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#06 今は気まぐれな空の下で

途中で数度の野宿やモーテルでの宿泊を挟みつつ、街に立ち寄って物資の補給をしたり、ちょっとおいしいものを食べたり、温泉や銭湯でひとっ風呂浴びたり。清音と小夏は二人で順調に旅を続けていた。テーブルシティを出発してそろそろ一週間、今まで大きなトラブルもなく進められているのは大変ありがたいことだろう。

今はテーブルシティを北上した先にあるチャンプルタウンに立ち寄っている。ここを抜けると北端まで大きな街は無く、遠くにはナッペ山がうっすらと見えていた。だんだん目的地へ近付いてきている、清音はここまで道のりを歩んできたことへの達成感と共に、チーム・ルクバーが牛耳る「ネバーランド」へ乗り込むのだという緊張もまた強まっていくのを感じた。

「おっはよー小夏ちゃん。よく眠れた? ウチはもうぐっすり」

「もうすっごい寝ちゃいました。ホントはちょっと起きて、情報収集とかしたかったんですけどね」

「疲れたら寝るのが一番よ。昨日は通り雨に降られちゃったし、ミツハニーの群れに絡まれるしでドタバタだったじゃない」

「ホントですよー。でも昨日みたいなのって、いかにもポケモントレーナーの旅、って感じですよね!」

「分かる! やっぱ小夏ちゃん、風情ってものを理解してるわ」

普段デスクワークをしている清音にとって、ここまででも実にハードな旅程のはずだったが、隣に明るく聡明な小夏がいてくれるおかげでまったく苦にならずに済んでいた。お互いとても気が合うので、多少の困難だろうと笑って乗り越えられる。清音は小夏にぞっこんで、こんな強くて素敵な子を見事に射止めた優真はマジで大したもんだ、さすがは兄貴の息子だわ――などとずっと考えている。一方小夏も清音への憧れはホンモノであり、優美ちゃんのためにこんな遠くまで来るなんてバイタリティが違う、自分もこんなお姉さんになりたい――とマジで考えている。心が通じ合う者同士の二人旅、これが楽しくないはずがない。

「ぃよーし、そろそろ時間ね。ほいじゃベスパちゃん、今日も頼りにしてるわよん」

「クルちゃんもよろしくね。それじゃ、出発進行ー!」

「でっぱつ~」

朝食を済ませ、いつものようにライドポケモンに跨がって街道を進む。無理に急がず適度に十分な休憩を挟んでいるおかげか、清音がレンタルしたモトトカゲも小夏が連れているゴーゴートも、ここに至るまでまるで疲れた様子を見せていなかった。順調に旅程が進んでいる何よりの証拠と言えるだろう。付き合ってまだ一週間ほどなのだが、清音はこのモトトカゲとすっかり仲良くなっており、愛車である「ベスパ」という名前まで勝手に付けている。まあ何にせよ、仲が良いのはいいことだろう。

チャンプルタウンからさらに北上し、道中で血気盛んな野生のポケモンを幾度か撃退しつつ進む。二時間ほど進んだ先で例によってポケモンセンターを見つけ、ここで休憩しようと清音が提案、小夏が了承、すぐに話が付いた。二人はライドポケモンを含む手持ちのポケモンすべてを係員に預けた後に席を取り、それぞれ愛用の電子機器を取り出すと、机を綺麗に半分ずつ分け合って使い始めた。

「こーやって外で仕事するの、結構捗るのよね。小夏ちゃんもじゃない?」

「はい! 清音さんと一緒に北へ向かう前も、よく外でピクニックしながら受講してました」

「いいなぁー、それ絶対楽しいやつじゃん。しかも学校から堂々と認められてることなんでしょ? ホント羨ましいわあ」

「技術がすごく発展してくれたおかげで、好きな場所で仕事や勉強ができる。これこそまさに――」

「――かがくのちからって すげー! ってやつよね!」

「ですです! それ、ちょうど言ってほしかったんです。分かってくれてうれしいです」

「いやぁ、ウチもいっぺん言ってみたかったのよ。ベリーナイスな『フリ』よ、小夏ちゃん」

小夏がスマートフォンとタブレットを使ってリモートで講義――どうやら「美術」に関する講義のようだ――を受けている横で、清音はノートパソコンでコードを書くなどしてテキパキと仕事をこなしていく。すると不意に社長から「姪っ子は見つかったか」とSlackでメッセージが飛んできた。現在の状態を手短に伝え、地元の不良どものアジトへカチコミに行くと書いて返した。数秒も経たないうちに「頑張れよ元不良」と気の抜けた絵文字付きでリプライがあった。社長のノリの軽さ、そしてそれとは裏腹な義理堅さが、清音にとっては心強くてならなかった。

しばしポケモンセンターにて作業を続けた後、小夏がイヤホンを外すのが見えた。清音の方もちょうど仕事が一段落して、パソコンをそっと折りたたむ。少し凝り固まった体を解すべく大きく伸びをすると、横で小夏も同じようにしているのが見えた。間を開けず互いに目が合う、何もおかしな所なんてないのになんだか面白くて、揃って声を上げて笑った。独り旅じゃこうは行かない、どちらも同じ事を考えていた。

「講義中にこっそりLINQで訊いてみました。『スター団、今どうなってる?』って」

「あら! 小夏ちゃんってマジメだけど、それだけじゃなくてちゃっかりしてるのが素敵よね」

「時間は有効活用しなきゃ、です! おかげでまたひとつ情報が入ってきました」

「ありがと。できればグッドニュースだとありがたいんだけれども」

「いいニュースですよ。例のカヤ先輩の友達が『カーフのアジトで騒ぎになってる』って直接教えてくれたんです」

「ははーん。前に聞いた『大人と子供の二人組』が組にカチコミかけたか、あるいはそれが迫ってるって情報を掴んだか……そんなとこね」

「きっとそうですね。その二人なんですけど、子供だって言われてる方はアカデミーの学生、それも女子生徒みたいです」

「いやあ、骨のある子もいるものねえ。もう一人の『大人』の方も気になるけど、いずれにせよ相当な手練れなのは間違いないわ」

「一年以上誰も手を出せなかったのに、一ヶ月くらいで三つも潰しちゃってるわけですからね。とんでもないパワーを感じます」

一体何者だろうか、その女子生徒というのは。清音はますます興味を持つと共に、彼女がスター団にもたらしてくれた混乱に乗じてルクバーを急襲するプランを固めていく。折しもルクバーは主導権争いなのか何なのか内部抗争のまっただ中、そこへスターを気取る彼らを星くず(スターダスト)に変えるかの如く迫る謎の女子生徒。ルクバーに捕えられているだろう優美を取り返したい自分たちとしては、内憂外患両方が強力に後押しをしてくれている非常に有利な状況であった。

小夏が清音にLINQのチャット履歴を見せながら話していると、またひとつメッセージを受信した旨の通知が出る。別の会話窓に来たようだ。ちょっと待っててくださいね、小夏がスマートフォンを手元に戻して確認する。

「あっ、一之瀬先輩からだ」

「知り合い?」

「はい。ガラルでポケモン勝負を観て回ってた頃に知り合ったんです」

「ほぉー。ってことは、アカデミーでまさかの再会、ってわけ?」

「そうなんですよ! わたしもですけど、先輩もビックリしてました。勉強するために留学してきたみたいです」

「小夏ちゃんもだけど、みんな勉強熱心ねえ。ウチも見習わなきゃ」

「ガラルでジムチャレンジをして、結構いいところまで行ったとも教えてくれました。ダイマックスバンドも見せてくれたんですよ」

「あれってさ、確か見込みのあるトレーナーだけが受け取れるのよね。ウチの兄貴がミズゴロウ預けてもらったみたいにさ」

「その通りです。わたしもいつか着けてみたいなあ、なんて思っちゃいました。それで一之瀬先輩なんですけど、ちょっと面白いことを教えてくれて」

「ほうほう。面白いことならなんでもウェルカムよ」

「これを見てください。一之瀬先輩が読んでた本です。エントランスホールにあったのをコピーしたものなんですけど……」

写真アプリを起動した小夏が、再び清音にディスプレイを見せる。そこには古ぼけた一ページの写真があったのだが、そこに描かれていたのがなんとも奇妙なイラストだった。

「えっ、何これ? ドンファン型のロボットか何か?」

「たぶん、そんな感じだと思います」

イラストは――一目見て分かる鋼鉄の身体を持ち、ところどころに人工的な意匠が盛り込まれた、さながら「メカドンファン」とでも言うべき謎の存在を描いたものだった。注釈には「砂漠地帯で目撃された」といったような事が書かれているが、真偽のほどは定かではない。清音の知っているドンファンとはパッと見の印象こそ似ているが、その生物離れしたフォルムは明らかに異様だった。

「パルデアで出版されてる『オーカルチャー』って雑誌に載ってたんですよ」

「んー? なんかその雑誌聞き覚えあるわ。確かアレじゃない? 真偽不明のオカルト情報満載の怪しいやつっしょ」

「それです! 清音さん、ご存じだったんですね」

「前にぼーっとWikipedia見てた時に目に留まって、なんかやたら詳しく書いてあるから記事読んじゃったのよねえ。元は内容過剰だとかでコメント依頼に出てたのを辿ったような。で、そこにこのロボドンファンみたいなポケモンが載ってたのね」

「そうです。高度な技術が発達した未来の世界から来た機械生物だ、って書いてありました」

「タイムトラベルに機械化って、与太話にしてもさすがに盛りすぎじゃない? や、古生物博物館行ったことあるからさ、化石から復元されたポケモンとかいるのは分かってるけども」

「ですよねー。メカっぽいポケモンならジバコイルとかもいますけど、未来では他のポケモンも機械になってるとまで言われると、それはないんじゃないかな? って思います」

「ま、いたらいたで面白そうだけどさ。それでその一之瀬さんっていう子、こういうのが好きなの?」

「本当にあのポケモンがいたら大変だから捕まえなきゃ、って言ってました。なので、目撃されたっていう北西の砂漠によく行ってるみたいです」

「あんなのがホントにいるとは思えないけれどもねえ。それで砂漠まで行っちゃうんだから、何にせよ大した行動力だわ」

「これも課外活動、ですよね。ところで清音さん、時間ってまだあります?」

「おっ? 小夏ちゃんも課外活動に出かける感じ?」

「はい! ここまで来ることなんてめったになくて、ちょっと散策したくなりました。すぐ戻りますね!」

「ほいほーい、ゆっくり行ってらっしゃい。ウチのことはお構いなしでオッケーよ」

小夏もまたグレープアカデミーの生徒、課外活動も欠かせない。清音はそのことを十分理解していて、小夏が自由に活動してくれればいいと思っている。もちろん優美の下へ向かいたい気持ちはあるが、細かいところをせかせかと急いでも全体工程へもたらされるアドバンテージは少ない。それよりは都度都度立ち止まって、ルートや戦略をキッチリ最適化する方が最終的にはずっと効率が良い。長旅だからこそ焦らず、常に全体を見るべき。数年前に長期のプロジェクトに携わったとき、先輩社員と共に身を以て学んだことだ。

散策用のミニリュックを背負って走って行く小夏を見送り、清音がカップの四分の一ほど残っていたコーヒーを飲み干す。次の経路探索は済ませた、補給もバッチリ、残っている仕事も特にない。いつでも出発できる体制を整えたのはいいものの、なんとなく手持ち無沙汰になってしまった。普段暇つぶしに遊んでいるSwitchも荷物を減らすために持ってきていない。ヒマねえ、とぼんやり遠くを眺めていると。

「おっと、呼び出しね」

充電中のスマートフォンが揺れて、LINQの着信を告げている。ディスプレイには呼び出し元の名前が表示されていて、それを見た清音が思わず目を丸くする。素早くイヤホンを着けて応答ボタンをタップすると、清音は姿勢を楽にして会話を始める。

「はいもしもーし。聞こえてるー?」

「聞こえてるぞ、清姉。バッチリだ」

「瑠璃の方から連絡してくるなんて珍しいじゃない。こりゃ明日は雨かしら」

「おいおい、縁起でもないこと言うなよ。天気なんてうちらがどうこうできるもんじゃねえんだからさ」

「……それもそうね、瑠璃の言う通りだわ。ウチらはみんな一人残らず、気まぐれな空の下で生きてるものね」

電話を掛けてきたのは瑠璃、清音の――なんと言えばいいのだろうか。知人と言えば知人、友人と言えば友人。けれど清音にとって、瑠璃とはそういった通り一遍の言葉で表現できる間柄ではない。瑠璃は清音を「清姉」と呼んでいるから、強いて言うなら「心の妹」とでも言えばいいだろうか。固い絆で結ばれた大切な存在だった。

「最近大学どうよ? 自主休講とか言ってサボったりしてないでしょーね?」

「してねーよ、ちゃんと通ってるってば。海凪、うちがずっと行きたかった大学だし」

「ま、瑠璃は真面目だもんね。分かってて言ってみただけよ」

「ったく相変わらずだよな、清姉は。なんにも変わりゃしねえ」

「ほら、最近連絡してなかったし、瑠璃の声が聞けたのがちょっと嬉しくて」

「……うん。うちもそう。清姉の声聞くとなんか安心する」

「おっ、こりゃまたずいぶんとレアな『しおらしい』瑠璃ちゃんでございますなあ」

「うっせえ! ちょっと言うとすぐこれなんだから。それが清姉らしいっちゃらしいけどさあ」

瑠璃の声を聞いた清音は見るからに嬉しそうだった。小夏と話しているときと同じか、それ以上に声を弾ませ頬を緩めている。清音は社会人十数年目、瑠璃は大学生。歳はずいぶん離れているものの、そんなことはお互いどうでも良かった、心底どうでも良かった。清音は清音で瑠璃は瑠璃、ただそれで十分だ。

「電話するとき、いっつも清姉からだもんな。たまにはうちらから掛けてもいいかなって思うんだけど、用事も無いのにいいのかなって思っちゃって」

「なんにも無くてもいつでもウェルカムよ。瑠璃たちとウチの仲なんだから、愚痴とか聞かせてもらうだけでも全然オッケーだし」

「言われてみたら、清姉は特に用事とか無くてもうちらの家に遊びに来てたもんな。賑やかで楽しかったしいいんだけど」

「でしょ? おばあちゃんにもすぐ顔を覚えてもらってたものね。また行きたいけども、今はねえ……お互い住む場所だいぶ離れちゃったから」

「敷衍と海凪だし、気軽には行けないし来れないよな。ほんと、ロクでもないくそみたいなもんばっか降ってくるよな、うちらの周り」

「いやもうホントにそれ、瑠璃の言う通り、まーじで勘弁して欲しいわ。ああいうのはね、映画の中だけで十分よ」

「あれ、確かもうすぐ上映だっけ。清姉が言ってた映画」

「そうそう。今度顔合わせがてら観に行かない? 絶対面白いだろうし、言っちゃなんだけどウチらだからこそ分かる部分ってあると思うのよ、あのテーマだとさ」

「行く! うち久々に清姉の顔見たいし、陽介も会いたがってるし。あとおばあちゃんも『清音ちゃんがいないと張り合いがないわ』ってしょっちゅう言ってる」

「みんなして嬉しいこと言ってくれるじゃない。こりゃ早く片付けて、さっさと豊縁に帰らなきゃね」

「パルデアだっけ? 今清姉がいるのって」

会話の空気が変わったのを察した。緩みっぱなしだった表情を少し引き締める。とは言っても、険しいと言うほどでもない。話すべきことをしっかり話そうという姿勢になっただけだ。

「瑠璃も知ってたのね。どういう経路で瑠璃まで届いたのかは、まあなんとなく予想付くけど」

「同級生から聞いたんだ。そいつの彼氏が清姉の甥っ子と知り合いでさ、妹の……そうだ優美ちゃん、優美ちゃんの話を聞いたって」

「やっぱりあの子ね、優真がずっとお世話になってる。その通りよ。今ウチは優美を捜しにパルデアまで来てるってワケ」

「優美ちゃんか……うちは前に清姉の家行った時に一回偶然会ったきりだけど、今なんでそんなとこにいるんだ?」

「エーテル財団って知ってる? あそこの奨学生に選抜されたのよ。そこの支援を受けて留学したのが、ここパルデアのグレープアカデミー、という寸法よ」

「そういうことだったんだな。だけど、どこへ行ったか分からなくなっちまった」

「ええ。アレコレ調べてだいたい目星は付いてるけど、いい状態じゃないわ。地元の不良どもに捕まってるっぽいの」

「捕まってる……そりゃ、つらいな。雨に濡れないところでちゃんとご飯食べてればいいんだけど」

「ごめんね、辛気臭い話しちゃって。けど安心して。ウチと知り合いのトレーナーでタッグ組んで、もうすぐそこにカチコミかける予定なのよ。絶対優美を取り返してくるわ」

「マジか! 現地に乗り込むだけじゃなくて殴り込みまで掛けるとか、清姉ってほんとにアクティブだよな。それ聞いてちょっと安心した。清姉が鬱になってないかなって心配してたんだ」

「はぁーん? 百時間残業も乗り越えたウチがそうそう鬱になるわけないじゃない。オトナを甘く見ちゃだめよ」

「それもそうだよな。てか、清姉が鬱になるとかありえねえか」

「……でも、その気持ちは受け取らせてちょうだい。正直なところ不安が無いわけじゃないもの。ありがとね瑠璃、感謝するわ」

清音が瑠璃と会話していると、不意に瑠璃の方の画面で動きがあった。横から誰かがスッと顔を出してきて、瑠璃と並んで映る形になったのだ。見ていた清音は頬をほころばせて、新たに現れた人影に手を振って応じる。

「清音さん? 僕だよ、陽介だよ!」

「はぁーい、陽介くん。元気してるー?」

「もちろん! 今朝も瑠璃さんと一緒にランニングしてきたんだ。朝ランってすっごく気持ちいいね!」

「最近運動してねえなって思って、陽介と一緒にちょっと走ることにしたんだ」

「いい心がけねえ。ウチもデスクワークばっかやってたせいか、体がなまっちゃって。ジムに通おうかどうか考えてるわ、ポケモンじゃない方ね」

「榁だとふたつが合体したジムになってたもんね。他のところもそうなればいいのにな」

「格闘タイプのジムだったし、ムロジムがちょっと変わってたんだとは思うけどさ、ミナやサニーと一緒に運動ってわけにはいかないもんな」

会話に入ってきたのは陽介だった。瑠璃たちと血縁関係にはないのだが、現在は瑠璃及び瑠璃の祖母と共に暮らしている。ここに至るまでにはいろいろと事情があったのだが、今は三人仲良く暮らしていることに間違いはない。陽介は瑠璃と同じ大学の違う学科に通っており、彼女と同じく真面目に勉学に勤しんでいる。相棒はキマワリの「サニー」、先ほど話の中で出た「ミナ」は瑠璃の相棒であるエレザードだ。

清音は兄を豪雨災害で亡くしてから半年ほど、遺された兄嫁や子供たちの支援に奔走した。それがようやく落ち着いたところで今度は自分の気持ちに整理をつけるべく、傷心旅行として遠方の大都市まで出向いたことがあった。そこで出会ったのが、当時清音も暮らしていた榁から家出してきた瑠璃と、身寄りがなくポケモンセンターで寝泊まりしていた陽介だった。紆余曲折あって三人で暮らすことになり、さらなる紆余曲折を経て三人揃って榁へ帰ることになった。以来、瑠璃や陽介との交流が途切れることなく続いている。

屈託なく笑う瑠璃と陽介を見ていると、清音はこの上なく幸せな感情が湧いてくるのを実感することができた。今みたいになれて本当に良かった、心からそう思うばかりだ。

「ふたりさ、同棲してもう長いじゃん。おばあちゃん公認の仲なわけだし」

「いきなり何言ってんだか。言ってることは合ってるけど」

「でさ、おふたり結婚いつするの? 披露宴ウチも呼んでくれるわよね? ご祝儀はそれなりに弾むわよん」

「またそれかよ! うちらまだ大学生だぞ!? 毎回毎回飽きずに同じこと訊いてんじゃねえ!」

「そうだ、清音さん聞いて! 僕らで結婚式の日を晴れにしたことあったよね? あの人から連絡があって、すごく幸せそうだったんだ。瑠璃さんと話して、僕らもあんな結婚式を」

「ちょっちょっ、待て待てやめろ陽介! なんで今このタイミングでその話おっぱじめるんだよ!?」

「えっ? でも清音さん、結婚式がどうこうって言ってるよ?」

「言ってるけど! いや確かに言ってるけど! うちらの結婚式どうするかってのはまた別……あああーっ! そうじゃねえ! そうじゃねえんだよお!」

「うわあ、ダメだこりゃ。完っ全にバカップルだわ。口からお砂糖どんどん出てくるわ。ここで洋菓子屋始められそうだわ。マホイップも胸やけ間違いなしだわ」

「うっせえ! 清姉が言い始めたことだろ! 責任取れよ責任!」

「はあ? 何言ってんのよ。瑠璃の責任取るのなんて陽介くんしかいないっしょ」

「瑠璃さん、何か失敗しちゃったの? 大丈夫、僕が一緒に謝りに行ってあげるよ。一緒なら怖いことなんてないもんね! 僕らはずっと一緒だよ!」

「だからそういう話してねえんだよ! 陽介も話広げるのやめてくれ!」

腹を抱えて笑う清音と、画面の向こうでドタバタしている瑠璃、そして晴天の太陽のように笑う陽介。本当にいいタイミングで連絡をくれた、清音が二人に感謝する。ひとしきり騒いでから、陽介が画面の中央に大きく映し出された。大学生になっても、その瞳の純粋さ・混じりけのなさは何も変わらない。荒天のような境遇に置かれていた瑠璃を幸せにできるのは、彼を置いて他にいまい。口ではおちゃらけていた清音だったけれど、ふたりの幸せを願う気持ちは本物だった。

そして、二人が清音たちを思う気持ちも、また。

「清音さん。姪の優美ちゃんを捜してるんだよね。悪い人たちに捕まってるかもしれないって聞いたよ」

「ええ。少し荒事になりそうだけれど、何としても取り返すわ。義姉さんや優真、それに……兄貴の『宝』だもの。もちろん、ウチにとってもね」

「大変そうだね。でも……大丈夫。清音さんなら優美ちゃんを必ず見つけ出せるよ。清音さんのすごさは、僕らもよく知ってるからね!」

「清姉。清姉はうちらのこと体張って助けてくれたんだ、もし何かうちらにできることがあったらなんでも言ってほしい。あの時清姉がしてくれたみたいに、うちらも清姉の力になりたいんだ」

自分には兄嫁や優真がいる、小夏も一緒に来てくれている、社長からもエールを送ってもらった、そして今――瑠璃と陽介も力になりたいと言ってくれている。多くの人に支えられていることを実感する。今の自分は決して独りではない、かつて社会だの学校だのに空しく抗っていたあの時のような、孤独な身の上ではないのだ。瞼に思わず熱いものが浮かぶ。ごめんね、目に砂が入っちゃった。バレバレの照れ隠しをして、清音はそっと目を拭った。

その後二言三言やり取りを交わして、清音が通話を終える。瑠璃と陽介、ふたりと会話ができたという満ち足りた思いを胸に、必ず優美を取り返すという決意を新たにする。そのままスタンバイ状態にしようとした清音だったが、ここでふと電話のアイコンに「1」のバッジが付いているのを見つける。LINQで通話中だったために受話できなかったことを示すアイコンだ。しかし、清音の顔はどうも浮かない。

「……ああ、まただわ。ったく何なのかしらね、この無言電話」

実は結構前――具体的にいつ頃からかは忘れてしまったのだが、毎回発信元の異なる無言電話が不定期に掛かってくるようになったのだ。清音は都度応答しているのだが、相手方は何も言わずに電話を切ってしまう。これがもう二十回ほどは繰り返されているのだが、清音には思い当たる節がまったく無かった。電話番号は見たこともないものだったし、そもそも知人の番号はすべて電話帳に登録しているので、名前が表示されない時点で見知った人間からの連絡ではないことは明白だった。

そして不可解なことに、このような不気味な無言電話は義姉の優菜や優真の元にも複数回掛かってきていた。一か月ほど前、優菜から相談を受けて気付いたものだ。優真にも確認してみると同じような着信が複数回あることを知り、どうも誰かが自分たち三人に無言電話を代わる代わる掛けているらしい、ということだけは分かった。とは言っても電話番号が毎回のように変わるために着信拒否もできず、さりとて向こうが川村家の面々に何かを要求してくるわけでもないため、動くに動けない状態が続いていた。

「もう。せっかく瑠璃や陽介と話していい気分で終わろうと思ったのに、やな感じね」

どうせ暇を持て余したバカのくだらないイタズラでしょうけど、どっからウチらの番号が漏れたんだか。清音は渋い顔をしつつ着信履歴を一瞬だけ表示させて、付いていた通知のバッジをさっさと消してしまうのだった。

それから三十分ほどティアットとベスパが遊んでいるのを眺めていると、探索を終えた小夏が足取りも軽く戻ってきた。お帰りー、と清音が声を掛けると、小夏は「ただいま戻りましたっ」とおどけて敬礼して見せる。その様子がおかしくて、清音はまた声を上げて笑った。探索で今まで知らなかったポケモンに会えたこと、トレーナーの一人とバトルをして連絡先を交換したことなどを話す小夏はとても楽しそうだった。

ポケモンセンター備え付けの自販機で飲み物をふたつ買ってきて、清音が小夏へ手渡す。コレ飲んで小夏ちゃんが準備できたら出発しましょうかね、と考えていた清音のスマートフォンがぶるぶる揺れる。またしても着信だ。ちゃんとした電話でしょうね、と訝しみつつポケットから取り出してみると、今度はディスプレイに見知った名前が出ていた。安心しつつ受電する。

「もしもし、川村でーす」

「こんにちは、川村しゃん。しばらくぶりばい、伊吹ばい」

「どうもね、ナッちゃん。元気してたかしら?」

連絡を寄越してきたのはナツだった。一週間前にテーブルシティを発つ際に電話したきりで、接触するのは久々となる。ナツは私服を着ており、ビデオ通話の背景を見る限り、拠点であるエーテルハウスではなくどこかの別の街――風景からして、清音がテーブルシティへ赴く際に経由したプラトタウンにいるようだった。

「横からすみません。皆口です。伊吹さんですよね?」

「小夏ちゃん! 久しぶりやね。川村しゃんから一緒にいるっち聞いとうちゃ」

「はい。清音さんから優美ちゃんを捜しに行くと聞いたので、わたしもお手伝いさせてもらってます」

「ありがとうやね。ご迷惑ばおかけしてほんなごとすんまっせん」

「小夏ちゃんのおかげでこっちはすこぶる順調よ。明後日にはナッペ山に入れそうなペースだわ。そっちは何か分かったかしら?」

「それについては私の方から話させていただきます。伊吹さん、ちょっと失礼しますよ」

「お願いするけんね。ザオボー支部長」

ナツの隣には上司であるザオボーの姿もあった。パルデア入りすると聞いていたので特に違和感はないものの、こちらもナツと同じく普段の白衣ではなく私服に着替えている。あの特徴的なメガネはそのままだったが、それを抜きにするといつもといささか雰囲気が違う。

「支部長さん! お久しぶりです」

「おお、皆口さん。お元気そうで何よりです。川村さんへのご助力、心より感謝いたします。旅の方は順調でしょうか?」

「おかげさまで! ……と言いたい所なんですけど、今はグレープアカデミーに入学して、課外活動しながら勉強してます!」

「いやはや、実にいいことです。知識は人を強くしてくれますから。僭越ながら私も、この歳になっても学ぶことばかりですしね。ぜひ、多くのことを学ばれてください」

「ザオボーさん、ちょっといいですか。今、エーテルハウスにいらっしゃらないようですが……」

「……まずはそこからお話しする必要がありますね。ロトムさん、カメラをパノラマモードへ切り替えてください」

ザオボーの言葉に合わせて、清音がスマートフォンを机の上へ置く。映像モードが切り替わり、今ザオボーとナツがいる周辺の風景が立体的に映し出された。プラトタウンにいるという清音の見立ては正しかった。それも少々奥まったところにある小さな広場にいる。周囲に他の人影はなく、いるのは間違いなくザオボーとナツのみだ。

「我々の周囲に誰もいないことを証明すると共に――川村さんたちの方でも、我々を見張っておいていただきたいのです」

「……パルデア支部の職員たちが近くに来ていないか、ですよね」

「残念ながら、川村さんの仰る通りです。監査の過程で不審な痕跡を複数見つけたゆえ、私と伊吹さんも彼らから少々距離を置いています」

「清音さんから聞きました。支部長さん……あっ、向こうのです。パルデアの支部長さんがなんだかちょっと怪しいって」

「ええ、ええ。そうしたことも含めて、我々が調査の過程で把握した情報についてすべてお伝えする必要がある。そう思い連絡させていただきました」

少しばかり渋い顔をして、ザオボーがエーテルハウスを離れている理由を明かした。清音が抱いていたパルデア支部に対する疑念・疑惑に関して、豊縁から監査のために訪れたザオボーの方でも気がかりな点が見つかったようだった。

「以前伊吹さんからお伝えした通り、エーテルハウス内に設置したサーバに不審なアクセスログがありました」

「誰かが外から侵入した可能性がある、そういうことですよね」

「ええ。ログが何者かの手で消去されかかった形跡もありましたが、復元に成功しました。不審なアクセスはすべて、ロベリアという職員のアカウントを使用したものでした」

「ロベリアさん……確か、優美のメンターをしてた人でしたっけ」

「その通りです。しかしご存じの通り、彼女も十日ほど前から行方が分からなくなっています。そして先に述べた不審なアクセスについても、アカウントの使われ方が通常のパターンと著しく異なるもので、本当にロベリア自身が使用した物か判断が付きません」

「誰かがロベリアさんのアカウントを乗っ取った可能性がある、そういうことかしら」

「恐らくは。ロベリアが行方不明になった時期と、不審なアクセスが確認された時期はほぼ一致します。アクセスされた先のサーバについても嫌疑がありますがね」

「そちらについても聞かせていただけますか」

「まず、そのサーバは財団内の資産管理台帳に載っていないものだった。パルデア支部の独断で運用されていた物のようです」

「財団のネットワークには接続されていたんですか?」

「接続されていました。ただし、本部側からは認識できないように細工がされていましたがね。基盤部門も存在を認知していませんでした」

「だとすると、何のために本部から見えないようにしていたんでしょうね?」

「皆口さんの疑問は尤もです。おそらくは本部のファイルサーバから機密データをコピーして保管していたのでしょう。ですが不可解なことに、データの大部分が消失していたのです」

「今度はデータ消失……?」

「現在機器を本部の基盤部門へ送って、削除されたデータの復元を行わせています。ここから何か分かると良いのですが」

いずれにせよ、とザオボーがメガネを上げて、表情を険しくする。

「パルデア支部の何者か……或いは支部全体が、財団が定めるセキュリティポリシーに反した動きをしていたのは事実です」

「不正アクセスの件を報告しなかったのも、無断でファイルサーバを運用してたのも、それだけで充分アウトですよね」

「ええ、ええ。ロベリアの行方が分からなくなった件との関連は未だ不明ですが、完全に無関係とも思えない。彼女が何か知っている可能性はあります」

「優美の行方はもちろん気になるけど、そのロベリアさんって人も気がかりね……」

「はい。伊吹さんにはそちらの件で調査をしてもらっていました。複数名の目撃者が見つかり、彼女は――北へ向かった可能性が高いことが分かっています」

「……北、ですか」

「奇しくも川村さんが最後に向かうと言っていた方角です。ロベリアが川村さんの件に関しても情報を持っているやも知れません。早急に見つけ出すべきでしょう。ですが……」

「ザオボーさんはパルデアの職員たちもいる都合上、身動きが取りづらい……と」

「残念ながら。今は身軽な伊吹さんにすべてお任せしている状態です。私としても自らの足で方々を訊いて回りたいところですが、今は目を光らせる者が必要な状況ですからね」

我々の力不足でご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ない、深々と頭を下げるザオボーとナツに、清音が首を横に振って応じる。エーテル財団パルデア支部内で何が起きたのかは定かではないが、この二人が頭を下げる事案でないのは確かだ。

「川村さんの件ですが、こちらも伊吹さんに調査をいただいていました」

「以前聞いた話について裏取りばした。川村しゃんの言うとおり、優美しゃんなスター団『チーム・ルクバー』んアジトにおるて思う」

「ありがとう、ナッちゃん。そっちでも裏が取れたなら、安心してカチコミができそうだわ」

「わたしも全力でぶつかります。みんな戦いたくてうずうずしてますから!」

「いやはや、これは頼もしい限りです。しかしながら、我々もただ見ているだけという訳にはいきません。その『チーム・ルクバー』とやらの本拠地は、険しい雪山を越えた先にあると伺いました。お二人だけで挑まれるには、いささか難儀するでしょう」

「そこなんです。ナッペ山越えをなんとかしないといけないって、ちょうどそう思ってました」

「ええ、ええ。そこで――私と共にパルデア入りした信頼の置ける職員に、そちらの応援に向かうよう指示いたしました。山麓のポケモンセンターで落ち合うよう伝えています。お二方が山越えをするための装備並びに物資一式、それも併せて提供いたします。現地のポケモンセンター職員からお受け取りください」

「ザオボーさん……本当にありがとうございます。お手数をお掛けしてすいません」

「いいえ。元を糺せば、私が川村さんを奨学生に推薦した……それが事の始まりですから。このような形でしか助力できないことを、どうかご容赦ください」

ザオボーとナツが目線を合わせて頷く。ナツが優美の失踪に責任を感じているのは分かっていたが、ザオボーもまた同じようだった。ザオボーは、言っては悪いが人相があまり良くないところがあり、良からぬ策謀を巡らせているといった風に見られがちだ。しかし、彼はあくまで財団の掲げる理念と理想に忠誠を誓う真面目な職員である。大事な娘である優美を川村家から預かっていた立場として、責任を感じないはずがない。今は彼の支援を有難く受けるべき、清音はそう考えた。

情報交換を終えた清音が別れの挨拶をして、ザオボーたちとの通話を終了する。ポケモンセンターからは、チャンプルタウンで見た時よりも遙かにハッキリと、雪を纏って聳え立つナッペ山の姿が見える。おそらくは――この向こうにある「ネバーランド」ことチーム・ルクバーのアジトに、優美が囚われている。ならばやるべき事はひとつ、この山を踏み越えて前へ進むだけだ。

「……よし。小夏ちゃん、そろそろ行きましょうか」

「はい! こっちは準備万端です!」

モトトカゲとゴーゴートを駆って、二人は再び前へ歩を進めたのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。