明けて翌日早朝。広場で落ち合ったふたりは、小夏が「すっごいおすすめなんです!」と太鼓判を押したサンドウィッチ・ショップで朝食をとっていた。ここは小さめサイズの完成品をいくつか取り分けて、好きなように組み合わせて食べられる仕組みを採用している。一回で多くの味を楽しめる上に、店主による独創的な組み合わせが非常に多く、小夏いわく「他に代わりがないお店」だそうだ。
清音はウッキウキで三つもピックアップ、隣の小夏もお気に入りのものと新作をそれぞれひとつずつ確保。レジで精算を済ませて席に陣取る。言うまでもなく清音の支払いだ。もうかなり昔のこと。ある理由で一時的に上京していた清音は、ひょんなことから行きずりの中学生二人と一か月ほど共同生活をするなんとも奇妙な経験をしたのだが、その際もあらゆる支払いを息をするように自分がしていた。小夏が優美の捜索を手伝ってくれる云々は全然関係なく、これくらいオトナとして当たり前だと思っているのである。
「パンにオリーブって合うのよねえ。ハムも豊縁のとは一味違うわぁ」
「こっちのチーズサンドもおすすめですよ。ブロッコリー、これで好きになっちゃいました」
清音がかつて旅して歩いたガラルでカレーライスが国民食として広まっていたように、ここパルデアではパンに様々な具材を挟んだサンドウィッチが至るところで見られた。完成品を売るお店も多かったし、自分で作ってこそと材料を売る店も負けないくらい多い。小夏もしばしば材料を調達して、外でポケモンたちと一緒に作って食べていると言っていた。正しく「ピクニック」だと言えよう。清音らしく「てきとー♡」に選んだ割にどれもおいしく、ついでに頼んだカフェ・コン・レチェも甘味強めでこれまたうまい。オシャレなのにうまくてボリュームもある、家の近くにこのお店がほしい! 清音は結構マジ気味にそう思うのだった。
朝食を済ませたところで、二人がお店の外へ出る。まだ人通りの少ない広場へ出ると空いていたベンチを確保し、小夏がスマートフォンを取り出した。
「清音さん、この会議室番号まで繋いでもらっていいですか?」
「誰かと話すのね。よしきた」
二人がコミュニケーションを取るために使っているアプリの「LINQ」には、アカウント毎に割り当てられた番号とパスワードを知っている人だけがアクセスできる「会議室」機能がある。参加者が自分の端末で他の参加者の顔を見ながら会話できるというものだ。清音は仕事でこの機能を頻繁に、実に頻繁に使っていたので、すんなり小夏の個人会議室へ接続できた。
しばらく待っていると、ひとり、またひとりと小夏の会議室へ接続してくる。これもしょっちゅう見る光景だ。清音も含め全員がビデオをオンにしていて、見るとどうやら小夏の同窓生のようだ。端末のマイクがミュートになっていることを確かめた後、「友達?」と小夏に訊ねる。そうです、と小夏が元気よく頷いた。
「よし、これで全員っ。先輩の皆さん、時間ピッタリに集まってくれてありがとうございますっ」
「ちょっと皆口先輩ー、私達のこと先輩って呼ぶのナシですよー。皆口先輩の方が年上なんですから」
「コナツ先輩の気持ちも分かりますけどぉ、どう考えてもうちらよりコナツ先輩の方が先輩じゃないですかぁ」
「そうっすよ。センパイに先輩って言われると、自分なんだかもぞもぞしちゃうっす」
清音・小夏・その友人三人。小夏は三人を「先輩」と呼び、一方三人は揃って小夏を「先輩」と呼んでいる。清音は最初「どういうこっちゃ」という顔をしていたものの、割とすぐ理解に達した。
「ひょっとしてアレ? 小夏ちゃんが一番年上だけど、在籍期間が一番短いからみんなを『先輩』って呼んでるとか?」
「あ、そうですそうです! 皆口先輩、どうしても『先輩』って呼ばせて欲しいって言って」
「ほら、学校にいる期間で言ったら、みんなの方が先輩ですから!」
「うーん、普通年齢で決まるものだと思うんすけど……」
「こそばゆくて仕方ないですってばー」
「ま、どっちの気持ちも分かるわ。年齢で先輩呼び、期間で先輩呼び。いっそどっちも先輩でいいんじゃない? 減るもんじゃないしさ」
画面から一斉に笑い声が上がる。場がいい塩梅に解れて温まったのを感じた。ミーティングは最初が肝心、仕事で骨身にしみて理解している。今回は上手くいきそうで何よりだ。
「昨日グループでスター団や優美ちゃんについて知ってる子がいないか聞いてみて、返事をもらったのがこのお三方なんです」
「そういうことね。改めてこんにちは。川村優美の叔母の清音といいます。今日はよろしくね、みんな」
「こんにちは。優美さんと前期にいくつか同じ講義を受けてました、ハツホです」
「ども。ウェンディって人を何度か見たことあって、コナツ先輩のメッセ見てその話をしなきゃってことで来ました。アンナです。推しはナンジャモ様です」
「うっす。友達がスター団団員のひとりと腐れ縁で、そいつからいろいろ話を聞かされてます。カヤっす。最近の自慢は数え役満でアガったことっす」
「ほぉー、麻雀やるのね。いい趣味してるじゃない」
「実は最近、ちょうどこの面子でちょくちょく打ってたりするわけなんですよ」
「みんなしてハマっちゃって。昨日も日を跨ぐまで打ってて、朝一でこの打ち合わせだった! って気付いてやっと止めたくらいですし。皆口先輩、後輩にこーいうよくないこと教えちゃダメですよ」
「あら、小夏ちゃんが広めたの? ちょいと意外ね」
「実はそうなんです。旅をしてる最中にバトルが強い子と知り合って、その子に教えてもらったんですよ。読み合いってこんな風にやるんだ、って勉強になりました!」
「コナツ先輩爽やかに言ってますけど、割とエグくてコワい打ち方してきますよ。地獄待ち平然とぶっ込んできますし」
清音と小夏、そしてハツホ・アンナ・カヤ。メンバーが揃い簡単な自己紹介も済んだところで、情報交換が始まった。
「早速っすけど、自分からいいですか」
「カヤ先輩、お願いします」
「友達の知り合い……セイタって言うんすけど、セイタは『チーム・カーフ』にいるみたいなんす」
「カーフは確か、かくとうタイプ使いのグループだっけ?」
「そうっす。ほかのチームともよく連絡を取り合ってるって言ってたんすけど、最近ルクバーの中が荒れてる? みたいなこと言ってて」
「ルクバー、フェアリー組ね。例の『ウェンディ』もいるっていう」
「はい。結構前から内部でケンカでもしてるのか何なのか、団員同士でポケモンをしょっちゅう傷付け合ってるとかで」
「なんだろう、主導権争いで抗争してるとかかな? 今のボスを立てるか、『ウェンディ』を新しいボスに据えるか、みたいな」
「皆口先輩に便乗しますけど、ルクバーのボス、確か他のボスと比べて一番若いとか聞いたことあります。団を掌握できてないんじゃないですか?」
「若いって言うか、あれぶっちゃけうちらより年下だよ。名前は確か……『オルティガ』だとか言ってたような」
「アンナさ、なんでそれ知ってるの?」
「うちのパパが服作る工場で工場長やってんだけどさ、親会社の御曹司だとか言ってたわけ」
「はあ? いいとこのボンボンが不良グループのリーダーやってるわけ? マジでどうかしてるわ、ホント」
スター団フェアリー組「チーム・ルクバー」。このチームのボスは「オルティガ」という男子生徒で、ここにいるハツホやアンナ、カヤよりも年下だと断言された。彼女らがおおよそ十三くらいなので、オルティガは高く見積もっても十二歳程ということになる。不良集団を率いるには若すぎる……というか幼いと断言してよい年齢で、ハツホが口にしたとおり内部を統制できていない虞は大いにあった。
話を聞いた清音は、このオルティガとかいう男子生徒に「金持ちの坊ちゃんが徒党を組んでくだらない遊びをしている」という印象を抱いて苦々しい顔をした。他の四人も概ね同じ感情を抱いたようだ。アパレル会社の御曹司がなぜこんな無軌道なことをしているのか分からないし、それに分かりたくもない。裕福とは言えない家庭で育った清音にしてみれば、率直に言って悪い意味で理解の範疇を超えた存在だった。
「清音さんが言った通り、ルクバーはフェアリー組……その名の通りフェアリータイプ使いが集まってるみたいです」
「自分らくらいの年齢の若い子が中心で、周りではアジトを『ネバーランド』って呼んでたりするっす」
「妖精たちの国、ってニュアンスかしらね。大人になれない連中にはピッタリなんじゃないの」
ルクバーのアジトは「ネバーランド」という通称でも呼ばれているという。これはジェームズ・バリーが手掛けた著名な作品「ピーター・パン」で言及される架空の国だ。妖精(フェアリー)たちの住む国として知られ、作中ではガラル地方のシュートシティから妖精がおよそ三時間ほど空を飛んだ先にあるとされている。「ネバーランド」には親とはぐれた孤児達が暮らしており、彼らは歳を取らず永遠に子供のまま生きると言われている。大人になること・成長することを放棄したとしか思えない野放図なルクバーの団員達に向けたものとしては、まあ実にお似合いの地名だと言えよう。
「さっきチラッとウェンディの名前が出たんで、次はうちでいいですか」
「はい。アンナ先輩、どうぞです」
「課外活動で、ここから結構遠くにあるハッコウシティまで行ったんですよ。ちょっとタクシーとかも使って」
「それホントに課外活動? ライブ見に行っただけじゃない? みなのものが作ったボカロ曲を人力で歌ってやるぞ! って企画のやつ」
「学校から出て活動してるから課外活動。どう見ても課外活動。はい論破」
「えー」
「うちも配信見てたんすけど、途中にあったプリンの声入ってる曲とかホントどうやって歌ったんすかね。気になる」
「で、ライブ終わった後飲み物買ってポケモンセンターでひと息ついてたんですけど、そこにスター団ぽい人がいたんですよ」
「ライブって自分で言ってる」
「スター団の団員でも、ポケモンセンターは使えますもんね。気持ち的にはちょっと納得いかないですけど、それと制度は別ですから」
「センパイ、その辺りちゃんと切り分けて考えてるんすね。うちはショージキ『やめてほしいな』って思うっす」
「別に盗み聞きしたかったワケじゃないんですけど、相手の声がもうほんとにデカくて、話してることが勝手に聞こえてきちゃって」
「うわぁ、あるある。聞きたくもないのに痴話喧嘩とかパワハラとか聞かされて萎えるヤツっしょ?」
「ですよー、キヨネさんの言ってるそれ。男子と女子の団員が話してて、『ウェンディに団を追い出された』とか言ってて」
「ということはその人たち、元ルクバーのメンバーだったのかな?」
「多分そう、知らないけど絶対そう。ウェンディって人、ほんとヤバいと思います。仲間とか関係なくハンマーぶん回してますよ、絶対」
「……あっ。そう言えばわたしも、同じように『叩き出された』とか言って途方に暮れてる団員を見たことがあります」
「うわぁ、コナツ先輩も見ちゃいましたかぁ」
「アンナ先輩のおかげで思い出せました。わたしが見たのは……そうだ、確かボウルタウン近くだったかな」
「そのウェンディってヤベーやつ、なんかあちこちに出没してるみたいっすね。怖いな……」
ウェンディは身内にもそのハンマーを向けているらしい。無軌道この上ないとしか言いようがなかった。団員だろうと気に食わなければ自分のハンマーを、そしてそれを遙かに上回るあのピンクのポケモンに携えたデカハンマーをぶん回させていると思うと、「ヤベーやつ」というカヤの言葉は適切と言わざるを得まい。攻撃性を団の外ではなく内にも向けている危険人物、それが『ウェンディ』なのだろう。
「あの、ウェンディって団員のことで、私もひとつ思い出したんですけど」
「ハツホ先輩。ぜひお願いします」
「少し前に外でメリープの群れを観察してて、一通りノートも取り終わって帰ろうとしたら……いたんです」
「ドオーが?」
「ちげーよ! おめーなんでこの流れでいきなりドオーの話すると思ったんだよ! するわきゃねーだろバカ! てかメリープとドオーじゃ生息域全然被ってねえよ! ちゃんと図鑑見ろよ図鑑! スマホに穴が空いて爆発するまで見ろ! ジニア先生に向かって五体投地で謝罪しながら見ろ!!」
「うわわわわ……ハツホ先輩っ。地が出ちゃってます、抑えて抑えて。それにその姿勢じゃ図鑑は見られないですよ」
「いやセンパイ、フォローになってなくないっすかそれ。てか姿勢の話別にしなくていいじゃないすか。百パー煽りにしかなってないっすよ」
「……すみません、取り乱しました。そこにいたんです……ウェンディが。しかも……こっちのことをじーっと見てて」
「まさか、そいつと目が合っちゃったりしたわけ?」
「はい。どうしよう、って思って固まってたら、向こうはこっちのことは気にも留めてなくて、すぐ別の方に向かって歩いて行ったんです」
「災難でしたね……でも、ハツホ先輩に何もなくてよかったです」
「ホントに。今思い出してもゾッとします」
ハツホに至っては、あわやウェンディとの直接接触にまでなりかけてしまったようだ。ウェンディがハツホに興味を示さず無視して余所へ行ったことでその場は事なきを得たものの、ハツホにしてみればまったく生きた心地がしない最悪の体験だった。ハツホのことを見ていたのは、きっとスター団に勧誘しようかどうか品定めでもしていたのだろう、小夏の分析に全員が同意する。碌なものではあるまい。
「ウェンディのことでもう一個。実はうちも近めで見たことあります」
「それもぜひ聞かせてください、アンナ先輩」
「この間ハネッコの群れを探してたんですよ。久々にじっくり眺めたいなーとか思って」
「へぇー。課題のための観察とかっすか?」
「敢えて言うなら、癒しを求めて……ですかね」
「ホンマ何言うとんねんこいつ」
「ハツホ先輩、また地が出てます」
「それはともかくハネッコを探してたら、向こうの方で傷付いたハネッコたちが何体も転がってて、うわってなって」
「確かにそんなの見かけたら、誰だって引いちゃうわね」
「それで辺りを見てみたら……さっきのハツホじゃないですけど、ハンマー持って歩いてるあいつがいたんです。『ウェンディ』が」
「ひょっとして、例のヤバいポケモンも連れてたりしてませんでしたか?」
「いました。ちょっと画面共有しますけど、コナツ先輩が言ってるのってこれのことですよね」
「……何回見てもハンマーのデカさに面食らうよね、これ」
「間違いないです! このポケモンも一緒にいた、そういうことですよね」
「ですです。それで遠巻きに見てたら、ウェンディがモンスターボールをいくつも取り出して、倒れてるハネッコを根こそぎ捕まえていって」
「ひえっ……それ前にヒナコが言ってた話じゃん! スター団の人がポケモン乱獲してるってやつ」
「あのポケモンに群れをまとめてなぎ倒させて、動けなくなったところを捕まえてる、そんなところでしょうか」
「倒れたハネッコの群れ、引き連れた凶暴なポケモン、モンスターボール……確実にクロね。クロじゃないって考える方が無理よ」
かつて小夏が怒りを露わにしていた、スター団による野生ポケモンの乱獲。当然というか何というか、ウェンディもそれに加担している……というか、自ら積極的にポケモンを捕まえて回っているようだ。あの凶悪極まりないハンマーを持った謎のポケモンが罪のないポケモンたちをまとめて叩きのめし、ごっそり回収していくという血も涙もない手法を採っているようだ。
恐るべきは、そうした非道な行いを平然とやってのけるウェンディとやらの冷酷さ、酷薄さにある。ただの不良生徒という枠組みから一歩どころではなく大きく外れた、社会に対する反発・反抗・反逆――その心が服を着て歩いているかのような女と言えよう。
「昨日の夜にカヤ先輩たちと話したときに聞いたんですけど……あの事、話してもらってもいいですか」
「了解っす。清音さん、今までスター団とウェンディのことを話してきましたけど、優美さんとの繋がりが気になってると思うんす」
「ええ。小夏ちゃんが昨日、ポケモンを捕まえまくってるスター団を優美が懲らしめたって話をしてくれたし、何かあるんじゃないかとは思ってるわ」
「はい。それで昨日センパイからのメッセージ見て、友達にセイタから優美さんぽい人の話とか聞いてないか訊ねてみたんす」
「いろいろ手間掛けさせちゃって申し訳ないわね。それで、何か分かったりしたかしら?」
「もう三ヶ月くらい前だけどって前置きして、ルクバーの古株が優美さんと接触したって話がカーフの方にも流れてきたみたいっす」
「ねえカヤ。セイタって人がそれを優美さんだって思った理由、何かあるのかな?」
「友達いわく、セイタは『なんとか財団と関係がある女の子』だって言ってたみたいっす」
「ちょっと補足させてちょうだい。ウチも昨日財団の職員と話したけど、優美以外の奨学生は全員今も連絡が取れてるって。スター団のことを話して追加でヒアリングしてもらったけど、やっぱり関わったとか勧誘されたって子はいないみたいなのよ」
「だとすると……セイタの言ってる『女の子』が優美さんの可能性はかなり高い、ってことかぁ」
「たぶんそこで加入を断って、さらにその後でポケモンの乱獲も咎められたりしたせいで、優美ちゃんのことを恨んでた……とかじゃないでしょうか」
「さっきカヤちゃんがしてくれた『チーム内が荒れてる』って話を踏まえても、ルクバーの関係者が優美を無理にでも連れていく理由にはなるわ。身勝手もいいとこだけどね」
状況証拠になるが、優美は過去にスター団の「チーム・ルクバー」から勧誘を受けており、恐らくだがそれをキッパリ断っている。その一件で逆恨みされて、後になって無理矢理アジトまで連れて行かれた……という流れが想像できてしまう。実に三ヶ月も前から優美に延々とつきまとっていたと考えると、もはやはた迷惑などという話では済まない悪質さだ。時期的にも夏期休暇の開始と重なっており、多くの生徒が遠く離れた故郷へ帰省していることから、友人たちから優美とスター団の関わりについて話が出て来なかったのも説明が付くし、校内で姿を見かけないということにも合点がいく。
ルクバーの関係者といえば……何度も話題になっている、あの常軌を逸した危険人物がどうしても脳裏をかすめてしまう。清音は心の内に湧いてきた悪い予感から目を背けず敢えて正面から向き合い、思い切って口を開いた。
「みんな、ちょっといいかしら。正直話を聞くの怖いんだけど、訊かないと始まらないから……言わせて」
「お願いします、清音さん」
「例の女子生徒――ウェンディが優美と関わってた、優美に絡んでたとか、そういう話はないかしら」
「……清音さんすみません。そろそろ、その話をしないといけないと思ってました」
「ハツホ先輩……ありがとうございます、続けてください」
「はい。一ヶ月くらい前だったと思うんですけど、コリンクと一緒に西の方を散策してたんです。学校の近くで、人通りも結構あって」
「セルクル方面に繋がってる、あの道の辺りですか?」
「あ、そうそう、その辺です。そこでまたウェンディがいて、『やばっ』と思って物陰に隠れたんです。自分でも弱気だなって思うんですけど」
「いやぁ、しょうがないよ。あんなヤバいのに目を付けられたらさ、ハツホだって危ないもん」
「怖かったよホント。ウェンディの方は私に気付かなかったんですけど、なんとなく視線の先を追っかけてみると……優美さんがいたんです」
「優美が……」
「ってことは、あのおっかないハンマー女が優美さんを見てたってことっすか」
「そう。かなり遠くでしたけど、背格好とか使ってたカバンとかが休み前の優美さんと一致してたし、間違いないです」
「一ヶ月くらい前、か……わたし、どうして優美ちゃんに会えなかったのかな。タイミングが悪かっただけだとは思うんだけど」
「それで、ウェンディは優美さんのことずっと睨んでて、今にも襲いかかりそうなくらい苛ついてるのが遠巻きでも分かって」
「ウェンディはルクバーにいるから、団員から優美の話を聞いて付け狙ってたのかもね」
「みんなの話を聞いて、あの時の殺気立った様子は、優美さんが勧誘を蹴ったのが理由じゃないか……って思ったんです」
「なるほど……正直辛いけど、でもある程度線は見えてきたわ。みんな、いろいろ話してくれてホントにありがとね。助かったわ」
「コナツ先輩がグループに訊いてくれたおかげです。みんな優美さんとか、ウェンディとか、スター団とか、別々にパラパラ見てはいたけど、それがひとつに繋がってるなんて思ってなくて。コナツ先輩に言われて、始めて気付いたんです」
「後期は講義が重なってなくて、課外活動もあったし、優美さんどうしてるかな、って思ってたら、まさか連絡が付かなくなってたなんて」
「ちょっと話戻るんすけど、うちらで昨日ちょっと話したことがあって」
「ええ」
「さっき言ったとおり、ルクバーは内部の争いでポケモンがたくさん傷付いてます。だから、面倒見のいい優美さんに目を付けたんじゃないか、って」
「……その線はあり得るわ。あの子、エーテル財団で医療術学んでたし、医務室にしょっちゅう行って他の子の面倒見てるってミモザ先生が言ってたし」
「そうなんすよ。そのこと校内でも結構知られてて、だから優美さんを連れ去ってポケモンの治療を無理矢理やらせてるんじゃないかとか思ったんす」
ルクバーと優美が関係を持つに至った経緯について。詳細は分からないがルクバーでは内部で抗争が勃発している可能性が濃厚で、その関係でポケモンたちが互いに傷つけ合うかなり悲惨な状態になっているらしい。自分たちの消耗を危惧したルクバーのメンバーが、ポケモンの保護と回復に携わるエーテル財団の奨学生で、本人も医務室で自主的に看護活動に取り組んでいた優美に目を付けたのではないか――という話だ。
事態はかなり深刻だった。完全な確定情報が出たわけではないが、小夏の学友たちが提供してくれた情報を筋が通るようにまとめてみると、優美は今「ネバーランド」――もとい、チーム・ルクバーのアジトへ誘拐されてそこへ閉じ込められている可能性が極めて高い。しかもそこにはウェンディという悪名高い凶暴な団員も所属しており、ともすると暴力を振るわれているだろうことも容易に想像できてしまう。残念ながらこの線は大いにあり得る、清音が危機感を抱く。遠方のアジトまで拉致されて監禁され、アカデミーやエーテルハウスまで戻るに戻れない……という状況が容易に想像できたからだ。かなりむごい話だが、各地で暴れているスター団の傍若無人さを鑑みればあり得ないことではない。
清音は暗澹たる気持ちになると共に、大事な優美に理不尽な扱いをしているだろうスター団に沸々と怒りが湧いてくるのを実感していた。もとより直情的で曲がったことが許せない性質であり、仕事で経験を重ねて怒りの感情をある程度コントロールできるようになったとはいえ、この不条理さに対する怒りはどうにも抑え切れそうになかった。優美のことを思うと気が気ではない。スター団もまた同じで、この手で成敗してやりたいという気持ちが溢れんばかりに湧き上がってくる。
「あっ、もうすぐ一限目。先輩の皆さん、今日は本当にありがとうございました」
「何か分かったらまた連絡します。どうか、優美さんが見つかりますように……」
「うちもです。何か必要ならいつでも言ってください。協力させて欲しいです」
「右に同じっす。友達からセイタ絡みで何か情報もらったら、すぐ横展開するっす」
「みんな、本当にありがとう。必ず優美を見つけ出して、また学校へ通えるようにしてみせるから」
情報共有の場はこれにてお開き。全員が会議室から退室し、あとはベンチに座った清音と小夏だけが残る。
「いやあ小夏ちゃん、見事な手際だったわね。グループにメッセージ投げて情報集めて、参加者の時間調整してミーティング設定して、ファシリテーションまでこなしちゃうとか」
「ありがとうございます! コミュニケーションの講義を受けた時に、ちょうど清音さんから言われたようなことを教わったので、実践しなきゃって思って」
「ウチもう社会人十ン年目なのにこの辺未だに苦手だからさ、惚れ惚れしちゃうわ。こーいうの、どんな業種とかスタイルで働くにしても要るスキルだし。勉強を座学だけで終わらせてないの、ウチも見習わなきゃね」
湧いてくる不安と怒りの感情は未だ盛んにあるものの、小夏と話しているとそれが大いに和らいでいくのを感じる。パルデアで小夏に会えたのは本当に救いだった。自分ひとりではここまで情報も集まらなかっただろうし、きっと見当違いな方向へ進んでいたとしか思えない。
講義を受けるために校舎へ向かう小夏を見送り、小夏が戻ってくるまでこの辺りを散策しようと清音も立ち上がろうとした――その時だった。
「あ、あのっ」
「あら、どうかしたの? ウチに用事かしら?」
これといって見覚えのない女子生徒が、清音に向かって声を掛けてきたのだ。女子生徒は小柄で、外見から推測すると優美よりも一つか二つ年下のように思われる。眼鏡をかけたおさげ髪という容貌からは明らかに引っ込み思案で大人しそうな雰囲気が伝わってきて、実際清音にも少々尻込みしつつ相対している。はて、この子がウチに何の用かしら。不思議に思いつつ、清音は柔らかな物腰で応じた。
「あの、わたしルミカっていいます。ええっと、川村さんのお姉さん、ですよね?」
「ふふん、ざんねーん。ウチね、こう見えて実は叔母さんなのよね」
「えっ!? そうなんですか!?」
「そ。優美のお姉ちゃんに見えたってことは、つまり若く見えるってことよね。いやあ、うれしいわあ」
「ごめんなさい、間違えちゃいました」
「まぁまぁ、気にしないで。それより、優美のこと何か知ってるのかしら?」
眼前の少女はルミカと名乗り、優美について何か話したいことがある様子。清音の「優美について何か知っているのか」という問いかけに恐る恐る、けれど深く頷いたのが見える。清音がそっと目線を下げると、ルミカが清音の顔を見ておずおずと話し始めた。
「昨日、図書室で話してるのを見かけて、声を掛けようと思ったんですけど、なかなか言い出せなくて」
「図書室……ああ、アカデミーのエントランスホールのことね」
「川村さんについて、話したいことがあるんです」
「聞かせてちょうだい。ウチ今あの子を捜してるから、それに繋がるならどんな情報でもほしいって思ってるの」
「やっぱり、どこか遠くへ行っちゃったんですね……」
沈んだ声で顔を俯けるルミカ。それからすぐ顔を上げて、ルミカが小さな口を開く。
「わたし、よく医務室に行ってたんです。休み時間もどこに居たらいいのか分からなくて、それで具合が悪いような気がして、しょっちゅう」
「医務室……何か、辛いことがあったのかしら」
「お母さんが仕事へ遠くへ行っちゃって、お友達もなかなかできなくて……ひとりぼっちでさみしかったんです」
「なるほど。全寮制だから家族にもなかなか会えないし、つらいわよね」
「心細かったです。でもその時に、医務室で川村さんにたくさんお話を聞いてもらったんです」
「優美が……」
「川村さんからもお話をたくさんお話を聞かせてもらいました。住んでた場所の話とか、エーテル財団の話とか、たくさんです」
「うん、うん。ルミカちゃんの話し相手になってくれたのね」
「それで、同じ医務室に来てた子といっしょに話を聞かせてもらって、ノエミちゃんって子と仲良くなって」
「おおっ、お友達ができたんだ!」
「はい。今もノエミちゃんたちと勉強したり遊んだりして、もうさみしくなくなりました。川村さんのおかげです」
こんなにうれしい話があるだろうか。皆と打ち解けられずに医務室で塞ぎ込んでいた年下の少女に優美が声を掛けて、気が済むまで話し相手になってあげていた。それだけではない、境遇の似た子をさりげなくめぐり合わせて、二人を友達にしてしまった。清音が思わず涙ぐむ。本当に立派な姪っ子だ、こんなにも他人を思いやれる優しさを身に付けていたとは。パルデアを訪れていろいろな話を聞いているけれど、端々から感じ取れる優美の確かな成長は間違いなくグッドニュースだった。それだけに、優美の周りにスター団周りのバッドニュースが多すぎることが、本当に歯がゆくてならなかった。
「それから川村さんにお礼を言いたくて、学校の中をさがしてたんです」
「みんな優美を捜してるみたいね。けれど、なかなか見つからないって……」
「でも……三週間くらい前に、川村さんを見つけたんです」
「ルミカちゃんは優美を見つけられたのね。その時どこにいたのかしら」
「川村さんは校舎の裏、誰もいないようなところにいて……だけど、あれは……」
「ど、どうしたのルミカちゃん。声、震えてるけど……」
「す、少し待ってください。おちついて、おちついて……」
声だけでなく体も震わせて、ルミカが額に冷や汗を浮かべている。尋常な様子ではない、不安に駆られた清音がハンカチを取り出し、そっと冷たい汗を拭ってやる。何度も深呼吸をして、ざわつく心を懸命に落ち着かせて。ルミカは何を見たのか。ルミカが見た優美は一体なんだったというのか。話を聞かされている清音もまた、気が気ではない。
「様子が……ヘンだったんです。ひとつずつ話させてください」
「ゆっくりでいいわ、焦らないで。ルミカちゃんのペースで聞かせてくれれば十分よ」
「川村さんは、確かに川村さんだったんですけど、黒い眼鏡をかけてて」
「サングラス、かしらね。こういうやつ」
「あっ、それです。形は星じゃなくてわたしの眼鏡みたいなものでしたけど、そんな感じでした」
「優美がサングラスを……? 真夏でも日焼け止めすら塗らないような子なのに……?」
ルミカが見たという優美はサングラスをかけていた。それだけなら、日差しの強いパルデアで目を護るためにかけていた可能性もあるかもしれない。だが優美は強い日差しもへっちゃらで、日焼け止めすらろくすっぽ塗らずに野山を駆け回る元気な子だった。率直に言ってサングラスをかけた優美というのはぎこちなく、違和感を禁じ得ないところだった。しかしルミカの話はこれに留まらない。
「それだけじゃないんです。なんていうか……どこを見てるのか分からなくて、まっすぐじゃなくてふらふら歩いてて……」
「ど、どういうこと?」
「わたしが背中に立ってたら、急に後ろを向いてきて、だけど無表情で、いったい何を考えてるのか全然分からなくて」
「ル、ルミカちゃん……」
「それでも声を掛けたら、川村さんが、川村さんが……」
「優美が……?」
「……『何か用ですか』って、機械みたいな声で、わたしに……」
背筋がゾッとするとはこのことだろうか。ルミカいわく、あれほど親身に接してくれたはずの優美が「何か用ですか」と言い放った。もしその場に居合わせたら、自分も今のルミカのように震え上がってしまいそうだ。しかもルミカいわく、優美は「機械みたいな声」で話したという。抑揚や感情がない、冷たい声だったことが察せられる。普段の優美がそんな声で話すわけがない、ましてや話し相手になってあげていたルミカが相手だ、余計にあり得る話ではない。
突然サングラスを着用する、おぼつかない足取りで歩く、面識のある相手への冷たい態度、感情のこもらない声……清音の脳裏に「洗脳」や「マインドコントロール」といった言葉が無意識のうちに浮かんできた。洗脳とマインドコントロールは異なる概念ではあるが、それが強制されたにしろ巧みな技術で惑わされたにしろ清音にとっては何ら変わらず、優美の精神が本来の健全な状態ではないことに疑う余地はなかった。
まだ完全に決まったわけではないものの、優美はスター団「チーム・ルクバー」のアジトへ連れていかれてしまった可能性が高い。ルクバーは知っての通りフェアリータイプ使いの集まりで、フェアリータイプと言えば戦況をかき乱す技、もっと言えば相手の精神に訴えかける技能を豊富に行使できることで知られている。フェアリーとは即ち「妖精」、人の心を弄ぶ「妖(あやかし)」そのものなのだ。優美は拉致された挙句都合のいいように精神を弄ばれている、清音の怒りはますます高まるばかりだ。
「川村さん……どうして、あんなことに……っ」
「ルミカちゃん……」
見知った人間のあり得ないほどの変貌をまざまざと見せつけられた、その時の様子を思い出してしまったのか、ルミカがぽろぽろと涙をこぼして泣き始めてしまった。清音はいたたまれなくて、ハンカチでそっと涙を拭ってやることしかできなかった。変わり果てた優美の様子がよほどショックだったに違いない、清音はルミカの気持ちを思うと我がことのように心が痛むのを感じた。
しばし涙を拭いてやると、ルミカは少し落ち着きを取り戻して、また蕾のような小さな口を開いた。
「……ひとつ、思い出しました。話させてください」
「聞かせて、ルミカちゃん」
「夏休みの前、一番最後に図書室で会ったときに、川村さんが『これから北へ行くから、しばらく会えなくなる』って言ってたんです」
「北――その時の優美はおかしくない、普通だったのかしら」
「はい。いつもと同じように、わたしの目をしっかり見て優しく言ってくれました。少しさみしそうにしてて、わたしもさみしかったです。でも、夏休みが明ければきっと戻ってくるって、そう思ってたんですけど……」
北。清音はその方角について思い当たる節が大いにあった。優美を攫った強い疑いのあるルクバーのアジト「ネバーランド」はパルデアの北部にある、その話を聞いていたからだ。優美が北へ向かうと言ったのは、優美自身や関係者を――友人や財団職員といったところか――脅迫するなどしてアジトへ向かうように無理やり合意させたか、或いは優美が自ら決着を付けるために彼らの本拠地へ乗り込もうとしていたのか。いずれにせよルミカの証言で、優美自身が夏期休暇前に北へ向かおうとしていたことが掴めた。その後は友人たちも優美と接触できず、唯一探し当てたルミカは優美の変貌を目の当たりにしている。
クロだ。清音の中で判断が下った。ルクバーの連中が優美を「ネバーランド」へ連れ去って、精神に小細工をしていいように使っている。学校周辺や校内で目撃されたのは、優美に他の団員を勧誘させたりその他の汚れ仕事をさせているからだろう。ここまで来て何の関わりもないとは到底思えない。清音の中で次に起こすべき行動が固まっていく。
(レポートが提出されなくなったのは、内部で何か起きてるからに違いないわ)
優美が失踪したのは、恐らくカンパニュラがそれに気付いた頃よりももっと前、恐らく夏期休暇前後のいずれかのタイミングだろう。ルクバー関係者が優美の拉致をカモフラージュするために、優美に財団宛のレポートを出させつつ、通常通り近隣で活動しているという虚偽の報告をさせていた可能性が高い。だが先ほどカヤから話があった通り、ルクバーの内部は抗争で大荒れになっている。それがさらに激化して優美も巻き込まれてしまい、レポートどころではなくなったのではないか。そのことで失踪が発覚して自分たちに連絡が来た。こう考えるのが自然だ。
そして、カンパニュラが本当にこの件について何も知らなかったのかも怪しい。エーテル財団は前代表であるルザミーネ政権期、一部の悪辣な派閥が地元の反社会的勢力と結託してポケモン乱獲などの犯罪行為に手を染めていたという悪しき歴史があることを、当時その件に関わっていたというザオボーが赤裸々に明かしている。ザオボー自身は内部で進めていたプロジェクトに忙殺されていた都合で一部職員の暴走を止めることができず、その責任を取る形で最大拠点であるエーテルパラダイスを離れ、言い方は悪いが僻地である豊縁へ異動になったという経緯がある。もっとも、ザオボー自身が何か悪事に手を染めたわけでも、それを明示的暗示的問わず指揮したわけでもないことは、彼の名誉のために記しておく。
当時の関係者は新代表グラジオと補佐役である副代表リーリエの手で軒並み粛清されたものの、逃げ切った一部の残党が首脳部及びザオボーを初めとする善良な職員の目が届かないパルデアで再び私腹を肥やそうとしている、その可能性は否定できない。それを指揮しているのがカンパニュラなのではないか? 今度はスター団と組んで彼らを尖兵として使い、パルデアの地に闇の利権を築こうとしているのではないか? その過程で優美が巻き込まれて隠ぺいしていたものの、偽装工作が追い付かなくなって連絡をよこした。こんな流れがあり得るのではないか? あくまで疑惑レベルだが、疑惑があること自体は払しょくできそうにない。
「ルミカちゃん、話してくれてありがとう。必ず優美を見つけ出して、元通り元気な姿を見せてあげられるようにするわ」
「清音さん、お願いします。また、川村さんとお話がしたいです」
「ええ……どんな手を使っても、私は優美を取り返すから。だから、安心して」
これから向かうべき場所、目的地が決まった。
パルデア地方の北――「ネバーランド」こと、チーム・ルクバーのアジトだ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。