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#10 あざむく外套/VS.キキーモラ

「そんな……優美が、どうして……!?」

オルティガの側につき、ハンマーを携えて清音を見下ろしていたのは――他の誰でもない優美、本人だったのだ。髪型こそ知っているものと違えど、サングラスを外して露わになった顔立ちはまさしく優美だった。見間違えるはずなどない。他人の空似などあるはずもない。紛れもなく、そこに居たのは優美だったのだ。

チーム・ルクバーのアジト「ネバーランド」、そこに優美がいる。この情報は正しかった。「ネバーランド」では暴力的で危険な女・ウェンディが幅を利かせている、この情報も正しかった。清音たちが頼りにしてここを訪れた情報、それらはいずれも正しかった。だがここでひとつだけ、予想だにしていなかった事実が清音たちに突きつけられた。

あの恐るべき「ハンマー女」ウェンディは――清音たちが今に至るまでずっと捜し求めていた、優美のことだったのだ。

「優美、ちゃん……!?」

「こ、此の様な事が……!?」

小夏とポリアフは驚きのあまり絶句してしまい、もはや二の句を告げることさえできずにいる。小夏もポリアフも優美とは親交が深い、服装を変えて髪型を弄ろうと、彼女の顔を忘れるはずも見間違えるはずもなかった。そう、二人からしても「ウェンディ」はどう見ても優美に他ならず、その事実が彼女らから言葉というものを根こそぎ奪い去ってしまったのだ。

驚愕する一同を目にしたウェンディ……もとい優美の方は、ふん、と鼻で小さく笑って見せて。

「わたしは『優美』じゃない。『ウェンディ』よ」

冷然と、さも当然のように、己を「ウェンディ」だと名乗って見せた。担いだハンマーを肩から下ろして頭部を立っている屋根へそっと突くと、右に立っているオルティガがしている仕草と瓜二つの姿勢をとって見せた。オルティガと優美が目線をしっかり合わせ、息を合わせて小さくうなずく。魔女のような装いの優美が、マジシャンを思わせる風貌のオルティガと共に、トラックの上に作られたステージの上で悠然と清音たちを見下ろしている。それが今まさに、清音たちが見せられている光景なのだ。

ハンマーを振り回す恐ろしい女としてアカデミーに悪名を轟かせていた「ウェンディ」が優美だった。清音も小夏も動揺を隠せない、何から受け入れればいいのか分からず、押し寄せる情報の洪水になすすべもなく流されるばかりだ。二人が言葉を失っているのを見た優美は目つきをいっそう鋭くして、明確な敵意に満ちた――彼女の意思がありありと現れた、ある意味では覇気と生気に満ちた――瞳で、清音と小夏とポリアフを見据えていた。

「三人揃ってこんなところまで、いったい何をしに来たの?」

「たくさんのポケモンを傷付けて……どういうつもりなの」

声色は恐ろしく冷たかった。誰も彼も、優美からこんな声で言葉を掛けられたことなどない。ポリアフや小夏はもちろん、清音だってまったく初めてのことだった。それでいて、声にもハリがある。以前ルミカから聞いたような、心を操られているようなそれではまったくない。それも含めて心を弄ばれているかも知れない、かも知れないが……優美は団員たちのポケモンを傷付けられたことに怒りを露わにしている。立場はともかく、優美がポケモンを傷付けられて怒るということは、至って自然な情動だった。

(なら、どうして……? 優美は、どうして……)

清音は混乱する。優美は「ネバーランド」で捕まっているはずではなかったのか。ウェンディは優美を捜していたはずではないのか。ハンマーを振るってポケモンたちを傷付けていたのではないのか。心ここにあらずといった感じで歩いていたというのはなんだったのか。優美はスター団への誘いを断ったばかりか、その行いを咎めていたのではなかったのか。なぜ今オルティガの隣に立って、しかも彼に明確な協力姿勢を見せているのか。何もわからない、どれ一つとして答えが出せそうになかった。

だが目の前に優美がいる、それもまた確かだ。自分は何のためにここへ来た? 清音がいったん発散するばかりの思考を打ち切って、眼前に立っているのが優美だという事実だけにフォーカスする。ここへ来た理由なんて一つしかない、優美を連れ戻して帰るだけだ。呼びかけなければ、清音はざわつく心を無理やり押さえつけて、優美へ懸命に呼びかける。

「優美、聞いて! ウチはね、優美を迎えに来たのよ!」

「エーテル財団から連絡があったの! どこに行ったか分からなくなったって、それでここまで来たの!」

「隣のマセガキが優美を手放したくないってワガママ抜かしてるなら、ウチがぶちのめしてやるから!」

「ロベリアさんも……あなたを捜してるわ! だから、こっちに――」

帰ってきて。清音がそう言い終えるよりも先に。

「……出ていって」

「何回も言わない」

「今すぐ……ここから出ていって!」

拒絶。優美が清音に示したのは、あまりにも明確な拒絶の意思だった。

「エーテル財団……やっぱり、思った通りだった。最初からそうじゃないかって思ってた」

「わたしをつかまえに来たんだね。財団の人に言われて、元の場所まで連れ戻して来いって……!」

「何も知らずにあの人たちの言いなりになって、チームのみんなを傷付けて……!」

彼女の声色には恐ろしいまでの怒りが、圧倒的な憤怒が、ありったけ込められていた。尋常な有様ではない、普段の優美とはまるで別人のように見えて、意志の強さや負けん気の強さは確かに優美そのもので。清音は二の句が継げない、言葉を完全に失ってしまう。一度無理やり立て直した気持ちが完全にぐらついて、どうすればいいのか、何がどうなっているのか、清音にはもうまったく分からなくなってしまった。

「わたし、ここから帰らない」

「今更何を言ったって……わたし、もう絶対に騙されないよ。ホントにポケモンを守れるのは、わたしたちしかいないから」

「ここから帰るのは、清音さんたちのほうだよ」

「この『ネバーランド』に――オトナの居場所なんて無いんだから!」

色を失った清音に、優美は矢継ぎ早に拒絶と否定の言葉を浴びせかける。

「見て、この花。綺麗だよね。でも、清音さん達には分かりっこないか。財団の言いなりになってるオトナには分かるわけなんかない」

「ここで懸命に咲いてる本物の花よりも、工場で作られた『造花』の方が綺麗だって、その足で花を踏みにじりながら嘲笑うんだ」

「オトナなんてみんなウソつき(phony)。理想なんて口から出まかせ(phony)で、何もかも全部ニセモノ(phony)なんだって分かった」

「だから……わたしは、そんな『オトナ』になるくらいなら、ウソつき(phony)になるくらいなら……」

「わたしはずっと、コドモのままでいる!」

ローブの奥からモンスターボールを取り出し、清音目掛けて突き付けた。それは明らかな対立の意思、対峙の意思、対決の意思に他ならない。優美の姿勢は勝負を仕掛けてきた、ケンカを売ってきた清音に向かって、それを「真っ向から受けてやる」と言い放ったも当然だった。

優美の変貌振りを目の当たりにして隣で絶句していた小夏がようやく我に返り、あまりの事態に愕然としている清音を見る。この異常な状況に自分が動かねばと感じたのだろう、今度は小夏が声を上げて優美に呼びかける。

「帰らないって……どういうこと!? 優美ちゃん、いったい何があったの!?」

清音から目線を逸らした優美が、今度は小夏を視界に捉える。優美の目は清音に向けられたものと同じく非常に険しいもので、見据えられた小夏は思わず背筋に冷たい感覚が走るのを覚えた。優美に一体何があったのか、心臓を引っつかまれた様な感覚に襲われながら、小夏は固唾を呑んで見守る。

「小夏お姉ちゃん、どうしてここにいるの? ここまで来てわたしに何の用事? まさか……財団のお手伝い?」

「どうして……!? 優美ちゃん! みんなすごく心配してるんだよ! わたし達と帰ろうよ! これ以上こんな所にいちゃダメだよ!」

こんな所にいてはいけない。その言葉を聞いた優美の目がカッと見開かれて、怒りがいっそう色濃く浮かぶ。

「……ああ、そっか。小夏お姉ちゃんは、もうコドモじゃないんだ」

「シズクちゃんの子育てをして、カラダもココロもすっかりオトナになっちゃったんだね」

「だったらもう、わたしたちの『敵』だよ」

「オトナになったから、コドモじゃなくなったから、あの時シズクちゃんに向かってしてたみたいに」

「わたしに――『お父さん』みたいなことを言うんだ」

手にしたモンスターボールをひときわ強く握りしめた優美が、小夏とも訣別の意思を明確にする。優美のこれ以上無い拒絶を受けてか、小夏はまた言葉を失ってしまった。優美が「お父さん」という言葉に強く強く重みを込めたのは、彼女が幼くして父親を亡くしたからか、或いは何かまた別の理由があるのか。いずれにせよ、小夏の言葉も今の優美には届かない――それだけは間違いなかった。

そして、小夏に敵意を向けているのは優美だけではなく。

「おい、そこのオマエ。コナツっていうのか。オマエはビワ姉の言ってた『アオイ』じゃないんだな」

「それって、どういう……!」

「まあいいや。オマエがスターダスト大作戦の『アオイ』じゃなかったとしても、手を組んでオレたちの場所を無茶苦茶にして回ってることは変わらないからな」

オルティガもまた、今にも小夏に襲い掛からんばかりの憎悪を向けている。小夏は働かない頭で必死に考えて、自分たち以外にもスター団のアジトを襲撃して潰して回っているという生徒がいたことを思い出す。どうやらそれが「アオイ」という名前らしい。あいにく見ず知らずで一切の面識もないが、自分たちのしていることはまったく同じ。都合の悪いことに、オルティガがお互い手を組んでいると判断しても何の不思議もない状況だった。

「ずいぶんとオトナに都合の良い『優等生』じゃん。ホントムカつくなオマエ」

「けど……今まで通りに行くと思ったら大間違いだぞ! 調子に乗るのもここまでにしろよ!」

優美とオルティガを載せたブロロロームが激しく咆哮し、居並ぶ侵入者たちを強烈に威嚇する。これ以上の対話は不可能、誰の目にも明らかだった。

「マジボスが戻ってくるまで絶対にここを護るって決めたんだ!」

「オトナの味方してるオマエなんかに……潰されてたまるか!」

「オレもウェンディもここから絶対に退かないからな。逃げるときの捨てゼリフ、今からでも考えとけよ!」

オルティガが優美を見やる。優美は立てていたハンマーを上げ、二人の目線が固く結ばれて一本の糸になる。互いの意思を確かめ合うように、二人が深く頷き合った。優美はオルティガに対しては一転して優しい目を向けていて、オルティガもまたこの歳の少年に似つかわしい穏やかな顔をして見せる。やがて優美が携えているのと同じように、オルティガがその懐からゴージャスボールを取り出して見せる。

かたや手先でステッキを器用に繰って回転させ、かたや腕を使ってハンマーを豪快に振り回し――オルティガと優美がまったく同時に、各々の得物を「ネバーランド」へ入り込んだ侵入者たちに向けて突き付けた。

「フェアリータイプのかわいくて残酷なところ、見せてあげましょう! ボス!」

「あざといの食らえ! オレたちのキュートな強さに悶絶しろ!」

清音たちに《宣戦布告》をした二人が、手にしたボールを振りかぶる。くるりと一回転してゴージャスボールを投げつけたオルティガに遅れることなく、優美も振りかぶったフォームからモンスターボールを投擲し、ネバーランドの大地に二体のポケモンが降り立る。

「みんななぎ倒して! キキーモラ!!」

「あいつら全員たたき壊していいぞ! マリルリ!!」

「キィィイイイィィィッ!!」

「ルリィィァァアァアッ!!」

優美のキキーモラ――ミミッキュと、オルティガのマリルリが並び立ち、ブロロロームのそれに勝るとも劣らない、見かけからは想像もできないほどの激しい咆哮を上げて見せた。戦意と敵意、何より殺意がみなぎっている。戦闘は不可避、どちらかが倒れるまで終わらないポケモン勝負へと、否応なくもつれ込もうとしていた。

「……川村殿、小夏。此の有様では、最早優美との対話は成り立たぬ」

「わらわも我が身を以て立ち合う。今は総ての情を捨て、彼の者達と対峙する覚悟をなされよ……!」

眼前で繰り広げられたあまりの優美の変貌ぶりに、頭は真っ白、視界は真っ暗になりかけていた清音と小夏にポリアフが発破を掛ける。このままでは自分たちの命さえ危うい。今はすべての疑問を脇に退けて、眼前に待ち受ける闘争に向かわねばなるまい。

「もうこうなったら徹底的にやるしかないわ。勝負で負かして、優美を大人しくさせなきゃ」

「……分かりました。清音さんだけに背負わせるわけには行きません。だからわたしも……戦います!」

我に返った二人は、未だ優美に対する迷いを捨てきれないことを自覚しつつ、それでも気を張って臨戦態勢を取った。やらなければやられるだけ。話ができないというなら戦うしかない。腹をくくった清音と小夏がモンスターボールを手に取り、キキーモラとマリルリが立つバトルフィールドへと放り投げる。

「カァァァァアアア!!」

「……ふぅおぉう!!」

アーマーガアのティアットと、ルカリオのリオちゃんが飛び出してきた。どちらも表情は真剣そのもの。主が覚悟を決めたことを理解し、相手が優美とその相棒達であろうと容赦はしないという姿勢をハッキリと見せていた。彼らの側にはポリアフも付き、立ちはだかるキキーモラとマリルリとバチバチと火花を散らしていた。

「オレとウェンディがたっぷり可愛がってやるからな、吠え面かいて帰れよ!」

「ケガしても知らないよ? ボスもわたしもコドモだから、オトナの言う『空気』なんて読めないの」

「優美! 何があったか知らないけど、あくまで戦るって言うなら手は抜かないわ! 本気で来なさい!」

「勝負が始まったら、お姉ちゃんも妹も何も無い……勝つか! 負けるか! それだけだから!」

「来るが良い! わらわが悉くを氷塊に変えてくれようぞ! 其れを以て……頭を冷やすが良いわ!」

ステッキとハンマーを突き付けたオルティガと優美が啖呵を切る。清音たちが負けじと応じる。

《スター団の オルティガと 川村優美が 勝負をしかけてきた!》

正しく一触即発の空気の中、清音がティアットにも見えるような形で伸ばした腕をバッと相手に向けた。ターゲットは優美の繰り出したミミッキュのキキーモラ、はなから自分が相手をするつもりでいたのだろう、キキーモラの方もティアットに焦点を絞っている。並ぶマリルリに「ルカリオは任せた」とばかりに尻尾のようなパーツでシグナルを送ると、マリルリはキキーモラを一瞥して迷うことなく頷く。リオちゃんとの距離を詰めるためにキキーモラから離れて飛び掛かると、ティアットとキキーモラが睨み合いに入った。

「位置取り高め、中距離キープ! 搦め手を使ってきそうなツラしてるわ! まずは相手の出方を見て!」

ティアットは清音の指示通り高めにホバリングし、付かず離れずの距離を保ちつつキキーモラが仕掛けてくるのを待った。先ほどまで先手必勝で技をどんどん繰り出していたティアットだが、それはあくまで力量差が明白な相手にのみ有効な戦法。キキーモラの強さは団員連中のポケモンとは見ただけで違うのが分かる。ティアットのようなアーマーガアが本来得意とするのは、相手の攻撃を持ち前の耐久力で受けつつ反撃し、中長期のダメージレースを制する持久戦寄りの戦法にある。

この事は当然、清音も熟知していた。だが相手は清音の手の内をよく知っている優美だ、そこを突き崩す奇策を打ってくるかもしれない。まずは自身の耐久を活かし、相手が何を目論んでいるのかを読む必要がある。ミミッキュがフェアリー・ゴーストの複合タイプであることは知識として持ってはいる、双方のタイプが直接攻撃以上に場をかき乱す技能を得意としていることも。だが、具体的に何をしてくるのかまでは分からない以上、情報を得るべく様子見を入れる必要があると判断した。

「先手必勝! 奇襲だよキキーモラ!」

優美の指示が飛ぶ。清音が優美とキキーモラの方を見ると、そこにキキーモラの姿が見当たらない。ゴーストタイプのポケモンが不意に姿を消す、これだけで清音は何を仕掛けてきたかを理解した。打てる手はこれしかない、清音が「飛んで!」と声を張り上げる。

キィイイッ、と甲高い声を上げて、ティアットの「影」から突然何者かが飛び出してきた。それがキキーモラであることは言うまでもない。ティアットは空中で素早く身を翻し、影から這い出てきたキキーモラの一撃を回避する。自分の影に潜り込み相手の影から飛び出す攻防一体の攻撃、物理攻撃能力に秀でたゴーストポケモンがよく使う、スピードに優れた奇襲技「かげうち」の型だ。牽制・奇襲・反撃――スピード重視ゆえにダメージは少ないが、様々なシチュエーションで機能する厄介な技と言える。

(ミミッキュ……あの子、本当に優美なのね)

以前優美の同級生と話した時のことを思い出す。優美はパルデアでミミッキュを仲間にしていたこと、そのミミッキュが同級生が繰り出したポケモンたちを瞬く間に薙ぎ倒してしまったこと。今この瞬間相手をしているのはそのミミッキュで間違いない。眼前に立つ「ウェンディ」と名乗る少女が紛れもなく優美で、そして自分が優美と対峙していることをまざまざと見せつけられる。なぜこんなことになったのか? ともするとそればかり考えてしまいそうなところを、清音が現状だけに集中しようと躍起になる。

ティアットがキキーモラから距離を取り、中間距離をキープする。「かげうち」である程度距離を無視して攻撃できるとは言え、ミミッキュが得意とする間合いは近距離だ。自分に得意な間合いを保ちつつ相手の立ち回りにくい距離を探す、これに関しては飛行により機動力に長けるティアットが文字通り上回っていた。

「ヤツの本性を暴いてやりなさい! ティアット、速攻よ!」

優美が場に出しているミミッキュには、他のポケモンにはない非常に風変わりな「特性」がある――同級生たちが言っていたことだ。その名も「ばけのかわ」。ミミッキュはまるでピカチュウのパペットのごとき外見をしているが、それはミミッキュ自身が作った外套に過ぎない。だがその外套があらゆる攻撃を一度だけ受け止めて無力化してしまうという。言ってしまえばただの襤褸切れになぜそんあ強靭な防御性能が備わっているのかと思う向きもあるだろうが、ミミッキュはフェアリーとゴーストの複合タイプだ。人間の常識など罷り通るはずもない。

いずれにせよ、その「ばけのかわ」を引き剝がさないことにはまともなダメージを与えられない。清音とティアットはスピード重視の攻撃でもって、まずはその厄介な防御性能を削ぐことを選択した。風を切って飛ぶ音が聞こえたかと思うと、ティアットがキキーモラへ一気にアプローチして、その鋼の翼で一閃した。正確性と速度に秀でた「つばめがえし」だ。キキーモラの首を刎ねるかのような勢いで強打し、確かに手ごたえを得る。

ぽきり。固いものが折れる乾いた音が響く。ミミッキュの上半身、ピカチュウの頭部を模した部分を支える支柱がぽっきりと折れた。くたり、と首が傾き、生物としてはあり得ない様態を見せる。元々どこか薄気味悪い姿をしているミミッキュだが、「ばけのかわ」が剥がれた今のキキーモラは端的に「不気味」と言っていい姿だった。

「――キイイィイイイイイイィイイーッ!!」

攻撃を受けてキキーモラが激昂する。間髪入れず優美が「仕掛けて!」と後押しする。優美もキキーモラも本気だ、ともするとこちらをねじ伏せんばかりの勢いで攻め立ててくる。誰かに言われたから、誰かに強いられたから、そんな受動的な動きでは断じてない。紛れもなく「自分の意思」に基づくものだ。指示の迷いの無さ、眼前の敵を仕留めんとする姿勢はポケモントレーナーとしてあるべき姿なのは分かる。なぜそこまでして戦うのか、スター団で一体何があったのか、それが理解できなかった。いわゆる――かつての自分のような反抗期なのか、それとも何か別の事情があるのか。

何があったにしろ、優美とキキーモラに容赦がないことだけは見ればわかる。本気でやらなければやられる、戦わなければこの先の未来はない。キキーモラの一挙手一投足に目を配りながら、清音がティアットの死角をカバーすべく全神経を集中させる。

「相手のガードが下がったわ、得意技を使って!」

外套が機能しなくなったのを好機と見て、清音とティアットが攻勢に打って出る。硬化させた頭部を突き出して突進する「アイアンヘッド」の構えだ。「ばけのかわ」が剥がれたキキーモラが受ければ一溜まりも無い、弱点は突けるときに突くべし。兄の教えを思い出し、清音が打って出る。

だがここでキキーモラは思いも寄らぬ動きを見せた。折られた首をブンと勢いよく振り回すと、遠心力を生み出して大きなサイドステップを繰り出したのだ。ティアットの攻撃はスピードがあるとは言え直線的、それを読み切って紙一重の所で躱してそのまま背後を取る。勢いを付けていたティアットは速度を殺しきれず、無防備な背中を曝してしまう。

「早業! 引き裂いて!」

懐に隠していたどす黒い爪が飛び出し、キキーモラがティアットの背を素早く引っ掻いた。「シャドークロー」と呼ばれる技だ。優美はここで多少ダメージを落としても、速度を取って攻撃を加えることを選択した。ティアットの黒鉄の羽が散り、爪の軌跡に僅かに赤い血が滲む。攻撃を受けたもののティアットの闘志は揺らいでおらず、怒りを露わにして雄叫びを上げた。

ティアットとキキーモラが一進一退の攻防を繰り広げている側で、小夏の繰り出したリオちゃんとポリアフ、そしてオルティガが従えるマリルリもまた激しい戦いを繰り広げていた。

「ショータイムだ! 無粋なアイツらにオマエの愛嬌を見せつけちゃえ!」

「ルリィイァアァァアアア!!」

ともすると別のポケモンかと錯覚しかねないほどの驚くべき叫喚を上げたマリルリが激流を起こし、その勢いに乗じて猛突進してきた。マリルリ種が総じて得意とする「アクアジェット」そのものだ。小夏もリオちゃんも初手はこの技と読んでいたのだろう、とっさに「身を任せて!」と叫ぶと、リオちゃんは目を見開いてマリルリをしっかりと捉える。

マリルリがリオちゃんにインパクトする瞬間、リオちゃんがその姿を消す。相手の背後へ回り込んだかと思うと、「アクアジェット」の速度を借りて背中へキックを仕掛ける。ヒットしたか、と小夏が拳を握るが、今度はマリルリが力任せに「アクアテール」をぶん回した。リオちゃんの蹴りを同じくらい重い一撃で完全に相殺すると、空中で受け身を取ってリオちゃんに向き直る。仕切り直しだ。

「踏み込まれない様に距離を取ろう! 『しんくうは』を撃てるくらいがいいね!」

「来い! 貴様の目論みごと引き裂いてくれようぞ!」

ポリアフは両手の爪をかき鳴らしてマリルリを挑発し、自分に意識を向けさせることでリオちゃんが遠距離攻撃に専念できる態勢を作った。バク転して即座に距離を作ると、波動を練ったリオちゃんが「しんくうは」を放つ。正面から受けたマリルリに大したダメージは入っていないが、完全に無傷というわけにも行かないようだ。 煩わしそうな顔をしている。

接近目的の「アクアジェット」を使い、そこから大量の水を纏ったパンチの一撃「アクアブレイク」や、両腕で相手に掴みかかる「じゃれつく」をどんどん繰り出すマリルリをポリアフがいなす横で、リオちゃんは決して付き合わずに手堅く遠距離攻撃で立ち回った。波動を球体に纏めた「はどうだん」、指向性を持って直進させる「ラスターカノン」、それらを駆使して少しずつダメージを積み重ねる。ポリアフも「つららばり」で確実に傷を増やし、時折「つららおとし」を使ってマリルリの進路を阻む。マリルリの間合いに入らないことを徹底した。

「……ルゥリイイィィイイイイ!!」

挑発を受け、小技でダメージを蓄積させられたマリルリはいよいよもって興奮し、両腕をわなわなと震わせている。マリルリは基本的に温厚なポケモンだが、戦闘に際しては想像以上の獰猛性を発揮することでも知られている。オルティガの個体もその例に漏れないのは確かだ。近くにあったポリアフの氷柱をパンチの一撃で木っ端微塵に粉砕すると、「次はお前だ」と言わんばかりにぎらついた目を向けてきた。

「なんだよ、サムい動きだな。これじゃ観客の熱が冷めちゃうだろ。マリルリ! 力業のイリュージョンだ!」

何発目かの「はどうだん」を構えたのを見た瞬間、マリルリが水を纏わせた尻尾を地面に叩き付け、その反動で大きく「とびはねる」。さらに空中で水を噴き出して軌道を変えると、自重を乗せた一撃をリオちゃんに見舞わんと襲い掛かった。

反応が遅れてしまい回避が間に合わないと見た小夏は「受けて!」と指示し、リオちゃんは攻撃のために練っていた波動をギリギリの所で防御に転用する。両腕でマリルリのハンマーパンチを受けたリオちゃんが大きくノックバックし、地面を凍結させながら背中に滑り込んだポリアフが倒れ込まないよう懸命に支える。波動で衝撃を和らげていても無視できないレベルのダメージだ、改めてマリルリの膂力を見せつけられた格好だ。

小夏がポリアフに目を向ける。ポリアフはすぐに気付いて小夏と視線を合わせた。対峙しているマリルリはいっそう奮起し、口元に不敵な笑みを浮かべている。かなりの強敵だ、小夏もポリアフも認識していたことだった。

「彼奴の目を見たか。野生のワイ・ラパキも敵わぬ程の獰猛さだが――乱心はして居らぬ」

「分かります。ここから絶対に退かないぞ、そんな気持ちが……信念が伝わってきます」

「……然り。闇雲に力を頼みに暴れ狂うだけの獣では無い様だ。侭ならぬ物よ」

そしてもう一つ、二人がどちらも感じていることがある。それはマリルリの姿勢だった。容赦のない攻撃性を発揮してリオちゃんとポリアフに攻勢をかけているが、その瞳に濁りや淀みは見られない。怒りを宿しつつも理性をもってまっすぐに二人を見据え、あくまで「勝負」で決着を付けようとしている。スター団が聞き及んでいたようなならず者の集団なら、必然的に連れているポケモンの性根も歪みそうなものだが、件のマリルリからはどうもそのような様子は伺えない。パワフルな技を矢継ぎ早に繰り出し、先ほど披露した「とびはねる」のように身体能力を生かした奇襲や強襲もガンガン仕掛けては来る。強敵であることは間違いない。

けれど――どこか違和感を覚えずにはいられなかった。

「よし、そこでサイドステップ! マリルリの正面は空けておこうね!」

「貴様の相手はわらわよ、此処を死地と定めよ!」

再び距離を置いてさらに正面から向かい合うのを避けるリオちゃんと、彼女をサポートすべくマリルリをかく乱するポリアフ。ポリアフが大地を強く踏みしめると、そこから逆立った氷柱が次々に生じていく。回避するのはたやすい技で、マリルリも余裕をもって避けはしたものの、必然的にリオちゃんとさらに間合いが離れることになる。この攻撃は相手に当てることを意図したものではない。ラインを下げさせるのがポリアフの狙いだった。

そこへ「はどうだん」「しんくうは」が飛んでくる。細かなダメージを幾度も受けて、マリルリも疲労の色が隠せなくなってきた。怒りに任せて「アクアジェット」で突っ込んだところへタイミングを合わせた「ローキック」を受け、直撃したマリルリが負傷する。なかなか有効打を与えられず、さらには脚にダメージを受けて機動力までも削がれてしまったこの状況に、オルティガも苛立ちを隠せない。無論その怒りの感情は、得意な間合いに入ってこない敵二人に向けられていた。

「はあ!? こざかしいことばっかしやがって! 意気地なしもいい加減にしろよ!」

執拗に遠距離戦を続ける相手に、とうとうその声を荒らげた。ステッキを握りしめてへし折らんばかりに力を込める。小夏とポリアフは「チャンスだ」とアイコンタクトを取る。怒りは判断を鈍らせ狂わせる。躍起になって突っ込んできたところへカウンターをお見舞いする――リオちゃんが最初に見せた戦法だが、実はこれこそ本命だった。初回はすんでのところで防がれてしまったが、相手を怒らせた今なら狙える余地がある。小夏は密かに戦法を変え、マリルリを倒すプランを立て始めた。

ところがここで小夏の計算が狂う。モノに八つ当たりするほど怒っていたオルティガがふと隣に目線をやって、並び立つ優美の姿を見る。険しい顔つきをして清音及びティアットと遣り合っていた優美が、自分に向けられた視線にすぐ気が付いて一瞬表情を和らげ、オルティガに微笑んで見せた。するとどうだろう、悔しさと憎しみに歪んでいた彼の顔つきが瞬く間に元の端正なものに戻り、失っていたはずの余裕をすっかり取り戻してしまったのだ。トレーナーの表情を読んで心理戦を行う小夏にとっては、これは思いも寄らぬ展開だった。

「勝負はここからだぞ! かわいい顔してなんでもぶっ壊す! 『ちからもち』に身をよじれ!」

あっという間に冷静さを取り戻したオルティガが声を上げると、マリルリがさらなる奮起を見せる。相手のミスを誘発して勝負を決めようと思っていたが、これでは上手く行きそうにない。従えているマリルリの練度と信頼も相当なもので、相手はどうやらただの「お坊ちゃん」というわけではなさそうだ。リオちゃんもそれなりにダメージを受け、長期戦の影響で体力の消耗も少なくない。小夏は気持ちを切り替え、再び相手の隙を窺うことにした。

翻って清音とティアット、優美とキキーモラの様子はいかほどか。一撃を叩き込みたいティアットと、トリッキーな動きでペースをつかませないキキーモラの動きが悪い意味で噛み合ってしまい、清音は攻めあぐねていた。ここで盤面をひっくり返す手を打ちたい。相手の隙は小さく、攻撃を回避してばかりでは効果的なダメージを与えられない。ここは今一度基本に立ち返って、ティアットの――アーマーガアの種族としての持ち味を生かすべきだ。即ち。

(……肉を切らせて骨を断つ、ってワケね)

受けて! 清音の鋭い指示が飛ぶ。瞬時に意図を察したティアットが全身を震わせ、「てっぺき」の構えを取った。これを優美はどう見たか、動き回っていたティアットが足を止めたのを隙ができたと判断したようだ、グッと一歩前に踏み込んで声を張り上げた。

「ここで力業! 羽ごと全部引き裂いちゃえ!」

忍ばせていた影の手を引きずりだし、キキーモラがティアットへ襲い掛かった。先ほどとは打って変わって、フォロースルーが大きくなる代償として威力を高めた一撃を繰り出そうとしている。清音は敢えてそれを正面から受ける作戦を採った。そのための「てっぺき」の構えだ。折れた首をぶん回した遠心力を使ってキキーモラが一息にティアットへ接近し、闇の力を帯びた爪を一思いに降り下ろした。

キキーモラの斬撃をティアットが正面から受ける。力の入った斬撃がティアットの翼を切り裂き、辺りに赤黒い羽がいくつも飛び散る。キキーモラは手応えがあったと言わんばかりの顔をしているが、そのためかティアットの瞳から闘志が消えていないことに気付くのが一瞬遅れた。力いっぱい振り被ったぶん大きな後隙が生じたキキーモラを、ティアットが猛禽類らしい鋭い視線で射貫く。

「クァアアアァーッ!!」

受けた衝撃を反動にして、ティアットが全力の突撃を仕掛けた。「てっぺき」を用いて被ダメージを減らし、相手の攻撃を受けきったところで返しの一撃を叩き込む。これこそがティアットの狙いだった。優美とキキーモラが気付いた時には、既にティアットの頑強な頭がキキーモラを大きく吹き飛ばしていた。化けの皮が剝がれたキキーモラを護るものは最早何もなく、弱点を突かれたキキーモラが致命傷を受ける。

だがここで手を緩めて粘られては困る、清音がさらに険しい顔をして「ダウンさせて!」とティアットへ命じる。ティアットは急加速して吹き飛んだキキーモラを両脚の爪で引っ掴み、大きな翼をはばたかせて空高く飛び上がる。そしてキキーモラを下にした状態で不意にホバリングをやめて急降下し、高所から落ちる勢いと自身の体重を加えて思い切り地面へねじ伏せた。特に型のある技ではないが、地域によっては「フリーフォール」と呼ばれているものに近い。ただし「フリーフォール」の正しい形は、連れ去った相手を空中から落っことすというもので、自分も一緒に落ちてダメージを与えるティアットのそれとはやや趣が異なる。

「……ありがとう、キキーモラ。戻ってきて!」

二度に渡って大きなダメージを受けてしまい、相性不利をものともせずに健闘していたキキーモラもさすがに目を回してダウンしてしまう。戦闘不能と判断した優美がモンスターボールをかざしてキキーモラを引っ込めた。どうにか一体目を退けた清音とティアットだったが、優美は間を開けず次のボールを構えて見せる。ここまでの展開でティアットが受けたダメージも決して少なくなく、決して有利とは言えない状況にあった。

もう一方のリオちゃんとマリルリの勝負も大詰めに入っていた。双方ともかなりの手傷を負っており、肩で息をしているのがはっきりと分かる。元より相手を苛烈に攻め立てていたマリルリはもちろん、ここまで待ち気味に立ち回っていたリオちゃんもしびれを切らしつつあった。早急に決着を付けねば、小夏もオルティガもその気持ちでは一致を見ていた。

「無粋な役者は退場だ! エンドロールを見せてやれ!」

オルティガの指示を聞き終えるや否や、マリルリが全速力で突っ込んでくる。脚の負傷をものともしない突撃、裏を返すと決死の特攻とも言える。絶対にこの一撃で決める、意思の伝わってくる攻撃を目の当たりにした小夏は、反射的に「迎え撃って!」と声を上げた。リオちゃんが瞬時に波動を練って右手にまとわせると、マリルリに勝るとも劣らぬスピードで猛進する。

ずどん、鈍く響く大きな衝撃音がした。リオちゃんの拳の一撃――「バレットパンチ」と呼ばれる型だ――と、マリルリの「アクアジェット」が正面衝突したのだ。一瞬の後マリルリが吹き飛び、地面へころころ転がって仰向けに倒れる。蓄積されたダメージとリオちゃんの渾身の一撃でついに昏倒し、キキーモラと同じく目を回して気絶してしまった。オルティガが悔しそうな表情を浮かべてマリルリを戻す。どうにか第一ラウンドは取った形だ。

「よくがんばったね! 交代だよ、リオちゃん!」

しかしリオちゃんが受けたダメージも甚大だった。あちこちに傷を負ったうえ、最後の一撃で右腕を負傷、本領を発揮できなくなってしまった。これ以上無理はさせられない、小夏はリオちゃんを交代させる選択を取った。オルティガとは痛み分けの形、清音と同じく有利とは言い難い。

まるで空に立ちこめる暗雲のごとく、どちらにとっても先の見通せない戦いが続いていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。