トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

#08 女神の導き

ナッペ山麓にあるポケモンセンター。清音と小夏はここでエーテル財団から派遣された職員と合流する手はずになっていた。果たして目的地まで到着してみると、そこでは確かに職員が準備を万端整えて二人を待っていた。ところがその「職員」の姿を見て、清音は思わず目を丸くする。隣の小夏がこれといって驚いた様子を見せていないのが対照的だった。

「ええっ、まさか――この……このポケモンが職員さんなわけ!?」

「遠路遥々よくぞ来られた。わらわはエーテル財団豊縁支部所属、名を『ポリアフ』と云う。川村殿、お初にお目に掛かるな」

「しっ、しかも……喋ってる!? ポケモンがフツーに、フツーにウチらの言葉で喋ってる!? おまけにめっちゃ流暢だし! 何これすっごい!」

「思案しておった通りの初々しい反応であるな。愛いぞ、川村殿」

「いやこりゃ驚いたわ。今まで見たことない種族だったからなおさらね。けど、さすがにちょっと驚きすぎちゃったわ、ごめんなさいね」

「ふふふ、一向に構わぬ。では、改めて――わらわはアローラの地に於けるハウマ・アリイ。貴殿らの言葉を借りるならば、『アローラのすがた』のサンドパン、という処か」

ポケモンセンターで待機していたのは、「アローラのすがた」のサンドパン・ポリアフだった。紛れもなくポケモンではあるのだが、彼女はれっきとした財団職員の一人だ。以前は先ほど引き合いに出したばかりのラナキラマウンテンで群れを率いており、彼の地では「雪の女神」の異名を戴く「主」に近しい存在であった。そんなポリアフだが。今は同じく財団職員であるナツ、そしてその母の下へ身を寄せている。

かつてアローラで暮らしていた折、ポリアフはナツの祖父である宗太郎に命を救われたことがあった。彼女は宗太郎に燃えるような情愛を抱き、それは彼と言葉を交わすために人の言葉を身に付けさせるほどに至った。ポリアフは彼が再び現れる日を待ちわびていたが、そこに訪れたのが、誰よりも慕っていた宗太郎を亡くしたばかりのナツだった。二人は霊峰ラナキラマウンテンの地で互いの想いをぶつけ合い、己が身で語り合うことで宗太郎への思いを昇華し、弔ったのだった。このような経緯故にナツとは固い絆で結ばれており、名義上はナツが「おや」となっているポケモンではあるが、しかしその関係は完全に対等なものであった。

以来、ポリアフはナツと行動を共にし、財団ではポケモンの話していることを人の言葉にして伝える通訳としての仕事に携わっている。ポリアフのようなスキルを持つポケモンはほぼ居ないと言っても過言ではなく、故に様々な現場で引っ張りだこになっている。ナツが遅れてパルデア入りすると言っていた職員、それがまさしくポリアフのことであり、遅れてきたのは手離せない仕事があったからに他ならない。

「ポリアフさん、お久しぶりです!」

「此れは此れは小夏よ。息災なようで何よりであるな。然し、暫く見ぬ間に随分と精悍な貌をするようになったものよ。見違えたわ」

「おかげさまで! ポリアフさんこそ、相変わらずとっても綺麗ですね。キラキラしてますっ」

「ふふ、年嵩の者を揶揄うものではないぞ。とは云え、わらわとて齢を重ねようと、心身共に老いた積りも無いがな」

一方の小夏はポリアフと面識があった。フィオネのシズクを優真と共に育てていたあの夏の終わり頃、シズクを迎えるためにフィオネの集団が海へやってくるという出来事があった。その際にフィオネたちの言葉を通訳したのがポリアフだった。フィオネたちがシズクを待っていること、シズクは彼らを率いる長になる運命にあること。ポリアフは二人にありのままの事実を伝えた。その言葉が、小夏と優真の考えに大きな影響を与えたのは論を俟たない。

それからも時折榁を訪れるポリアフを小夏は大いに慕い、アローラで群れを率いていた時の話などをしきりに聴きたがった。ナツと共に小夏と交流を重ね、すっかり心を通わせるまでにはそう時間は掛からなかった。久々に会えてうれしいのか、小夏は大いにはしゃいでいた。

「こちらも改めて。川村清音です。ザオボーさんから話は聞いてるとは思うけれど、姪の優美を捜していて」

「承知しておる。此の山麓を越えた先に在るクプエウどもの根城に囚われている虞がある、ともな」

「その通りよ。ウチと小夏ちゃんは山越えをして、『ネバーランド』とかいうそいつらのアジトを叩くつもり」

「うむ。わらわは貴殿らに助力するため遣わされた。山越えのアラカイを担わせて貰いたい」

「こちらからもお願いさせてちょうだい。あのラナキラマウンテンで群れを率いていたっていう、そんじょそこらのガイドじゃ絶対敵わない実績があるって聞いたからにはね」

清音が深々と一礼して、ポリアフにナッペ山越えのガイドを頼み込む。元よりポリアフはその為にやってきていた。「頭を上げてくれ」と清音に少し恐縮しながら言う。両者は頷き合い、協力関係を確かなものにした。

「山越えに必要な物資は、既にわらわが受け取りを済ませている。此方だ」

「ありがとね……ありゃま! こりゃすごい。本格的な雪山登山ができそうだわ。食糧とかもバッチリね」

「ポリアフさん。これ、ホントに全部まるっともらっちゃっていいんですか? 結構お金掛かってそうですけど……」

「その心配は要らぬ。抑々、わらわが優美を奨学生として推挙した、其れが事の起こりである故……此の程度の物では埋め合わせにもならぬ」

「同じこと、ナッちゃんもザオボーさんも言ってたわ。自分の責任だって。気持ちは本当にありがたいけど、でも、気負いすぎないで。優美のことはポリアフさんの責任じゃないわ」

「川村殿」

「悪いのは優美を無理やりアジトまで連れてった連中よ。一線越えた大馬鹿どもをウチらと一緒にぶちのめして、また一緒に優美の元気な顔を見ましょ」

「――かたじけない、川村殿。貴殿らの山越えを成功させ、わらわもクプエウ共を急襲する。そうして優美を見つけ出せれば、わらわの気も晴れよう」

「ええ、頼りにしてるわ」

「わたしもです! 『雪の女神』さん」

「ふふ、また懐かしい二つ名で呼んで呉れる。では――わらわがアラカイとして貴殿らを先導し、この山を征くことにしよう」

ポリアフが氷柱のような爪と針をキラリと輝かせて、高くそびえるナッペ山を不敵な笑みを浮かべて見上げる。ガイドとしてこれ以上頼もしい存在はあるまい。清音と小夏はエーテル財団が調達してくれた装備を受け取り、山越えの準備に取り掛かった。

すべては、向こうにいる優美のために。

 

一晩明けて早朝。日が昇りきる前にすべての準備を済ませた一行は、いよいよナッペ山に入山した。昨日のうちに天候を調べ、しばらくは安定した空模様が望めそうなことも押さえている。三人は山越えの計画をしっかり練った上で、十分な休息を取った上で山越えに臨んだ。

「昨日はちょっと失礼な驚き方しちゃったけれども、本当に流暢に話すのね。なんならウチより滑舌いいんじゃない?」

「ふふ。饒舌さでは川村殿が遙か上を征くのは間違いなかろう」

「それは確かに。よく『お前は喋りすぎ』って兄貴にも言われたっけ。でもほら、なんか喋ってる方が楽しいしさ」

「わたしも、初めてポリアフさんに会ったときはびっくりしましたよ。清音さんと同じくらい驚いちゃいました」

「其れも久しく前の事よ。シズクとモアナ・ケイキらが今も達者で居てくれれば良いがな」

「大丈夫。シズクなら、きっとみんなを連れて元気に海を泳いでます。わたしと優真くんと――約束、してくれましたから」

雪山登山用のしっかりした装備に衣替えした清音と小夏を率いて、ポリアフが軽快な足取りで進んでいく。清音は一日経ってさすがにポリアフが人の言葉を話していても驚く様子は見せなかったものの、昨日の鮮烈な印象は未だに残っているようだった。小夏も「初めて見たときは驚いた」と同調する。

人の言葉を繰るポケモンというのは、全く居ないわけではないがかなり珍しい存在だ。ポケモンたちの知能は総じて高く、人間の言葉もその多くを「文脈」や「意味」のレベルまで理解している――彼らが人間の出す指示を受けて動けることを考えれば、これはさほど違和感を覚えることもないだろう――とされるが、人語の発声を身に付けるにまで至る個体はほとんど存在しない。その中にあってポリアフは人の言葉を用いてコミュニケーションを取れるわけで、数少ない例外と言えよう。

「貴殿らを襲う不届き者が居るようなら、わらわが撥ね除けてくれようと思うておったが――」

「ふふん、その点は心配ご無用よ。ウチにも小夏ちゃんにも、頼れる仲間が大勢付いてるからさ」

「うむ。その様であるな。ポーポー越しにも覇気が伝わって来よる」

「みんなすごく頼りになるんですよ! 清音さんのティアットとハイドロも!」

雪山を長時間にわたって歩くのには向いていない種族が多い故に全員がボールに入ってはいるが、ポリアフの言う通りボール越しにも彼らのやる気が伝わってくるのが分かる。主である清音と小夏を護ろうという意思と、二人と同じく優美を取り返すという想いに溢れている。万が一獰猛なポケモンに襲われようとも、彼らがいれば案ずることはないだろう。

ポリアフは雪山に慣れていない二人を案じて余裕を持ったペース配分をしつつ、合間合間で休憩を挟むことも忘れなかった。ナッペ山はほぼ全域が雪に覆われてはいるが、時折背の低い植物が顔を覗かせる小規模な草原が広がっている。こうしたポイントで休息を取り、体力の回復に努めた。

「……いやあ、さすがに雪山ってのは大変ね。財団がいろいろ準備してくれたおかげで、これでも大分マシなんでしょうけど」

「わたしもちょっと久々で、疲れてないって言うとウソになっちゃいますね……ただ歩くのとは全然違います」

「無理はなさらぬよう。山では気の逸りが何よりの大敵。芳しくなければ決して遠慮するでないぞ」

「ご忠告痛み入るわ、ポリアフさん。ウチらとは経験が違うものね。とは言え、ペース自体はそう悪くはないかしらね」

「今日の目標地点は……あった! あっちに見える山小屋ですよね」

「然り。日が傾く前に余裕を持って到達できるであろう。川村殿、それに小夏。貴殿らの尽力の賜物よ」

「ホント、体力付けなきゃダメね。マジでジム通い考えなきゃ」

「ポケモンじゃない方、ですよね」

「それなのよねー」

休息しつつ談笑していた三人だったが、そこへ幾らかの影が忍び寄ってくる。シルエットからしてユキワラシやクマシュン、そして見慣れぬ少々大きなポケモンの姿もある。この辺りで人間を見るのは珍しいはず、縄張りを荒らしたとして襲い掛かってくることも考えられた。

どうやら歓迎されてないようね、自分たちのナワバリだって言いに来たみたいですね。清音も小夏も察しが良い、すぐにボールを構えて戦闘態勢に入る――が。

「此処はわらわに委ねて貰おう」

二人を制するようにポリアフが立ち上がると、ポケモンたちの群れに目を向ける。わらわらと集まってきていたポケモンたちが、ポリアフに一瞥されるなり一様に立ち止まってしまった。困惑するように仲間達に目を向け、前に進みたい気持ちはあるが誰も歩み出ることができない、そんな状態に陥っているのが見て取れる。

ポリアフが不意に爪を翳す。陽光を跳ね返してキラリと眩しく輝いたかと思った直後――びゅん、と風を切る音と共に、勢いよく振り下ろす。その刹那、ズドンという重々しい音と共に大きな大きな「氷柱」が落下し、地面へ深々と突き刺さった。氷柱は草原を貫いて尚冷たさを増し、辺りをたちまち凍結させていく。直撃すればいかな屈強なポケモンとて無事では済まないだろう。

「去れ。貴様らの住処を荒らす積りは毛頭無いが……手を出すならば容赦はせぬぞ。命は無いと思え」

静かに、しかし確かに威圧するポリアフの姿に恐れをなしたのか、群れは蜘蛛の子を散らすかのようにその場を去って行った。元より清音と小夏の身の安全を確保することが目的だったポリアフは去って行くポケモンたちに微塵も興味を示さず、二人が無事なことを確かめると緊張を解き、安堵の表情を浮かべた。

清音と小夏が目を見開き、そしてお互い顔を見合わせる。とてつもない迫力だった、そう言わざるを得ない。ポリアフはあくまで威嚇のために「つららおとし」を繰り出した訳だが、戦闘においてはあの巨大かつ鋭利な氷柱が相手のポケモンを狙って使われるわけで、敵にしてみればひとたまりもないだろうことは容易に想像が付く。あのような氷柱を瞬時に作り出せるのだから、ポリアフの持つ力たるや、計り知れないものと言わざるを得ないだろう。

「おっそろしい迫力ね……思わずウチまでゾッとしちゃった。けど、追い払ってくれて助かったわ」

「ポリアフさん、分かってましたけど、お強いんですね……! わたし、シビれちゃいましたっ」

「造作も無いことよ。貴殿らの無事を護るのが、わらわが支部長殿から仰せ付かった使命であるからな」

今は穏やかに接しているポリアフだが、先ほどまでの威圧感は清音の言う通り背筋が凍るほどのものであった。このポリアフと身ひとつで渡り合ったというナツもまた同じくとんでもない。一体どういった経緯があったのか、ナツはいかにしてこのポリアフという絶対強者と戦ったというのか。清音の興味は尽きそうになかった。

そろそろ向かうとしよう。十分な休息が取れたところでポリアフが二人に声を掛け、清音と小夏もスッと立ち上がる。雪山の地形も野生ポケモンも、ポリアフの力を借りれば恐るるに足らずといったところか。彼女自身、そして彼女を送り込んでくれたナツたちに感謝しつつ、清音たちは山越えを続行した。

 

「暗くなる前に山小屋まで着けて助かったわね。これもポリアフさんのおかげよ」

「歩くのは大変でしたけど、ポリアフさんのおかげで山登りに集中できました。本当にありがとうございますっ」

「此れも貴殿らの健脚あってのものよ。とは云え、わらわが役に立てたなら其れ以上のことは或るまい」

中腹より少し登ったところにある山小屋へと三人が入る。今日はここで夜を明かす算段を立てており、その計画の通りに辿り着くことができた。中は簡素で小屋を管理する者もいないが、定期的に清掃や整備がされているのか小綺麗な印象だった。清音と小夏は荷物を降ろすと、揃ってぐーっと大きく伸びをした。重い荷物を背負って山道を延々歩いてきたわけで、いかに旅慣れた二人と言えどさすがに疲れが溜まっているようだ。ほう、と小さく息をついて、身を休められる場所まで来たことを実感する。

山小屋は簡素な作りで、中は外とはまた違う底冷えのする寒さで満たされている。ありがたいことに、夏の間に蓄えられたであろう山ほどの薪と、燃やしてくださいと言わんばかりの古新聞がうず高く積み上げられている。奥には暖炉も見えた。アレを使わせてもらおう、意気揚々と前に出ようとした清音だったが、その前に一つ確認しなければならないことがあった。財団宛の連絡を準備しているポリアフに近付くと、横から声を掛ける。

「ポリアフさん、ひとつ質問いいかしら」

「うむ。聞かせてみよ」

「うちらちょっと寒いんで火を使おうと思うんだけど、ポリアフさん大丈夫かな、って」

「ふふ。あの暖炉であろう? 好きにするがよい。その程度の火など温いとも思わぬ故にな」

なんとも頼もしい余裕の笑みだ。ありがとね、清音はポリアフへ一言礼を言い、燃えやすそうな小さな薪や新聞紙を昔兄から教えられたとおりの手はずで積み上げる。トレーナーとしての心得やサバイバル技術の大半は兄から教え込まれたものだ。ザックから着火ライターを取り出して火を点けると、ティアットに頼んでごく軽く風を送ってもらう。程なくして暖炉の中で火が燃え盛り始め、安定してきたのを見て大きな薪を追加で数本くべる。しばらくすれば中も温まるだろう。

清音が火を起こしている横で、小夏もテキパキと食事の支度をしていた。「アイテムボール」と呼ばれるボール型の携帯式ストレージをザックからいくつも取り出し、これは今から使う、これは使わない、と仕分けていく。このアイテムボールのおかげで、普通ならまず扱えないような大量・大型の荷物も楽に持ち運ぶことができるのだ。トレーナーたちの間で荷物を少なくするために使われているのはもちろん、そうでない一般市民も同じ用途でごく普通に使用している。

「野菜とお肉をとりあえずお出汁で煮込めば、案外なんとかなるものですよね。お豆腐も入ってたので入れてみました」

「鍋はいいわねえ。ウチの家でも冬場よくこれと同じことしてるわ。てか、出汁とかお豆腐とかあったんだ」

「豊縁で準備してくれたみたいです。なんだか実家を思い出しちゃいますね」

「思えば遠くまで来たものよね。そこでつつくのが地元風の鍋、ってのがまた乙なんだわ」

これまたボールに入っていたカセットコンロを使い、小夏が鍋を温める。暖炉の火と鍋の熱気で室内は大分暖かくなってきた。清音がポリアフを見ると、特に変わらず文字通り「涼しい」顔をしている。全身に氷を纏っているかのようなポリアフだが、彼女の言う通りこの程度の熱では温いとさえ思わないのだろう。

……というかここまで記していなかったが、ポリアフは小夏が作る鍋が気になるのか、しばしば覗き込んで様子を見ている。小夏が「ポリアフさんも食べます?」と訊ねると、ポリアフがはにかみながら微笑んで「少し分けて貰えると有難い」と返す。人は見かけによらないと言うけれど、ポケモンもそこはいっしょなのね。清音はなんだか可笑しくなって、思わず笑みがこぼれた。

一通り準備ができ、後は具材に火が通るのを待つだけとなる。時間を有効活用すべく、清音と小夏が連れていたポケモンたちを外に出し、あらかじめ準備しておいた各々に合わせた食事を与える。しばし触れ合ったのち防寒のためにボールへ戻してやると、小屋には清音・小夏・ポリアフの三人だけが残った。ちょうど鍋もいい塩梅に湯気を立てている。

パチパチと暖炉で薪が燃える音、くつくつと鍋が煮える音、ひゅうひゅうと風が外を吹き抜ける音。三人はしばし歓談をやめて、山小屋に聞こえる種々の音に耳を傾けた。

「……よし! そろそろ食べごろですね」

しばし間を開けた後、小夏が皆に箸とお椀を配る。財団の手で何から何まで準備されていたことに感謝しつつ、清音とポリアフが食器を受け取る。

「いただきます」

手を合わせた三人が、思い思いに鍋をつつき始めた。

「外はちょっと吹雪いてきたみたいね。何もないうちにここまで来れて助かったわ」

「雪の中を歩くの、平地でも大変ですもんね。キルクスタウンの辺りで苦労したのを覚えてます」

「おっ、小夏ちゃんガラルにも行ったんだ! ホントにあちこち足を延ばしてるのね、さすがだわ」

「地域を上げてポケモンバトルが盛り上がってるって聞いて、たくさん試合見るぞー! って気持ちで行ってきました。見ごたえ抜群でしたよ」

「あそこはアレがあるから、ほら、ポケモンがでっかくなるやつ」

「『ダイマックス』ですね! まさに切り札。いつ使うのか、受ける方はどうやって立ち回るのか……見てて毎回わくわくします」

「たまに配信されてる試合見て『すげー』って言ってるんだけど、生のはもうホントに迫力が違うのよね。ウチもまた行きたいわあ」

「川村殿のハオ・エヘウ――貴殿らが云う処のアーマーガアは、そのガラルという地で邂逅したと聞いたな」

「ええ。今じゃウチの一番頼れる相棒だけど、あの時はまだ青っちょろいアオガラスだったのよ」

「アオガラスだけに、ですね」

「そう、それ。それなのよ」

熱い鍋を囲んで談笑していると、登山の疲れも癒えてくる気がする。清音は湯気を立てる豆腐を箸で少しずつ切って堪能しながら、今この瞬間――自分が普段住んでいる場所から遠く離れた異国の地にいて、普段ほとんど接する機会の無い小夏とポリアフと共に、地元でしょっちゅう食べている寄せ鍋をつついている、そんな状況にあることを自覚する。

「不思議なものよね。こんなすっごい遠いところでさ、ウチら三人で鍋つついてるって」

「近しい事を思案していた。永くマウナ・ケアの地で朽ち果てるのみと信じて居ったわらわが、今こうして貴殿らと夕餉を共にしている。其の意味をな」

「これもきっと、何かの縁だと思います。わたしが清音さんに会ったのも、ポリアフさんにここまで連れてきてもらったのも」

「……縁か。縁とは、真に名状し難き物よな。宗太郎しかり、ナツ然り。無論、貴殿らとの縁もまた同じ事よ」

口に出した通り、とても不思議な感覚だった、過去の経験に照らし合わせても似たものが見当たらない。けれど決して悪いものではない、快いとさえ思える。名の知れた景勝地を訪れたとか、雑誌で取り上げられる名産品を食べたとか、そういったことも勿論記憶に残るけれど、忙しい日々の合間にふと思い出すのは、きっと今のような普段とは違う時間を過ごしていた瞬間だと思う。

残りの人生、あと何回こんな経験ができるだろう? その答えは分からないけれど、決して多くはないだろうという感触はあった。だから、今自分が生きているこの時間を大切にしたい。煮えた白菜を口へと運びながら、清音はしみじみと思うばかりだった。

「鍋、か」

くつくつと煮える鍋を見つめる。脳裏によみがえってくるのは、豊縁で義姉が作ってくれる鍋のこと。二人の会話が途切れたのを感じ取った清音が、誰に聞かせるでもなくひとり呟く。

「自分語りしちゃって悪いんだけどさ」

「ウチって基本リモートワークなんだけど、プレゼンとかでたまに出社することがあって、出社すると大抵帰りが遅くなるのよ」

「そういう日ってさ、義姉さんよく鍋を作って待ってて、ウチが帰ってきてから火を入れて四人で一緒に食べるわけ」

「仕事ってこうね、いつも上手くいくわけじゃなくて、腹立つこととか落ち込むこととかもあったりする。てか、そういうことの方が多いんだけど」

「けど、寒い中震えながら帰ってきてかじかんだ手がさ、みんなで囲んだ鍋から熱をもらってあったまってくわけよ」

「そういう瞬間に……なんか大げさだけど、ウチって今『家族』の中にいるんだな、って思うの」

「兄貴と二人だった時間が長いからね、そういうのにまだ慣れてないのかも。言っててこそばゆいし、全然まとまってないし」

「だいたい、こんな風にひとりでアレコレ喋っちゃうくらいには、『家族』ってモノはウチにとって特別なんでしょうね」

小夏とポリアフがじっと清音を見ている。その表情はどちらもとても穏やかだ。清音の言わんとするところをしっかり理解して、かつ同意しているのが分かる。清音にとって「家族」というのは、きっとほんの少し特別な位置づけを持つ言葉なのだろう、と。だからこそ優美の足取りを追って奔走したわけだし、こうして過酷な山越えまでして彼女のいそうな場所を目指そうとしている。両親を喪い、兄を喪い、今の清音にとっては義姉とその子供たちだけが「家族」と言える存在だった。

優美まで不幸な形で失いたくない、失ってたまるか。清音の意思は鋼のように固かった。フェアリーポケモンを連れて粋がっている不良連中を、まとめて木っ端微塵にしかねないほどに。

 

食事を終えて後片付けもキッチリ済ませた後、清音が湯を沸かしてココアを作った。ポリアフはこれも飲むらしい、見た目以上に熱に強いというか、逆に意外とほかのポケモンと体のつくりはそこまで変わらないのかも知れない。考えを巡らせていても手はスムーズに動いて、パウダーの入ったマグカップ三つにお湯を注ぎ終える。外は強い風が吹いているようだが、山小屋はほどよい暖かさで満たされている。ココアを飲めばぐっすり安眠できそうだった。

「さっきからずっとウチばっか喋ってて悪いんだけどさ」

「一向に構わぬ。貴殿の話は聞き飽きると云うことが無いからな」

「光栄だわ。それでさ――優美の話、ちょっとしてもいいかしら」

「聞かせてください。優美ちゃんのこと」

「小夏に同じだ。わらわも優美とは其れなりに関わりが有る。聴かせて貰おう」

「ありがとね。二人にも聞いてもらいたいって思ってたの。これで心置きなく話せるわ」

パルデアを訪れた理由。それは言うまでもなく、突然行方知れずになった優美を捜すためだ。それは小夏もポリアフも言わずとも分かっている。清音が優美のことを大切だと思っているのも然り。その上で、清音が優美の話をしたいと言っている。聞かない手はなかった。

熱々のココアを一口啜った清音が、マグカップから上がる湯気を見つめて言う。

「『えっ?』って思われるの承知で言うけど、優美とウチって似てる気がするのよ」

「夫々の置かれて居る立場が――と云う事か」

「清音さんにもお兄さんがいて、優美ちゃんにも優真くんがいます。でも……それだけじゃないですよね」

「ええ。ま、ウチは優美ほど賢くないわ。だけど優美も小さい頃に父親を亡くして、母親は病気がちで、兄貴が食い扶持を稼いでる。正直、他人とは思えないのよ」

「パルデアへ発つ前、優美から貴殿の話を聴いた事があった。父上の話をよく聴かせてくれる、其の様に云っておったな」

「でしょうね。優美の父親はウチにとっちゃ兄貴なわけだしさ。喋ってるといろいろ思い出しちゃって、話すのが止まらなかったわ」

「わたしが何回か優真くんの家へ遊びに行った時も、よく清音さんにくっついてましたもんね」

「優美が懐いてくれて、自分も嬉しかったわ。優美とちゃんと向き合ったのが兄貴が亡くなってからすぐでさ、あの時は……なんかこう、いたたまれなかったから」

「父上を喪った事を、往時の優美は理解して居たのか」

「最初は分からなかったみたい。『お父さんどこ?』ってきょとんとしてたのを覚えてるの。あの子がまだ幼稚園に通ってた頃だし」

「自分のよく知ってる人が、どこかへ行ったまま帰ってこなくなる。それも……家族が。いたたまれない、そう言った清音さんの気持ち、わたし分かります」

「でしょ? ウチも正直なんて言えばいいのか分からなかった。だけどさ、義姉さんや優真はもっと辛いのなんて分かり切ってるじゃない。最愛の人を、尊敬する人を、突然理不尽に亡くしたわけだし。だから――」

「……貴殿が優美に伝えたのか。父親の死を、もう此処に戻る事は無いと」

「それが私の役目だって思ったから。ま、お節介もいいとこよ。でも――誰かが伝えなきゃいけないことではある。だったら一番傷が浅い人間が……私がやるべきだ、って」

傷が浅い、清音は敢えてそう言った。もちろん兄は兄として慕っていて、それは兄が結婚してからも何ひとつとして変わらなかった。けれど――兄には自分の家族がいる。それが優菜であり、優真であり、そして優美だった。人が大切な存在を亡くした痛み、それを大小で比べられる筈もない。だが清音は「夫」と「父」を亡くした家族たちを見比べて、優菜たちの痛みと悲しみを少しでも和らげねばと考えた。自分が「兄」を亡くしたという気持ちに蓋をして、遺された兄の家族たちにできることをしたわけだ。

或いは自ら「忙」しく立ち回ることで、少しの間であっても兄を亡くしたという悲しみに満ちた「心」を、一時的に「亡」き者にしたかったのかも知れない。

「いらないお節介焼いてさ、嫌われたっておかしくなかったけど、優美はウチに懐いてくれた。感謝するしかないわ」

「優美は利発な娘だ。幼子の時分であったとて、貴殿の気遣いに思い至ったのであろう」

「そう。優美はね、小さい頃からすごく気が回ったのよ。ポリアフさんが言った通り、利発って言葉がピッタリ合う子で」

「シズクを見てた時も、よくいっしょに遊んでくれてました。手つきとかもすごく優しくて、乱暴なこととかは絶対しなかったです」

「『おもちゃ』じゃなくて『生き物』だってしっかり分かってたわよね。あれくらいの歳なら、分別付かなくて無茶苦茶やってもおかしくないのにさ」

「えっと、これは後で優真くんから聞いた話なんですけど……シズクとお別れするとき、優美ちゃん大泣きしたみたいなんです」

「そりゃそうよね。夏休みの間ずっと一緒にいて、二人ほどじゃないにしろ『子育て』に関わったわけだし。ちょうどウチが優美や優真と関わるみたいにしてさ」

「はい。でも、最後はシズクの意思を尊重して、『ここがシズクの家だから』『いつでも帰ってきていいから』『また遊ぼうね』って言って、シズクのことを送り出してくれたって」

「ああ……あの時って、やっぱりそんな感じだったのね。きっとそうじゃないかとは思ってたけれども、聞かせてもらってハッキリしたわ」

「正直、もしわたしがあの時優美ちゃんと同じ立場だったら、そんなこと絶対言えないです。やだやだ、お別れしたくないってずっと言い続けて、悲しいままのお別れになったとしか思えないんです。だから、優美ちゃんはとびっきり優しいんだ、すごく人のことを思いやれるんだ……って」

「そうね。優美らしい、心からそう思うわ。あの子は……本当に優しいから」

言葉とは裏腹に、清音の表情が少し曇る。「優美らしい」「本当に優しい」。ネガティブなフレーズはどこにも含まれていないのに、どうして清音は口ごもってしまったのか。ポリアフと小夏の視線が清音に向けられる。わずかな間俯いていた清音が、少しばかり強引に顔を上げるのが見えた。

「優しい。それは間違いない。そしてそれ以上に……『気を遣ってる』。そう言った方がいいのかも知れない。これが良い意味だけの言葉じゃないのは分かってるけど、優美を見てるとどうしてもそう思っちゃって」

「優美ちゃんが気を遣ってるっていうのは、お母さんや優真くん、それに清音さんにもですか」

「ええ。そもそも今回の留学にしてもね。もちろん、グレープアカデミーが優美にとって素晴らしい環境なのは間違いないわ。いろんな人に聞き込みをしてみて、あの子がキャンパスライフを楽しんでたってのは紛れもない事実よ。優美が自分を犠牲にしてる、決してそういう話じゃないわ。支援してくれてる財団にも感謝しなきゃね」

「川村殿。其れは」

「……多分、百パーセント純粋に『それだけ』じゃない。パルデアへの留学は本心から希望したもの。私もそうだと思いたい、思ってるけれど、ザオボーさんから奨学生になることを打診されたとき、優美が最初に言ったことがどうしても忘れられなくて」

「優美ちゃんは……なんて言ったんですか」

「『お金はかからないんですか?』――。何よりもまず初めに出てきたのがね、『どんな場所ですか』『どんなことが勉強できますか』『どんなポケモンがいますか』とかじゃなくて、お金の話だったのよ」

「家計への負担を気に掛けて居た、と云う事か」

「そう。義姉さんも優真もウチも働いてて、別段食べるのに困ってるとか生活が苦しいとかじゃないけど、優美は『無理は言えない』って思ってたんじゃないかって。思えばあの子が何か欲しいとかどこかへ行きたいとか言い出すの、一度も見たことがなかったの。せいぜい『エーテル財団の職員さんになりたい』って言うくらいで」

「其れとて見方を変えれば、早々に職に就いて生活の糧を得たいと云う心持ちの顕れ、とも云えるか」

「ポリアフさんの言葉通りよ。川村家はウチ含めて三人とも忙しなく働いてる、しかも義姉さんは病気がちだし、優真だって年々多忙になってく。それを人に気を遣える優美がずっと見てたら? そういうことよ」

「ひょっとして、優美ちゃんが財団の奨学生になって、アカデミーへ留学したのは……」

「……そうした方が家計の負担が減ると思った、自分が家族と離れて暮らす方がウチらも楽になると思った、『食べる口を減らせる』と思った。優美はすごく頭が回る子だから、そう考えてもおかしくなかったと思うの」

「成程。優美が其処まで考えて居たとしても、わらわとしては何ら不可思議では無い。世知辛い事だが……優美ならば有り得るだろう」

「繰り返すけど、留学の話そのものは優美にとっても嬉しかったはずよ。家族に気を遣った部分があったにせよ、パルデアで楽しく過ごしてたのは間違いないもの。だけど……だからこそ、優美が……可哀想で」

「清音さん」

「父親を亡くして、母親は身体が弱くて、お兄ちゃんも忙しくてなかなか構ってもらえない、住む場所だって急に変わった。それでも気丈に振る舞って、我儘も泣き言もひとつだって言わずにずっといい子にしてた。たまたま財団から奨学生の話をしてもらって、自分の好きなことがたくさんできる道が拓けた、心配してた家計への負担も無いって分かった。留学は優美がやっと掴んだ幸せだったと思うのよ。なのにくだらない半グレ連中に目を付けられて、遠く離れた場所で帰るに帰れずにいる。そう考えたら……」

言葉が詰まった、これ以上何か言えそうにない。清音の目には涙が浮かんでいた。留学そのものは優美も強く希望したものだったから良かったものの、もしそれが望まないものであったとしても、きっと家族を想って同じ道を進んだだろう。それほどまでに自分を後回しにする姪が、ようやく「自分のしたいこと」ができる環境を手に入れた。だというのに、今度はならず者に連れ去られて望まぬことをさせられている。優美のことがただただ不憫でならない。

涙ぐむ清音を目の当たりにした小夏、そしてポリアフが、示し合わせたわけでもないのに同時に清音の側へ寄り添う。

「大丈夫です。清音さん。優美ちゃんはきっと元気でいます。元気でいると信じてあげて欲しいです」

「川村殿。わらわと小夏も同行する。必ずや優美を取り返してくれよう」

「……恩に着るわ、二人とも。ウチがめそめそしてちゃ優美に申し訳が立たないものね。兄貴だって『お前が泣いてどうすんだ』って言いそうだし」

清音は零れそうになった涙をぐいぐい拭って、残っていたココアをひと息に飲み干した。

「……ココアってさ、どーしても底の方に残っちゃうのよねえ。だいぶ気合い入れてグイグイかき混ぜたんだけど」

「なんかちょっともったいないなー、って思うんですよね、これ」

「然りとて、此処から湯を注ぎ足した処で薄くて飲めた物では無い。侭ならぬ物よな」

少しばかり湿っぽくなった空気をひと思いに吹き飛ばすかのように――清音は腹の底から、力一杯笑ったのだった。

 

その夜。早々に床に就いた清音だったが、まだ少しさっきまでの感情の高ぶりが残っているのか、寝付くのに少し手間取っているようだった。ぼんやり目を開けて、山小屋の天井をぼうっと見つめている。

(明日も山越えの続きあるんだし、早く寝たいところなんだけどね)

こういうときは焦っても仕方ない。焦れば焦るほど余計に眠りにくくなる。清音はどっしり構えて、眠気が訪れるのを大人しく待つことにした。

小夏はもうすっかり寝入っているようだ。すやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。旅をしていても思ったことだが、小夏はどこでもぐっすり眠れている。清音も普段と枕が違おうと野宿だろうとしっかり眠れるタイプではあったが、小夏はそれに輪を掛けて寝る場所を選ばない。旅をするのに向いてるカラダだわ、改めて感心するばかりだった。

オトナっぽい。清音は小夏を見ていてそう感じる瞬間が多々ある。話の理解の早さもそう、同窓生からの情報収集の巧さもそう、「勉強がしたい」という理由でグレープアカデミーに入学したのもそうだ。芯がしっかりしていると言えばいいだろうか。自分が小夏くらいの頃はあんなにも手際よくできなかった、何なら今でも会議の調整は手間取る。繰り返し「小夏ちゃんはやるわねえ」と思いつつ、清音の心にふと「自分はどうなのか」という感情が去来した。

(ウチは……兄貴みたいな『オトナ』なのかしら)

物心ついた頃に父を亡くし、次いで母が倒れ、兄は自分と母を養うために身を粉にして働いた。兄は疑う余地のない「オトナ」だろう。では、自分はどうなのか? 自分で自分をそう思っているのか? 普段こんなことを考えるわけもなく、寝付けないゆえの無秩序な思考から生まれた問いだった。

年齢的にはとっくにオトナだと言われる歳になっている。そもそも豊縁では小夏くらいの歳でも――感覚的・文化的には必ずしもそうではなくまだまだ「コドモ」と見做されることも多いが、少なくとも法的には――成人と見なされる地域が多いくらいだ。だとすると、それより一回り二回りどころではなく年上の清音がオトナでないはずがない、年齢から言えば。必ずその注釈が付いて回るけれど。

じゃあ歳はいいとして、自分の中で自分は「オトナ」なのか。自分に問いかけて、自分がすぐに答えを返せないことに気付いた。別に「オトナ」としての自覚がないわけではない。仕事をして生活の糧を得ている、税金もちゃんと納めている、求められるような「らしい」振る舞いだってしているつもりだ。事あるごとに自分を「オトナ」だと言っている気もする。けれど、では本当に心の底から自分は「オトナ」だと言えるのか。コードレビューを受ける中で自らの言葉で説明できないコードを指摘される、あの時のような気まずさがあった。

今の仕事に就く前……まだ札付きの不良だった頃、自分は何を考えていただろう。当時の感情を覚えていないはずがない。清音は「オトナになんてなりたくない」、そう思っていた。周りのオトナ全員が欺瞞に満ちていて、ただ一人の肉親である兄でさえ自分を蔑ろにしているとばかり考えていた。周りの顔色を窺い、目に見えない「空気」とやらを拝んで、その為なら平気でウソをつく薄っぺらい連中。あの時はすべてが敵に見えていた、清音が振り返る。

かつてのねじ曲がった性根を真っ直ぐに叩き直してくれたのが喜多島先生であり、そして兄だった。二人のおかげで完全にグレてしまうことなく真っ当な人生を歩めている、清音はそこは揺るがないと思っている。けれど、ここで疑問が浮かんでくる。これは――自分で見つけた道だろうか? 恩人ふたりに手を引いてもらって歩いているだけではないのか? 小夏のように「こうしたい」「ああしたい」という明確な自意識・目的意識によるものだろうか? そうして自分で道を選んで歩いてきた人生だろうか?

自分は――まだどこか「コドモ」のままではないだろうか?

(別にそれが何か悪いわけじゃないってことも分かってる。だけど……)

スター団に対する怒りは、もちろん大切な優美に危害を加えた可能性が高いことが一番の要因だ。だが百パーセントすべてがそれに起因するものでもない自覚はある。社会に反抗して、オトナになることを拒んでいる。まるでかつての自分を見ているかのようで、言葉にし難い負の感情が収まらない。

同族嫌悪、その言葉を使うのが一番適切で手っ取り早い気がした。同じ括りに入れられるのは真っ平ごめんだったが、そういった感情を抱くこと自体、無意識のうちに似たものだと認識しているからに他ならないと分かっている。決して同情しないしシンパシーを抱くようなことはないにしろ、どうしてもかつての自分の姿が重なってしまう。形は違えど、助け出そうとしている優美と自分を重ね合わせてしまうのと同じように。

ああ、やめだやめだ、こういうのが一番良くないんだわ。清音が寝返りを打つ。どっちにしろスター団を叩きのめして優美を取り返すことに変わりはない。余計なことを考えるのは止めよう。ちょうど眠気も湧いてきた、このまま眠ってしまおう。清音は思考を打ち切って、瞼が下りるに任せた。

自分が「オトナ」なのか。発端となったその問いには、まだ応えられそうになかったけれども。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。