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#11 鉄槌下す女帝/VS.ティンク

次のモンスターボールを手に、優美が隣に立つオルティガに目をやる。彼も次のポケモンをスタンバイさせていた。両者が前を向くと、同時にボールが宙を舞った。

「さあ、頼んだよ! ティンク!」

優美のモンスターボールから飛び出してきたのは「ティンク」と名付けられたポケモンだった。すべてのポケモンに固有のニックネームを付ける優美のことだから、恐らく「ティンク」というのは種族名ではないだろう。だが今はそんなことはどうでもよかった。現れたポケモンの容姿――正確には、そいつが携えていたものが大問題だった。

「思いっきり暴れよう! 悪いオトナたちをぺちゃんこにしちゃえ!」

あいつだ! ハンマーのあいつだ――清音と小夏が瞬時に理解し、そして戦慄する。「ティンク」は手にハンマーを握りしめている、それも人間が振るうトンカチのようなかわいいものではない。あらゆる物を粉砕してしまうとてつもないデカさのハンマーだ。そう、紛れもなく「あいつ」だった。小夏が清音に見せた写真に映っていた、あの巨大なハンマーを担いだ例のポケモンが立っていたのだ。

「ぢゃああああぁあぁぁあん!」

ハンマーを大きく振りかぶって地面に叩き付け、お腹から声を出しているのが一目見て分かる大きな咆哮が轟く。辺りに響く重低音、清音は思わず胃がすくむのを感じずにはいられなかった。まさか優美があんな凶悪なポケモンを連れていたなんて、ウェンディの正体が優美だと言われた時からこうなることは頭では分かっていたけれど、こうして実物をまじまじと見せられるとショックだった。優美にいったい何があったのか、清音は混乱するばかりだった。

「たっぷり味わえ! バウッツェル、出陣だ!」

一方のオルティガが繰り出したのはバウッツェルというポケモンだった。丁寧に焼き上げたパンをくっつけて、犬のカタチを作り上げたかのようなフォルムをしている。天に向かって大きく吠えると、牙を見せて戦意を露わにする。向かい合う小夏にとっては見たことも聞いたこともないポケモン、まったく未知の存在だ。

ただ、オルティガがフェアリーポケモンの使い手であることを踏まえると、少なくともフェアリータイプを有していることは間違いなさそうだった。戦闘では往々にして予測や予想で次の動きを決めなければならないことがある、今回もそういうことだ。相性有利なポケモンを導きだし、小夏が決然と次のボールを手にする。

「行っておいで! カルちゃん!」

飛び出してきたのはカルちゃん、ソウブレイズだ。両腕が青い炎に包まれた剣のような形状をしている、さながら「幽霊騎士」のごとき風貌のポケモンだ。パルデアの地で出会った「カルボウ」というほのおタイプのポケモンを小夏が育てたもので、知り合いから「貰ったんだけどなんだか怖いから」とたまたま譲り受けた古めかしいヨロイを身に着けて進化を遂げた。もちろん、小夏との信頼関係はバッチリだ。

まるで霧(ミスト)のような幻惑を伴うフェアリーの攻撃は、確かな熱と光を生み出し続ける炎の前には効果が薄くなる。相手の動き方を見る時間を作りたい以上、防御に回ることが多くなるだろう、守りは堅いに越したことはない。それを踏まえると、厚い鎧と青白い炎で身を固めたソウブレイズのカルちゃんはまさに適任と言えた。カルちゃんとバウッツェルが互いに怯むことなく睨み合う。

そして――ティアットと共に、ハンマーを持ったあのポケモンと対峙している清音の方はと言うと。

「こいつ……イヤな目をしてるわ。品定めでもしてるみたいじゃない」

ティンクからティアットへ向けられる視線にうすら寒いものを感じていた。単なる敵意ではない、それよりももっと仄暗い感情を帯びた目をしている。あのポケモンがティアットにどんな感情を抱いているのか、顔つきからだけでは読み取れそうにない。さらに恐るべきは手にした黒光りするハンマーで、写真で見たそれよりも何倍も大きく凶悪に見えた。あんなものを食らえばひとたまりもあるまい。

わらわが共に行こう、キキーモラとの戦いでダメージを受けたティアットをカバーすべく、ポリアフが彼女の隣に付く。ティンクの異様な雰囲気にポリアフの警戒心は高まる一方だ。二人と対峙してもティンクの余裕は一向に崩れず、巨大なハンマーを片手で弄んでティアットとポリアフを挑発して見せる。

「ふふっ。清音さんがティアットを連れててちょうどよかった」

「この子……アーマーガアに目がないの。たっぷりかわいがってくれるよ! ボロボロになるまでね!」

振り返ったティンクが優美と頷きあうのが見える。二人の信頼関係は確かなようだ。故にまったく油断できない。こんなポケモンとさえ心を結んでしまうのは優美が成せるワザと言えるかもしれないが、今このシチュエーションにおいては清音のマイナスにしかならないのは確かだった。

ティンクが醸し出す圧倒的な威圧感は隣の小夏にも勿論伝わってくる。バウッツェルと見合っていてもなおハンマーがチラついて、唐突にこちらへ奇襲を仕掛けてくるかもしれないという考えがひっきりなしに浮かんでくる。何らかの手を打てるなら打っておいた方がいい。ソウブレイズのカルちゃんを繰り出したのはバウッツェルを足止めしてサポートさせないという意図もあったが、小夏の考えはそれだけではなかった。

「カルちゃん! まずは守りを固めるよ! みんなを護って!」

小夏が指示を出すと、カルちゃんは炎を纏わせた双剣を交差させたのちに正方形を描くジェスチャーをする。蒼炎が描いた軌跡がカタチを成し、小夏たちの陣の前に半透明の壁が作り上げられた。「リフレクター」だ。物理攻撃に反応してダメージを軽減させる効果があり、ハンマーをぶん回すティンクに対抗するための防御技だ。これを以てしてもティンクの攻撃を防ぎ切れるとは思えなかったが、その一助となるだろう。

バウッツェルから目を離してはならないが、ティンクにはそれ以上の注意を払わねばならない――小夏もカルちゃんも考えは同じだ。今この瞬間ティアットに向いているターゲットが突然こっちに向くようなアクシデントも考えておく必要がある。あの物騒なハンマーには、それほどまでに神経を使わせる圧力があった。

「やぁぁああぁあっ!」

仕掛けたのはティンクだった。馬鹿でかいハンマーを担いでいるとは思えないほど軽快な動きを見せつつ、重量任せの一撃を繰り出してくる。ティアットは引き付けずに早いうちに回避を選択した。いくら相手の攻撃を受けて返すのが身上と言えど、あんなデカブツをマトモに受けてしまっては一撃で倒されかねない。それだけは避けなければならない事態だった。ぶぉん、ハンマーが風を切る音がやたらと大きく響く。清音も思わず肝を冷やす威力だった。

ティアットに向かって矢継ぎ早に攻撃が繰り出される。振り下ろし、振り上げ、突き、横スイング……ティンクのコンビネーションは止まらない。力任せにハンマーを振り回しているように見えて、その実確実にティアットを狙って攻め立てている。これはいけない、ポリアフが攻撃をカットして援護に入ろうとするが、ティンクは両手でハンマーを構えてジャイアントスイングよろしく大回転して見せる。生じた暴風でポリアフが吹き飛ばされ、背中から地面にたたきつけられてしまった。針のおかげで衝撃が緩和されたとはいえ、ポリアフは思わず顔を顰めた。

黒鉄の大槌が袈裟斬りに振り上げられ、あわやティアットに直撃という位置を掠める。巻き起こされた颶風でティアットの羽が幾らか抜けて吹き飛ばされて辺りに舞い散る。そのうちの一枚がティンクの足元へはらりと落ちる。ティンクがおもむろに拾い上げてしげしげと見つめ、にやあ……と歯を見せて凄みある笑みを浮かべた。言い知れぬ恐怖とはこのことか、清音は不規則になる鼓動を抑えることができなかった。

「さっきよりも距離を取って! 直撃だけは避けるのよ!」

小夏のカルちゃんが展開してくれたリフレクターを頼みに打開策を探る。下手な攻撃はハンマーに返り討ちに合うだろう、しかしあんな巨大な武器を全力で振り回して息が上がる様子すら見せない以上、持久戦はいっそう分が悪いだろう。隙を見つけて打撃を叩き込むしか道はない。リフレクターがあれば少しは強気に出られるだろうか、清音はそんな算段を立てていた。

だがここでオルティガが動く。ステッキをくるくると回して前へ突き出したかと思うと、繰り出したバウッツェルへ指示を飛ばした。

「狭苦しいステージはつまんないな。壁なんて取っ払っちゃえ!」

バウッツェルが大きく口を開けて見せると、露わになった牙に靄のような力が宿っていく。あの構えは見覚えがある。いけない! 小夏が思わず目を見開いた。

「カルちゃん! 『むねんのつるぎ』! 急いでお願い!」

あの攻撃を出させてはいけない、小夏はスピード重視で攻撃指示を出すと、カルちゃんが素早く剣に炎を纏わせてバウッツェルを急襲する。ソウブレイズの得意技「むねんのつるぎ」だ。燃え上がらせた火炎が相手を切り裂き、生命力を奪い取る強力な技だ。急ぎゆえに本来の威力は発揮できないが、ここは相手の攻撃を妨害するのが目的。刃に火を滾らせたカルちゃんが勢いに任せて切りかかった。

カルちゃんが描く蒼炎の軌跡、それがバウッツェルを確かに捉える。だが攻撃を受けたはずのバウッツェルは涼しい顔で、「むねんのつるぎ」の一撃にもまるで動じていない。動じていないというより、その場からまったく動いた様子すら見せなかった。小夏が困惑する、なぜ? カルちゃんの攻撃が当たったはずなのに、どうして? 戸惑う小夏の心境を見透かしたように、オルティガが底意地の悪い笑みを浮かべた。

「オマエにはタネが見抜けなかったみたいだな! いい気味だぜ!」

何にも妨害されることなく力を蓄え、大口を開けたバウッツェルが勢いよく空に噛み付いた。直後、小夏たちを護っていたリフレクターが木っ端微塵に吹き飛んでしまった。「サイコファング」だ。リフレクターや光の壁の「急所」を突くことで壁を破壊し、相手の防御状態を解除してしまう特性を持つ厄介な技だ。ティンクを重く見た清音たちが、リフレクターで守りを固めることを見越して予めバウッツェルに仕込んでおいたに違いない。オルティガと優美の連携はかなり高度なところで取れているようだった。

キラキラ輝くリフレクターの残骸が吹き飛んできてティアットが思わず怯む。その隙を見逃すような慈悲はティンクには無かった。大地を蹴って一気にティアット目掛けてアプローチすると、下から上へ大きくハンマーを振り上げた。

「ティアット!!」

辺りに黒い羽が無数に舞い散った。ティンクのハンマーが直撃し、ティアットが大きく吹き飛ばされてしまう。地面に叩きつけられたティアットは立ち上がることすらできず、これ以上の戦闘継続は不可能だった。キキーモラからダメージを受けていたとはいえ、防御能力に秀でたアーマーガアのティアットを一撃で倒してしまうとは。ティンクの持つ力たるや恐ろしいにもほどがあった。隣ではポリアフも負傷してしまっている。厄介極まりない相手だ。

よく頑張ったわ、戻って休んでちょうだい。清音がティアットを引っ込めると、もう一つのモンスターボールを掴んだ。相棒たるティアットは倒された、けれどここで終わるわけにはいかない。優美を打ち負かして連れ戻さなければここまで来た意味がない。勝負はここからだ、清音が自分を奮い立たせる。ボールを勢いよくぶん投げると、もう一体の相棒であるハイドロが臨戦態勢で飛び出した。

「カルちゃん、一度戻ろう!」

小夏もソウブレイズのカルちゃんを手元へ戻した。炎技を無効化するバウッツェルが相手とあっては絶望的に相性が悪い。しかもどうやらただ無効化しただけではなく、受けた炎を逆利用して全身を硬化させ、自身の防御能力を高めたように見える。明らかに見た目が「堅そう」になっているのだ。恐らくソウブレイズが持つ「もらいび」に似た能力で、攻撃ではなく防御へ転用する特性と見た。潔く退いてより有利なポケモンをぶつけよう、小夏は瞬時に判断を下した。

お願いするよ、ミドちゃん! 代わって登場したのはドラミドロのミドちゃんだった。フェアリータイプの弱点を突ける毒技を持ち、さらに物理防御を無視して攻撃できる技を得意としている。この状況では最適解と言えた。

「みすぼらしいポケモンだな! オレたちの得意技を浴びて退散しろ!」

ミドちゃんの出現を見計らったかのように、オルティガがバウッツェルに攻撃を仕掛けさせた。無数のまばゆい光がミドちゃんを貫いて鋭い痛みをもたらす。ドラミドロが持つ毒素は先天的にフェアリータイプ攻撃の威力を低く抑えられる効能を持つが、フェアリーに弱点を突かれるドラゴンタイプも複合しているゆえに帳消しでそれなりのダメージを受けてしまう。小夏は焦る気持ちを抑え、今はミドちゃんに辛抱してもらうことにした。

一進一退の攻防が続く戦いの中で、清音とポリアフはティンクを攻略する糸口を懸命に探っていた。なんといってもハンマーがあまりにも痛い。しかも攻撃のためだけでなく、その頑丈さを活かした「盾」としても積極的に用いてくる。武器を使いこなすポケモンは他にもカラカラやカモネギなどいくらか存在するが、ティンクはそれらに勝るとも劣らない多芸さを見せつけてきていた。それにしてもあのハンマーはどこから調達したのか、まさか自分で作ったとでも言うのだろうか? だとしたらただの力任せに暴れるケダモノではない、膂力と暴力性に加えて厄介な知性までも兼ね備えた、まさしく「狩人」と呼ぶべきだろう。

「正面から受けないで。攻撃で攻撃をいなすのよ!」

ティアットをぶちのめした一撃を愛ければ、筋骨隆々たる肉体を誇るハイドロとて無事では済まない。「アクアブレイク」や「だいちのちから」を攻撃ではなく防御目的で繰り出し、ティンクに水泡や隆起した地面を殴らせることで直撃を避ける。さながら刀同士の鍔迫り合いのようだが、ティンクの一撃はこちらの刀を毎度毎度一撃で粉砕してくる。ただそこにいるだけで気持ちを牽制してくる、非常に戦いにくい相手だった。

ハイドロと共に狙われているポリアフは相手の攻撃を回避することに専念しつつ、密かに自身の爪を研いで攻撃に備えていた。ポリアフは氷を用いた技も得意とするが、一方で爪は鋼鉄に近い材質でできている。フェアリーが毒攻撃を苦手とするのは以前話した通りだが、それと同じく、あたかも幻想を切り裂くかの如く現実味を帯びた鋼の攻撃にも脆さを抱えている。優美が繰り出した以上あのポケモンもフェアリータイプだと見るべきだろう。だとすると――こちらに有効打はある。ポリアフの見立てだった。

「いいよ、ティンク! 『ネバーランド』から悪いオトナたちを追い出しちゃえ! 清音さんもポリアフさんも……両方とも!」

「ちゃあぁあ!」

重厚なハンマーを軽々とぶん回し、相手を攻撃するたびにけらけらと笑う。ティンクは紛れもなく凶暴でとんでもない攻撃性を見せつけてくる。清音とポリアフの知っている優美とはまるで正反対のポケモンなのだが、当の優美の方はティンクに全幅の信頼を置いているのがありありと見て取れた。攻撃するたびに歓声を上げ、ティンクの背中を後押しする言葉を惜しまない。そしてティンクの方もちらりと優美に視線を向けては、自分の活躍をしっかり見てくれていることを確かめて嬉しそうに頷いている。

清音は思う。どうやら二人の信頼関係は、自分とティアット、あるいはハイドロとのそれに匹敵する。あの狂気と凶器が自分たちに向けられていなければ素直に腹の底から優美の成長を喜べただろうが、残念ながらそうはいかない。優美は自分たちに敵対し、ティンクをさし向けて全力で排除しようとしている。幼い頃から遊んで親しんだティアットにさえ容赦しなかったのだ。打撃を相殺して受け続けているハイドロを見る限り、闘争心は未だ少しも揺らいでいないのも分かる。

なぜ? どうして? 清音は戦いの中で生じた迷いを振り払おうと躍起になっていた。優美に何があればこんな状況――スター団に所属し、さらにボスの右腕にまでのし上がり、強力なポケモンと組んで自分たちを撃退しようとする――になってしまうのか、清音には皆目見当も付かなかった。優美は「オトナはウソつきだ」と言っていた、あれに何かヒントがあるのではないかと思うが、それにしても「どうして」という気持ちが強すぎる。

「ねえ、優美! どうしてなの!? いったい何があったって言うの!? 話してくれないと分からないわ!」

無意識のうちに清音は叫んでいた。言わずにはいられない、訊かずにはいられない。

「……『ネバーランド』から出ていって。清音さんには関係ないよ。わたしに構わないで、大人しく豊縁に帰って」

けれど、優美の答えは変わらず冷たい拒絶だった。今ここで起きていることは清音と関係ないことだ、ここからすぐに出て行け。何があったのか知る由もないが、こうまで言われてしまってはさすがに清音の堪忍袋も切れてしまった。思わず一歩前に出て、ずしんと大地を踏みしめる。

「優美……! この分からず屋! ウチだけじゃなくて義姉さんや優真だってあんたのこと心配してるのよ!」

「小夏ちゃんだってそう! こんな辺鄙なところまで付いてきてくれたんだから分かるでしょ!?」

「なのにどうして!? どうして何も言おうとしないわけ!? 何があったか知らないけど、こんな連中とつるんで何してるのよ!」

「連絡も寄越さずにいなくなって、行ってみたら不良連中と肩並べて……何があったのかくらい話したっていいじゃない!」

「家族に言えないようなことでもしてるっていうの!? いい加減答えてよ! 優美!」

優美が手にしたハンマーをぐっと握りしめるのが見える。顔を俯けさせてほんの少しの間だけ言葉を詰まらせたあと、決然と顔を上げて言い放った。

「……もういいよ、清音さん。清音さんに言ったって、きっと分かってもらえないから」

「お父さんが死んで居なくなって、お母さんも体悪くして……清音さんが今までわたしたちにさんざん気を遣ってたの、見てたら分かるよ」

「でも……もうやめてよ。もうわたしたちに構わずに、清音さんは清音さんで生きてけばいいじゃない」

「家族だなんだって言って、わたしのこと『かわいそう』だって言ってお節介焼いて、あげくこんなところまで押しかけてきて」

「そういうの――もうやめて。清音さんの気持ち、『重い』よ!」

清音と優美、ふたりの間に立ちふさがるかのようにティンクが飛び出し、ハイドロとポリアフを一網打尽にしようと右から左へフルスイングを繰り出す。清音は沈痛な面持ちで目を伏せて会話を打ち切り、再び戦闘に集中する。ポリアフはいたましい表情で清音を見やり、清音もポリアフに首を振ってネガティブな同意を返す。優美との対話は決裂した。どちらかが完全に倒れて負けを認めるまで、戦いは終わりそうにない。

ティンクの攻撃をサイドステップで躱し、ポリアフが一瞬天を仰ぐ。奇襲を掛けよう、精神集中して冷気をチャージしたポリアフが素早く右腕を振り上げ、ティンクの頭上に大きな氷柱を生成する。ポリアフの得意技「つららおとし」だ。氷柱の大きさはティンクが担いでいるハンマーに勝るとも劣らない、直撃すれば無事では済むまい。当たらなくても隙を作り出すことはできるはずだ、ポリアフが上げた右腕を勢いよく振り下ろした。

「――受けよ!」

空からティンク目掛けて氷塊が降り注ぐ。当たったか、ポリアフが一瞬構えを解いた。だが次の瞬間、ティンクが信じられない行動に打って出た。両手でハンマーを掴んで下から上へ思いっきり突き上げ、氷柱を受け止めて破壊してしまったのだ。ガラスの割れるような甲高い音が響き渡り、辺りに砕け散った氷の破片が無数に飛び散る。氷柱を受け止めたハンマーには大きな傷跡ができたものの、ティンク本人にダメージはない。

ティンクがハンマーを構え直して振りかぶると、先ほど繰り出したような大きなスイングで風を起こし、粉砕された氷の破片をポリアフ目掛けて吹き飛ばした。飛沫のようになった氷が次々に飛んできて、ポリアフが思わず目を瞑ってしまう。恐るべきはティンクの観察力か、ポリアフが見せた一瞬の隙を見逃さず、ハンマーの打撃面を地面に引きずりながら一気に駆け寄ってきた。

「ぬちゃぁああっ!!」

摩擦で熱を帯びたハンマーをアッパースイングし、ポリアフに一撃をお見舞いする。とっさに右腕を凍結させて防御態勢をとったポリアフだったが、しかしティンクの打撃力はその程度で防ぎきれるものでは到底なかった。氷が砕け散ってポリアフも吹き飛ばされる。清音が思わずポリアフの名前を叫んだ。再び背中をしたたかに打ち、さすがのポリアフも苦悶の表情を隠せない。顔を歪めつつも、ポリアフはほとんど間を置かずに立ち上がった。

倒れるわけにはいかない、爪が折れ針が折れても心までは折られまい。強い意志を感じさせる表情だった。ポリアフは優美をパルデアへ送り出したことへの責任を人一倍感じていた。今このような状況に陥っているのは自分にも理由がある、原因がある、と。泥まみれになりながらなお気高く立ち続け、ポリアフが声を張り上げる。

「――手緩い! 此れしきの事では退かぬわ!」

「優美! 聞く耳持たぬと云うならば、わらわも我道を貫き通すまでよ!」

「母君と兄君の元まで、首根っこ掴んで引き摺り戻して呉れようぞ!」

ポリアフと対峙する優美をオルティガが一瞬見やる。優美はすぐに気付いて視線を合わせると、二人そろって同じ方向に目を向けた。清音たちはスター団の二人の仕草に気付いていない。オルティガのバウッツェル、そして優美のティンクと対峙するので精一杯だ。戦闘においては場に出ているポケモンの一挙手一投足に目を配るのが鉄則だが、奥で指揮しているトレーナーにも注意を払わなければならない。そこから得られる情報は少なくないからだ。

「ウェンディ。あいつはオマエに任せるぞ」

「了解です、ボス! 絶対に倒して見せます!」

動いたのはバウッツェルだった。バラバラにしてしまえ! オルティガの威勢のいい指示を受けて、先ほどリフレクターを破砕した「サイコファング」を今度はミドちゃんを標的にして仕掛けてきた。左から来るよ、右後ろに下がって! 牙を剥き出しにして果敢に襲い掛かるバウッツェルをひらりと舞うような動きで回避し、バウッツェルのフォロースルーを捉える。間髪入れずにミドちゃんが毒液を口内でチャージし、小夏は何も言わずにただ頷いてミドちゃんの判断に任せた。

ミドちゃんが反撃に出た。口から高圧をかけた毒液を噴射し、バウッツェルに浴びせかけたのだ。技の型としては「ヘドロウェーブ」のそれに近いが、ターゲットを一人に絞っている故に範囲攻撃としての性能を失い、代わりに威力とスピードを共に高めたものになる。毒液を正面から浴びたバウッツェルは大きくのけ反り、勢いのままに華奢な体が地面に転がされる。全身がヘドロまみれの毒液浸しで見る影もなく、致命的なダメージを受けたのは明らかだった。マリルリを持久戦に持ち込んだ結果として痛み分けになってしまった以上、同じ失敗は繰り返したくないという小夏の気持ちの表れだ。

「はあ!? どういうことだよ! オレが追い詰められてるなんておかしいだろ!?」

オルティガがあからさまに悔しがっている。どうやら気が短いところがあるらしい。今度こそ心理面で優位に立った、小夏がそう思った直後、怒りで歪めていたと思ったオルティガの口元に微かな笑みが浮かんだのを見逃さなかった。

……否、後からその笑みに気付いたと言うべきか。

「ぢゃあああああーっ!!」

「ミドちゃん!」

完全に不意を突く形でティンクが近場の岩をハンマーで砕き、ミドちゃん目掛けて動きを封じるかのようにいくつも打ち込んできた。ミドちゃんが怯んだところへすかさず飛び上がり、構えを解いていたミドちゃんへハンマーを振り落ろした。直撃こそ免れたものの物凄い衝撃波がミドちゃんへと浴びせられ、吹き飛ばされた体が近くのテントへ思い切り叩きつけられてしまった。ポリアフとハイドロがマークしていたにも関わらず、それを理解したうえで隣のミドちゃんを奇襲して撃破したのだから大した胆力と言わざるを得ない。元々衝撃に強くないミドちゃんはこれで失神してしまい、小夏はボールへ戻して引っ込める。

オルティガはいつの間にか平静さを取り戻していた……いや、先ほどの仕草はこちらを欺く演技だったのだろう。優美と互いの得物を交錯させて勝ち誇ってさえいる。バウッツェルが対面不利なことを見越してあえてミドちゃんの攻撃を誘い、油断が生じたところへ控えていたティンクが一撃で仕留める作戦に持ち込んだようだ。小夏にとってミドちゃんは多くのフェアリーを相手取れる最大戦力であり、彼女を戦闘不能に持ち込まれたのはかなりの損失だった。

「引っかかったね! これがオレたちのやり方さ!」

「小夏お姉ちゃん、どうしちゃったの? ちょっと視野が狭くなってるんじゃないかな!」

小夏はオルティガに意識を向けすぎていて、隣の優美が奇襲を仕掛けてくることまで気を配れなかった。こういったことがあるのでダブルバトルは恐ろしいのだ。ミドちゃんを倒したティンクにハイドロとポリアフが攻めかかるが、苦し紛れの攻撃と見抜いているのかティンクはひとつひとつ丁寧に捌いて行っている。ティアットを倒し、ミドちゃんを撃退し、ポリアフにもケガを負わせた。ティンクが場に残れば残るほど清音たちが不利になっていくのは明白だった。

予想以上の苦戦だと感じつつ、戦意を失ったわけではない。すかさず第三のボールを手に取ると、小夏がポリアフの隣へ助っ人を呼び出すような形で放り投げる。オルティガもティンクが勢いに乗っている今が好機と見たか、同じく三体目のポケモンを参戦させた。小夏のボールからはサンドパンのサンくんが、そしてオルティガの方からはふうせんポケモンのプクリンがそれぞれ姿を現した。どちらも豊縁でも普通に見かけるポケモンだ。

「選手交代! 清音さん、オルティガの方を押さえてください! ティンクはわたしたちが仕留めます!」

サンくんがポリアフと並び立ってティンクと対峙する。ポリアフが「アローラのすがた」のサンドパンなら、サンくんは言うなれば「カントーのすがた」或いは「原種」とでも表現すべき存在だった。逆立った氷柱が背中に並び、青白い体を持つ流麗なポリアフ。ごつごつした岩のような針に、土や泥を思わせる体色をした武骨なサンくん。同じ種族が地域の違いでここまで異なる進化を遂げるのか、二人が並んだ姿は実に対照的だった。

ポリアフがサンくんを見ると、彼はずいぶんと張り切っている様子。隣に立つポリアフを見ては「自分に任せろ」と言わんばかりの――というより、ポリアフにはハッキリと「ボクに任せて」とサンドパンの言葉で言っているのが分かった。どうもポリアフを前にして彼女に惚れてしまい、ここでカッコいいところを見せたいらしい。先ほどポリアフとサンくんが対照的だと記したが、二体がそれぞれ雌雄だということも付け加えておくことにしよう。

「自惚れるでない、若造……普段であればそう云う処だが、今のわらわは本調子とは程遠い」

「サンとやらよ、貴殿の奮闘に期待しておるぞ」

そう言われてやる気を出さないサンくんではない。全身をふるわせて纏わりついた砂を落とし、爪をかき鳴らして戦意を高揚させる。ティンクの興味がポリアフからサンくんに移ったのが見て取れた。清音が立ち位置を小夏と交代し、オルティガと正面から見合う。互いに敵意と戦意が剥き出しなのは相変わらずだ。

サンくんと交代する形で清音とハイドロがオルティガのプクリンと対面する。プクリンはこちらをしきりに威嚇してくるが、ハイドロは努めて冷静に状況を観察する。先ほどのバウッツェルにしてもそうだったが、プクリンもどちらかというと相方のサポートに向いた能力や技能を備える。相方がハンマーで大きな火力を生み出すティンクとあっては、やみくもに自分で戦うよりもティンクを補佐したほうが良いと判断してもおかしくない。ゆえにプクリンの動きは陽動に過ぎないと看破していたわけだ。

「原種もリージョンフォームも同じこと。遠慮せずに叩きつぶしちゃえ!」

「かく乱作戦! 自分の得意なフィールドに変えちゃおう!」

優美の攻撃指令を受けるや否やハンマーをジャイアントスイングの要領でぐるぐると振り回し、雌雄のサンドパンに襲い掛かる。一方で小夏からの指示をもらったサンくんは一瞬にして真剣な表情へと変貌すると、猛烈な勢いで地面を掘り返して砂を巻き起こした。辺りに砂嵐が舞い始めるまではほんの一瞬、優美も小夏も目を開けていられないくらいに凄まじいものだった。

サンドパンの目は砂嵐の中にあっても標的を正確に捉えられる。その性質は異なる進化を遂げたポリアフにもなお残されていた。砂嵐に紛れて身を隠し、暴れ回るティンクの攻撃を避けていく。ティンクも砂嵐の影響を受けることなく活動できるが、状況把握という点ではサンくんが一歩リードしている。雄叫びを上げてティンクに位置を知らせ、挑発されたとキレたティンクが自慢のハンマーを音源目掛けて全力で振り下ろす。しかしサンくんにはヒットせず、ハンマーは空を切るばかりだった。

ティンクが手にしたハンマーを使って攻撃してくるのは分かり切っている。長いリーチに絶大な破壊力を誇るハンマーは恐るべき武器だが、ゆえに攻撃のほとんどをそれに依存しがちになるという弱みがある。ティンクの攻撃は多種多様で様々な型を見せてはいたが、例外なくハンマーを用いたものだ。つまるところティンクはハンマーに攻撃を頼っていて、ハンマーはティンクが手にしていてこそ破壊力を生み出せる。

つまり、それを分断すれば……?

「ちゃああああぁああーっ!!」

砂嵐の中でサンくんがティンクに背を向けているのが見えた。今まで何度も攻撃をかわされて怒り心頭の彼女にしてみれば、ここで生まれたのがチャンスに見えて当然と言えた。ハンマーを大きく振り上げたまま大股で走り、十分に距離を詰めたところでぶち下ろす。あわや、サンくんに直撃――。

「此処ぞ!!」

――という瞬間、地中から突如としてポリアフが飛び出してきた。それと同時に甲高い金属音が鳴り響き、ティンクが手にしていたハンマーが吹き飛んだ。左手の爪をハンマーの柄に引っ掛け、ティンクから引き剥がした格好だ。ティンクはハンマーを手にしてこそ、そしてハンマーはティンクに持たれてこそ力を発揮できる。ならばティンクの手からハンマーを奪ってしまえば、相手の戦力を劇的に削げる。ポリアフとサンくん、そして小夏はそこへ勝機を見出した。

サンくんが砂嵐を巻き起こすことで状況を読みにくくし、さらに自分に攻撃を引き付ける。その間にポリアフが地中へ潜航し、ティンクが隙を見せたところを見計らって飛び出し武器を弾き飛ばす。二人が仕掛けた作戦だった。砂嵐が収まって視界がクリアになると、状況がよりいっそう明らかになる。優美がティンクのハンマーが吹き飛ばされた事に気付き、思わず声を上げた。優美の不意も突けたことを見届けたポリアフ、そしてサンくんが一気に前に出る。

「征くぞサン! 仕掛けよ!」

ハンマーを失って驚愕するティンクに、サンくんが飛び掛かる。爪を前へ突き出しきりもみ回転を加えて突撃する「ドリルライナー」の型だ。ティンクに初めて攻撃が直撃する。そこへさらにポリアフが爪を輝かせ、必殺の「メタルクロー」を振るった。立て続けにクリーンヒットをもらい、ティンクはさすがにひとたまりもなかったようだ。先ほどのお返しとばかりにポリアフによって大きく吹き飛ばされ、そのまま地面に倒れ伏した。

「ぬちゃぁ……!」

「ティンク! 大丈夫!?」

まだ意識があるようで自力で立ち上がろうとするティンクだったが、さすがにサンくんとポリアフから受けたダメージが大きすぎた。駆け寄ってきた優美に介抱されてなんとか起き上がり、近くに転がっていたハンマーを回収するところまではなんとかこぎ着けたが、もはやそれを持ち上げる気力も残されていないようだ。ハンマーを杖代わりにどうにか立っている状態で、これ以上戦えそうにない。

ありがとう、もう十分だよ。駆け寄った優美がティンクを抱きしめると、ティンクの目に遠目から見てもハッキリと分かるほど大きな涙が浮かんだ。負けてしまった悔しさが滲み出た顔つきだった。優美はティンクをモンスターボールへ戻してやると、踵を返してオルティガの元へ戻った。キキーモラ・マリルリ・バウッツェル・ティンク。ここまで四体のポケモンを倒され、状況としては自分たちが不利。

だが、二人の戦意はまだ少しの衰えも見せていない。オルティガと優美が互いに見つめ合う。

「……こうなったらあいつを出すぞ。ウェンディ! 援護してくれ!」

「了解です、ボス! 全力を尽くします!」

優美が第三のモンスターボールを手に取り、優美が軽く真上へ投げる。載っているトラックの屋根にボールが落ちると、光の中から小さなポケモンが姿を現した。

「ぢゅうううぅぅっ!!」

「ペレス! ボスといっしょに戦おう!」

登場したのはネズミのようなフォルムのアンテナポケモン・デデンネだった。ミミッキュのキキーモラ、ハンマーを持ったティンクと比較すると見た目は少々華奢だが、決して油断のならない相手だ。一声鳴いて戦意をアピールし、優美と力強く頷きあっている。

優美がまだ幼かった頃、家にデデンネが入り込んでコンセントから電気を食べようとしていたのを見つけたことがあった。優美は電気の代わりにたくさんの木の実をごちそうし、デデンネはそれに喜んで彼女にすっかり懐いてしまった。当時の優美はまだトレーナー免許を持たずデデンネを自分のポケモンにはできなかったので、兄である優真に相談してポケモンセンターに預けることにした。免許取得後に改めて迎えに行き、正式に優美の相棒となった。そのデデンネこそが、今まさに対峙しているペレスだ。

清音も小夏もペレスがどんなポケモンなのかは知っている。優美が繰り出してくることに違和感はない。ただそれとは別にひとつ気になったのは、ペレスが屋根に乗ったまま下へ降りてこないことだった。電撃で遠距離から相手を攻撃する能力があるとは言え、それだけでは心許ないのが正直なところだろう。さらにオルティガも場に出ていたプクリンへ「戻ってくれ」と指示を出す。プクリンはハイドロからすぐさま視線を外すとボールのように弾んで素早く移動し、こちらはなんとトラックの運転席へ乗り込んだではないか。

どういうこと? なんで車から降りてこないの? 清音が訝しみ小夏が困惑し、二人が顔を見合わせて首を傾げている。ペレスはここから梃子でも動かないという姿勢を見せ始めたし、オルティガのプクリンに至ってはハンドルをしっかり握っている。あのトラックに何かあるのか、清音がそう考えた直後だった。

「ここは海と山で切り取られたパルデアの孤城……けどここに居れば、オレたちは『孤独』じゃなくなる」

「お母さん気取りでここへ入り込んだ悪いルガルガンは、わたしたちがやっつける!」

車庫から現れた時のような強大な咆哮を上げて、オルティガたちが乗り込んでいるトラックが動き出した。目をまん丸くする清音、口をぽかんと開けている小夏、彼女らと組んでいるポケモンたちも一様に驚愕の表情を隠せない。そんな彼女らの様子を知ってか知らずか、オルティガと優美が得意げな表情をして見せる。これからすごいものを見せてやる――そんな自信と覚悟にあふれた顔つきだった。

「本当のショウはこっからだ!」

「――出るぞ! 『カシオペア・スターモービル』!」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。