクズ野郎とはまさしくこのことだ。もうあいつを怖いだなんて思う気持ちは欠片もない、今すぐぶっ殺して完全に消し去ってやる!
(陽介、力を貸してくれ)
拾い上げてポケットへ入れていた紅の指輪。同じようにして外した蒼の指輪と一緒に重ねて、右手の薬指へはめる。手に、拳に、強い力が宿るのを感じた。陽介の思いも全部ひっくるめて、あいつに叩き込んでやる!
レックウザが下界を望む。ここから一気に急降下するつもりだ。ああ、やってくれ。うちが静かに頷く。
「グォオオオォォォオオォオッ!!」
レックウザの全身が輝いて、そのフォルムを変えていく。話だけは聞いたことのある、進化の果てに辿り着いたポケモンが遂げる更なる進化――『メガシンカ』。レックウザは体内に溜めこんだ力溢れる隕石や彗星の破片を鍵として、その身を変貌させることができる。これも伝承として伝えられていたこと。
「『ガリョウテンセイ』!」
刹那、レックウザが急降下を開始した。上昇したときよりもさらに速いスピードで、空を我が物顔で漂う怪物へとアプローチする、怪物へと近づいていく。
「いたぞ! あいつだッ!!」
捉えた、うちの視界に。空を蠢く胸糞悪い怪物の姿が、そこにあった。
どうやら向こうもうちらの存在に気付いたらしい。気付いた、いや、違うな。ただ反応したってだけだ。身体の一部を切り離して『そらのさかな』を生み出してくる。ケイコウオみたいな何か、ヨワシのような何か、テッポウオのような何か、ギャラドスのような何か、ミロカロスのような何か……意志を持たないそれらが一斉に押し寄せてくる、そんなんでうちらを止められると思ってんのか! こんのクソ野郎が!
「ミナ! サニー! 『パラボラチャージ』っ! 『はっぱカッター』!」
殺到する『そらのさかな』たちを、ミナの繰り出す電撃が、サニーの作り出す葉の刃が、次々に消し去っていく。鎧袖一触ってのはこのことだ。もうそんなことで立ち止まるうちらじゃない、目指すのはてめえだ! 怪物野郎!
曖昧にカタチが変わり続けて、それでもなおカイオーガであろうとしている、カイオーガの姿かたちに縋ろうとしているクソ哀れな怪物を眼下に捉える。
「聞こえてるか! このクズ野郎が!」
「うちはなぁ! てめえをぶっ殺しに来たただのニンゲンだ!」
「お前はここで死ぬ! ここで終わりにしてやる!!」
ミナとサニーが構えた。エネルギーが溜まりきるのを感じて、うちがおもむろに怪物を指さす。
「きゅああぁっ!」
「きゅうぅうっ!」
強烈な、並ぶもののない強い光が迸る。ミナの『はかいこうせん』、サニーの『ソーラービーム』。二つの光線が交わり合って、螺旋を描きながら、霧状の怪物の身体を思いきりぶち抜いた。鉄がひん曲がる時のような声とは思えない声を上げて、怪物が苦悶する。苦しいや痛いって概念も失われたあいつにとってみれば、これもまたただの「反応」に過ぎない、うちにはそれが分かっている。
だからこそ、容赦も情けも一切合財、全部まとめて捨てられるってことだ!
「うおりゃぁああぁっ!!」
レックウザから飛び降りる。ミナとサニーがぶち開けてくれた風穴、その向こうに見える微かな光を目指して、うちが空の上から空に向かって降りていく。落ちていくその先に、怪物の中心で光る――小さなうちの姿が見えた。
怪物に向かって、うちはまっすぐに突っ込んでいく。まっすぐに、ただまっすぐに。
「てめえはうちからいくつも大事なものを奪っていきやがった! いくつも、いくつもだ!」
「だからなあ! 今度はうちがてめえから大事なもんを奪い取る番だ! うちから奪ってったもん、全部返してもらうぜ!!」
「奪っていいのは奪われる覚悟のできてるやつだけだ! てめえだってそれくらいの覚悟はあるだろ!!」
「今さら後悔したって遅いからな! うちはもう、てめえをぶっ殺すことしか頭ん中にねえんだ!」
右手に力を込める。全身全霊、うちの持てる何もかもありったけのすべてをかけた一撃を、あの怪物にお見舞いするために。
「いいか! うちらはてめえのコマじゃねえ! 意志も感情もある、一人のニンゲンだぁ!」
「支配してるつもりだったセカイのちっぽけなニンゲンに、てめえはぶっ殺されるんだ!」
「今のてめえは、ただ下手くそな真似事しかできない、カミサマのなりそこないなんだ!!」
「てめえは『ヌケガラ』だ! 大事なものを全部失くして、ただ外面だけが残ってる『ヌケガラ』なんだよ!!」
お父さん、お母さん、清姉、頼子、珊瑚、佐藤――陽介。みんな、うちに力を貸してくれ。うちに、力を与えてくれ。
この一撃で、すべてを決めるために。
「こんのぉ!! ヌケガラ野郎がぁああああああぁーーーーッ!!」
右手の拳が、怪物の中心にあった『藍色の珠』を捉えて。
うちの込めたあらゆる力、そのすべてを伝えて――こっぱみじんに、粉々に、跡形もなく、粉砕した。
「オオォォォオオオオォォオオォォォォォォ――」
中央で蠢いていた『藍色の珠』。そこに閉じ込められていたうちの一部が、拳を通してうちの中へ宿るのを感じる。その返礼に、この怪物からうちにもたらされたカケラが吐き出されて、もろともに砕かれるビジョンが見えた。
(おかえり、自分)
長い間抱えていた虚無が、空虚さが。すっと、あるべきもので埋まるのを感じた。
カタチを成していた雲が、霧が、結ぶものを失って霧散していく。怪物が断末魔の声を上げて消えていく。カタチを保てなくなったそれは、空へと昇って消えていく。怪物は死んだ。トウキョシティに止まない雨を降らせ続けていた、かつて海原の神と呼ばれたカイオーガだったものの成れの果ては、その存在の痕跡一つ残さずに、この世界から完全に消滅していく。
けれど、うちは立ち止まらない。もう一つ、ぶっ壊さなきゃいけないものがあったから。
「陽介ぇえぇぇぇぇぇっ!!」
陽介を閉じ込めている『そらのはしら』。これをぶっ壊さなきゃ、陽介は帰ってこない。
ぶっ壊せるのは――うちしかいない!
「はぁぁあぁああぁあっ!!」
怪物をぶっ殺した勢いのまま『そらのはしら』を思いきりぶん殴る。カタチの無いものだって、捉えられない光だって、陽介のことだけを想う今の自分なら、叩き壊して消し去ることができる。
陽介、陽介、陽介――!
ガラスの割れるような音が響き渡った。柱の中に囚われていた陽介が、破片の中から姿を現す。落ちていく、陽介が落ちていく。ダメだ、捕まえないと! 前へ進む力を得て、陽介に必死で追い付く。あと一歩、あと少し、あともう一歩……! 腕が引きちぎれるほど伸ばして、微かに上へ伸びた陽介の手を取ろうとする。もうあと少し、あとちょっと、あとちょっと!
「陽介ぇっ!」
取った! 陽介の手! こっちに引き寄せる、陽介を、自分の元へ。両腕で抱きしめる、陽介のぬくもりを感じたくて、陽介にぬくもりを与えたくて。
「陽介、陽介っ……!」
何度もその名前を呼ぶ。どうか伝わってほしいと、その一心で。目を覚まして、陽介。うちらの戦いは、もう終わったんだ。
「陽介!!」
「瑠璃……さん?」
目が開いた! 陽介の目が開いた! 陽介は生きてる、生きてるんだ!
「陽介ぇ……」
「瑠璃さん、大丈夫? もう、頭痛くない?」
「うん、もう大丈夫……! 陽介が助けてくれたから、うち……!」
「そっか……うん、よかった。瑠璃さんが笑ってくれて、僕、うれしいな」
大変な目に遭ったはずなのに、陽介の口から出て来た最初の言葉は「頭痛くない?」だった。ずっと、うちのことを心配してくれてたんだ。どれだけ優しいんだ、陽介。どれだけうちのことを想ってくれてたんだ、陽介。
だから、うちは……陽介のことが、好きなんだ。
「『そらのはしら』の上で、瑠璃さんを見ていたんだ」
「怪物の中にいて、ずっと泣いている瑠璃さんを」
「僕はその涙を拭ってあげたかった、でも、手を伸ばすこともできなくて」
「瑠璃さんが泣いてるのに、僕は何もできない。とても悲しかった」
大丈夫だよ、陽介。今はもう泣いてない、悲しい涙は流してない。今溢れてる涙は、陽介ともう一度会えた、喜びの涙だから。
陽介と手を取り合う。右手と右手、左手と左手。地上に向かってゆっくりと降りていく。空の下の世界、自分たちの住む世界へ。
「ありがとう、瑠璃さん。僕を助けに来てくれて」
「助かってよかった、本当によかった。陽介は……ここにいるんだ」
「僕はここにいる。もう、瑠璃さんから離れたりしないよ」
「うん。この手を離さない。ずっと一緒にいたいから」
地上を目指すうちと陽介の間に、ミナとサニーも降りて来た。うちと陽介にしがみついて、しきりに頬擦りしてくる。くすぐったい、すごくくすぐったい。でも、全部が懐かしい。ミナの熱、匂い、感触。進化したって変わらない、何もかもがかつてのミナのままだ。
「ミナ! サニーも!」
「わぁ……! ミナちゃん、エレザードに進化したんだ!」
「陽介がくれた『たいようのいし』を使ったんだ。覚えてる? うちに石をくれたときのこと」
「あっ……そっか、あの時の……! 瑠璃さんだったんだ、あの時路地裏にいたのは!」
「うちもね、さっき気付いたんだ。石をくれたのは――陽介だったんだ、って」
「僕ら、出会う前から出会ってたんだね。運命的だなぁ」
「出会う前から、出会ってた――ああ、陽介の言う通りだ」
うち、ミナ、サニー、陽介。この場にいる全員が、柔らかな光に包まれていく。眩しくて皆の姿が見えなくなる、けれどそこにいるという確かな感触がある。もう何も怖くない、怖いものなんて一つもない。
帰ろう、在るべき処へ。居るべき処へ。
みんなが、待ってるから。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。