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#17 スターダスト大作戦

「こんにちは。川村さんの面会に来ました」

「ああ、皆口さん。いつもありがとうございます」

ネバーランドの出来事から一週間ほどが経ったあとのこと。すっかり日も暮れた夜、その日の講義を終えた小夏がエーテルハウスまで足を運び、療養中の優美を見舞いに訪れた。職員に誘導されて優美のいる部屋まで歩いて行く小夏も、小夏を優美の元まで案内する職員もすっかり慣れた様子だ。職員が扉をノックすると、部屋の向こうから「はぁーい」という元気のいい声が聞こえてきた。扉を開けて二人が中へと入っていく。

「優美ちゃん! また来ちゃった」

「小夏お姉ちゃん! 来てくれたんだ!」

部屋の中で自分のポケモンたちと遊んでいた優美が、小夏の姿を見るなりぱたぱたと駆け寄ってきた。そのまま飛び込むようにして抱き付くと、小夏も負けじとばかりにめいっぱい力を込めてハグを返す。しきりに頬ずりする優美の頭をよしよしと撫でてたっぷりスキンシップをしてから、二人が互いの目を見つめ合った。職員は優美が楽しそうにしているのを確かめると、一礼したのちそっと外へ出て扉を閉めた。

「元気にしてた? ……って、聞かなくても大丈夫そうだね」

「うん! もうすっかり平気だよ。アカデミーにも来週から戻れるって言われたんだ」

「よかったね、優美ちゃん。ちゃんとご飯も食べてる?」

「もちろん! もう倒れちゃうのはこりごりだもん。それにね、ほら見て! 髪もサラサラに戻ってきたの!」

長い逃亡と潜伏生活によって痛んでしまっていた優美の髪は、今や元の艶やかさを取り戻しつつあった。食事もしっかり摂っているようで、肌も心なしかツヤツヤしている。「ネバーランド」で倒れてしまった時はどうなることかと気が気ではなかったものの、優美の朗らかで元気たっぷりの仕草が小夏の懸念を見事に吹き飛ばしてくれた。対峙したときに見せたような刺々しさや攻撃的な姿勢もすっかりなくなり、小夏のよく知っている優しい優美に戻っていた。よかったね、笑顔の小夏がそっと髪をなでてやる。

「お母さんとお兄ちゃんにもさっき電話したよ。たくさん心配かけちゃったからね」

「あの時はホントに大変だったね。確か、他の子から電話を借りたりしてたんだっけ」

「うん。心配でどうしても声が聞きたくなるときがあって、だけど何か話すわけにもいかなかったから……」

しばらく前から川村家に無言電話が掛かってくるようになったと清音から聞かされていたが、電話を掛けていたのは何を隠そう優美だった。家族を危険に晒すわけにはいかない、けれど無事かどうかも気になるし声も聞きたい。優美はスター団の団員から時折電話を借りて、清音たちの無事を確かめていたのだ。優美は家族と話したい気持ちを懸命に抑えて、ただ危害が加えられていないことを確かめられればいいと堪えていたのだ。

連れているポケモンたちも同じく元気そうだ。小夏の姿を見かけて真っ先に駆け寄ってきたのはティンクだ。トレードマークのハンマーを担いでトコトコ軽快に歩いてくる姿はなんとも微笑ましい。ミミッキュのキキーモラ、デデンネのペレスも遅れずについてくる。いずれもあの時のような獰猛さは微塵も見られず、揃って人懐っこい笑顔を見せていた。小夏は何度も優美を見舞いに来ていて、その度に顔を合わせていたおかげで覚えてくれたのだろう。小夏がひとりずつ順番にハイタッチをしてやる、もうすっかり仲良しだ。

そして。

「ハサミちゃん、いつも優美ちゃんの側にいるけど、今日はいつにも増してくっついてるね。かわいいな」

「えへへっ。わたしもハサミちゃんがいてくれてうれしいな」

清音がパルデアへ連れてきたブロスターのハサミちゃんもいた。元は優美が身体を張って保護したポケモン、懐いているのも道理だ。幸い他のポケモンたちともすぐに打ち解けたようで、わいわいと賑やかに遊んでいる。ペレス・キキーモラ・ティンク、そしてハサミちゃん。四体のポケモンにわちゃわちゃされた優美が朗らかに笑う。

優美もポケモンたちも着実に回復し、元の生活に戻れるのも間近といったところだ。もう何も心配することはない、大丈夫だ。順調にすべてが上手く行きつつある――そう胸を張って言えれば良かったのだが。

「あとは……清音さんかなあ」

「……うん。ずっと部屋に引きこもって出てこないって、職員さんも心配してるよ」

「カラダの具合がよくない、ってわけじゃないよね……」

同じくエーテルハウスで療養している清音については、あまり思わしくないようだった。体調が悪いとか大怪我をしているとかではないが、あの日負った心の傷が元で誰にも顔を合わせられない状態に陥っていた。自分がスター団を壊してしまったという思いに囚われて、優美やオルティガたちにどうしても申し訳が立たない、ずっとそう言い続けているという。小夏も優美も心配そうな表情を浮かべて、清音がいるはずの向かいの部屋の方を見つめている。

「あのね、小夏お姉ちゃん。清音さんのことだけど、話してもいい?」

「うん。聞かせてほしいな」

「ネバーランドで戦ったときに、わたし清音さんにひどいこと言っちゃって」

「確か……清音さんの気持ちが『重い』、だったっけ」

「そう。わたしのこと、本気で心配してくれてたのに……目の前のことしか見えなくなって、それであんなことを」

「清音さんが優美ちゃんのことを心配してたのはホントだよ。わたし、いっしょにいたから分かるもん」

「そうだよね。なのにわたし、相手が清音さんだから甘えていい、何を言っても怒られないんだ、きっとそんな風に考えてたんだと思う」

「優美ちゃん……」

「あんなひどいこと言ったのに、それでもわたしのことを守ってくれて……だからわたし、清音さんのこと大好きだよ。怒ったりとか恨んだりとか、そんなの全然ないよ」

ハッキリしていることとして、優美は清音に少しもネガティブな感情を抱いてなどいない。戦いを挑んだ結果として「チーム・ルクバー」が解散状態になってしまったのは事実だが、その事で憎んでいたり許せずにいたりするといったことはまったくない、これっぽっちもなかった。以前と同じ――いや、それ以上に清音を慕って、自分を助けに来てくれたことに深く感謝していた。

清音のことが大好き。それが優美の偽らざる本心だ。

もちろん、オルティガがボスの座を降りたこと、「チーム・ルクバー」がバラバラになってしまったことは優美にとっても悲しいことだ。だがそれはいずれ訪れることだった、と今なら考えることができる。戦闘直後にロベリアがやってきたことを思えば、清音は最善のタイミングで来てくれたと言っても過言ではなかった。もしあの時清音がいなければ、ロベリアとの戦いでもっと多くの団員やポケモンが傷ついていただろう。それで済めばまだいい、殺気立っていた当時の自分を思うと、オルティガがあの日テントで言っていたような「取り返しのつかない間違い」を犯していたかも知れない。そういう意味でも、優美は清音に感謝するばかりだった。

「でも、今わたしがそう言っても、清音さんはきっと……」

「……うん。『優美ちゃんが無理をしてるだけ』、そんな風に考えちゃうってことだよね」

「小夏お姉ちゃんの言う通りだよ。それにね、わたし清音さんの気持ちも分かるの」

「自分が自分を許せない……そういうことかな」

「うん。だって……わたしも清音さんにひどいこと言っちゃったから」

優美は間違いなく清音に感謝していて、恨みつらみを抱いていたりはしない。けれどどれほど優美が清音に声を掛けようと、他でもない清音が自分を許さなければ決して救われない。優美も清音を傷付けるような言葉を口にした一件をひどく後悔していたゆえに、清音が自責の念に囚われているのを我がことのように感じられたのだった。

なんとかして清音に「自分を許してほしい」という思いを伝えられないか、元気を取り戻してもらえないだろうか。思いは一致しているものの妙案が浮かぶことはなく、小夏と優美が互いに顔を見合わせていた時のことだった。

「あっ、電話っ」

机の上に置いていた優美のスマートフォンが揺れる。すぐさま取って応対すると、優美が途端に目をまん丸くした。

「えっ!? ボス……!? ど、どうしたんですか?」

「あ、はいっ。そうです、小夏お姉ちゃんもちょうどいます」

「聞こえるようにした方がいいですよね、わかりました」

連絡を取ってきたのはオルティガらしい。小夏に目で合図をすると、優美がスマートフォンを机の上へ置いて音声出力をスピーカーに切り替える。程なくして、端末からオルティガの声がハッキリと聞こえてきた。

「ユミ、それにコナツ姉ちゃんもいるんだよな? 聞いて欲しいことがある。大事な話なんだ」

「わたしもいるよ。いったいどうしたの?」

「スター団の真のボス――『マジボス』が戻ってきた。戻ってきたんだよ」

「本当に……!?」

「ああ。これからアイツと……『アオイ』と決着を付ける。これでマジボスが負ければ、スター団は本当に解散することになる」

「解散……」

「チームのボスは売られたケンカを必ず買う、勝負に負ければその座を降りる。オレたちが作った『掟』だ」

「……そうですよね。わたしもそれはわかってます、わかってますけど……っ」

「ユミ、オレも気持ちは同じだよ。『掟』を守らなきゃって気持ちと、これで終わりになるのは嫌だって気持ち、両方がグルグル回ってる感じがするよ」

「ボス……」

「続けさせてくれ。ユミに連絡したのは、頼みがあるからなんだ」

「わたしに……ですか?」

「そうだ。オレと一緒に、マジボスと『アオイ』の戦いを見ていてほしい。ユミに側にいてほしいんだ」

オルティガが優美に頼み込んだこと。それはスター団の命運をかけた戦いを、自分と共に見守ってもらいたいというものだった。オルティガの言葉通り、この戦いに「マジボス」が敗北すればスター団は完全に消滅する。それはオルティガたち組のボスたちが築き上げた場所が失われ、優美も二度とあの場所へ――「ネバーランド」へ戻れなくなることを意味する。唇をキュッと噛んだ優美が俯いて、思わずその目を伏せる。

幾ばくかの逡巡の末、優美はオルティガに応えた。

「……わかりました。スター団の未来を、わたしもボスと一緒に見届けます」

「ありがとう、ユミ。きっとそう言ってくれると思ってた」

「わたしも優美ちゃんの隣にいさせて。もう大丈夫だと思うけど、優美ちゃんに何かあったらいけないから」

「小夏お姉ちゃん」

「そうしてくれ。コナツ姉ちゃんにも見ていてもらいたかったから、ちょうどいいよ」

「ボス、場所はどこですか?」

「アカデミーのグラウンドだ。勝負の様子は動画で配信されるって聞いてる。オレたちもそれを観ることになってるんだ。この後アドレスを教えるよ」

「わかりました。お願いします、ボス」

優美と小夏が承諾する。程なくしてLINQのメッセージでアドレスが送られてきた。優美が微かに震える手でリンクをタップすると、グレープアカデミーのグラウンドがフルスクリーンで映し出された。ポケモンバトルの実技講習で何度も行ったことのある、優美にとっても見覚えのある風景だった。この見慣れた場所が、スター団の運命を決める戦場となる……手を震わせる優美に、小夏がそっと寄り添う。小夏が隣にいることに少し安堵したのか、優美が小さくうなずいた。

マジボスと「アオイ」の決闘が始まるのを固唾をのんで見守っていた優美と小夏だったが、ここで不意に部屋の扉が開く音を耳にした。いったい誰だろう、反射的に顔を上げた二人は、揃って驚きの表情を浮かべることとなった。

「清音さん……!?」

「ど、どうしたんですか!?」

入ってきたのは清音だった。少しやつれた様子を見せて、どこかおぼつかない足取りで歩いてくる。瞳は真っ赤に充血していて、顔には泣き腫らした跡がハッキリと見て取れた。優美に申し訳なさそうな表情を投げかけながら、手に持っていたものをそっと優美へと向ける。

「まさか、清音さんも……!」

「……ええ。そういうことよ」

それは、優美のものとまったく同じ映像が映し出された――スマートフォンだった。

「スター団の未来を決める戦いを見ていてほしい、そう頼まれたの。優美も同じ、よね?」

「うん。ボスから連絡があって、これから始まるって……」

「聞こえてたの、オルティガ君と話す優美の声が。盗み聞きしちゃったわね、悪い子だわ、ウチってさ」

力なく笑う清音を、小夏も優美もいたたまれない思いで見つめていた。清音はずっと自分を責め続けている、自責の念にとらわれて泣き続けている。それでもスター団の最後を見届けなければならない、優美の隣にいなければならないと思い詰めている。普段の明朗快活、豪放磊落な清音からは想像もできない、今にも折れて崩れてしまいそうな清音を見かねた優美がたまらず駆け寄り、彼女の手をぐっと両手で包み込む。

「清音さん、いっしょに見てて。わたし、清音さんが隣にいてほしいの」

「私が……優美の隣に」

「わたしだって清音さんを独りきりにはしない。清音さんが倒れそうならわたしが支えるよ、だから……!」

既に涙も涸れ果てたはずの清音の双眸から、絞り出したような涙が零れ落ちる。優美の手を握り返すと、覚悟を決めて深く大きくうなずいた。優美に付き添われてベッドへ向かい、二人が並んで腰掛ける。優美を真ん中に置くようにして小夏も座り、優美がスマートフォンの映像をシアターモードへ切り替えて空間へ投影する。

程なくして、右側から大きなリュックを背負った生徒が姿を現す。それがあの日「ネバーランド」で見かけた「アオイ」ではないことは瞬時に理解できた。だとすると、彼女が他ならぬスター団真のボス「マジボス」に違いない。コートの右サイドで立ち止まると、カメラが切り替わって左サイドに「アオイ」が立っている様子を映し出す。こちらは記憶通りの姿をしていたが、相変わらずごく普通の女子学生にしか見えない。この見てくれてスター団のチームを四つも壊滅させたというのだから、人は見かけによらぬとはよく言ったものだ。

「……アオイ。よく来てくれたな」

マジボスが被っていたフードを外す。現われたのは蒼と朱の入り混じった髪が特徴的な少女だ。小夏は校内のどこかで彼女を見た様な記憶があったが、それが間もなくいつの出来事だったか思い出すことになる。

「フッ……驚愕しただろう」

「わたしこそがマジボス……そしてカシオペアの正体だ」

「学校前でしたっぱを倒したあなたの強さを見て、スターダスト大作戦を思い付いたのだ」

あの時の――小夏の記憶が鮮明に蘇る。夏休み明け直後にスター団団員が絡んでいた生徒、それこそがマジボスだった。そして彼女を助け出したのが誰かも合わせて思い出す。他の誰でもない、今ここでマジボスと対峙している「アオイ」だった。「アオイ」とマジボスの対面の場に、小夏は群衆の一人として居合わせていたことになる。まさかこんなことがあるなんて、小夏は驚かずにはいられない。

だがそれ以上に、スター団を壊滅させるための「スターダスト大作戦」をマジボスが思い付いたというのはどういうことなのか。小夏も、優美も、清音も、この場にいる全員がスマートフォンの映像に釘付けになっている。

「わたしの力さえあれば、LPなど湯水のごとく増やせる。報酬があれば乗ってくると思ってな。補給班としてずっと動向を見張っていたぞ」

「あとはわたしをうち負かせば、スター団は完璧に終わる……そのために動いてもらった」

「……だが同時に、スター団を終わらせたくない気持ちもある! やすやすと負けるわけにはいかない!」

「最後の勝負……準備はできているか?」

問われた「アオイ」が頷く。迷いなどどこにもない。

「……感謝する」

ここで何者かがグラウンドを走ってきた。リーゼントに短パン姿の初老の男性、そのあまりに特徴的な姿には見覚えがあった。

「すまない、待たせたな。タイム先生の反省文が……いや、準備に手間どってな」

「もしかしてその声はネルケか?」

「ボタ……やはり、いや、あんたが……カシオペアだったのか」

「ああ、そうだ。ネルケにも一仕事頼もうか。これから起こることを動画で撮影してもらうぞ。勝敗を全団員に通達するからな」

「あ、ああ……わかった」

マジボスがネルケに動画の撮影を依頼する。事前にオルティガたちに配信予定のアドレスを連絡したのもマジボスで、まるでこうなることを最初から理解していたかのようだ。ネルケは躊躇いがちに承諾し、取り出したスマートフォンを構えて立つ。

二人がコートに立って向かい合う。圧倒的な緊張が絶対の沈黙をもたらし、エーテルハウスにいる三人の元にまで伝わってきていた。

「……あらためて名乗っておこうか」

「わたしがスター団マジボス・カシオペア……」

「ではなく、ボタン!」

「……マジボスの力の前に頭を垂れてひれ伏すがいい!!」

胸に手を当てた少女が――マジボスでも、カシオペアでもない、ボタンが――カッと目を見開き、モンスターボールを構えて堂々と立つ。

《スター団のボタンが 勝負をしかけてきた!》

アカデミーのバトルコートに、ふたつのモンスターボールが宙を舞った。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。