テスト受けた後丸付け済んだ後の次の授業ってさ、答案返ってくるじゃん。チャイム鳴って席着いて、今回の平均は何点でしたみたいなこと言ってさ、それから出席番号順に返ってくるの。出席番号ってなんなんだろうな、おれ大抵真ん中のちょっと後くらいだから結構待たされるんだ。どうせなら席の並び順に返してくれりゃいいのに。こういうどうでもいいことずっと考えてないと落ち着かないくらい心がぐちゃぐちゃしてる。
あれから、昨日水瀬さんを見た時からずーっとモヤモヤしてた。今も変わらず続いててちっともマシにならない。脳みその中に濃い霧、濃厚なしろいきりが立ち込めたみたいだ。水っぽくて息をするのもしんどいくらいの密度のやつ。もうすぐ水瀬さん登校してくる時間だよな、なんて言えばいいのかさっぱり分かんねえ。顔合わせても何も言えないよな、あんなことあったんだから。向こうがおれの名前呼んだってことは他でもないおれが見てたってばっちり分かってるわけだし。辛すぎる。
もういっそ早く来てほしいって思うのと、できれば来ないでくれって両方の気持ちが押し合ってる。ドラゴンボールで悟空とベジータが撃ち合いしてるシーンみたいに。今日来なくなって明日は来るだろうし、水瀬さんが一生教室に来ないなんてあり得ないのに、ちょっとでもイヤな時間から逃れようとしてる。言葉にしてみるとおれのやってること滅茶苦茶惨めだな、おれこういう先延ばしが一番嫌いだっていつもなら思ってるくせに、いざ自分が針の筵に置かれたらこれなんだぜ。情けないよな。
おれのしょうもない思いとは裏腹に、水瀬さんが姿を現した。普通に教室へ入ってくる。別に何かおかしなところとかあるわけじゃない。前に見た時と同じ、無表情っていうか涼しい顔をして教室を横切ってく。とてもじゃないけど目は合わせられなかったけど、気配を追うだけでどこにいるのか一発で分かった。おれの方は特に見たりしてない。まっすぐ自分の席、左から二列目、後ろから三番目のトコまで歩いてった。
あれだ、予断は許さないってやつだけど、水瀬さんがおれのことを気にしてる様子は特にない。別に怒ったりしてる風でもない。誰かと喋ったりもしてなくて、教室に入って来た時からずっと付けっぱのイヤホンで音楽聴いてる。カバンを開けて教科書とノートを順番に出して机に入れてってるのが見えた、結構几帳面なんだな。顔がさあ、笑ってるとか怒ってるとかの分かりやすい表情してないんだ。ラノベでよく「物憂げ」って言い回し出てくるけど、あれが一部の隙も無くピッタリ当てはまる顔してる。独りで遠くを見て退屈そうにしてる、その退屈そうってのがこう、今の時間暇だーってレベルじゃなくて、人生そのものが退屈、みたいなって素振りで……ってまたじろじろ見てるよおれ。もう止めるって言っただろ!
誰とも喋らないってやつはどんなクラスにも一人か二人はいる。だから水瀬さんが特別おかしいとは感じない。どうしてなんだろう、とは思う。友達とか普通に居そうな雰囲気だし、自分から話しかけていきそうな感じも結構する。独りでいるのが好きなタイプなのかも、おれも独りにしてくれって感じることそこそこあるから分からないわけじゃない。水瀬さんのことは水瀬さんにしか分からないけど、どうしたって気になる部分はある。
「カズミちゃーん、元気しとるー?」
えっ、ってなった。声、聞き覚えのある声、すげえ聞き覚えのある声、今朝聞いたばっかの声。なんで? 思わず顔をあげる。ユカリの声じゃん。なんか後ろのドアから教室にずかずか入り込んで来てるんだけど。呼んでるのはおれじゃなくてカズミちゃんって名前の子。誰だ、カズミちゃんって。誰かいたって頼りない記憶だけはあるんだけど苗字と引っ付くやつが思い出せない。ユカリの行く先を追う。教室の一番奥からちょっと手前くらいまで歩いてって、後ろから順に一・二・三、三列目の座席で止まる。
水瀬さんの席じゃん、そこ。
「あっ、ゆっちゃん」
「ここやったんか、来たで来たで」
「ありがとう」
「そないお礼言うことちゃうって」
「ゆっちゃんが自分と話したかったから、だよね」
「せや。うちはいつでも自分のしいたいようにするからな」
なんか、楽しそうだ。ユカリと話す水瀬さん。下の名前カズミって言うんだ。教室の前に貼ってあるクラスメートの名前一覧を見る。「水瀬一海」、一海って書いてカズミって読むのか、初めて見た。ってかユカリと水瀬さん友達同士だったのか、おれ全然知らなかった。ユカリの交友関係広すぎってのは分かってるけど、まさか水瀬さんと知り合い、それも友達だってのはマジで驚いた。予想もしてないよな、こんな関係あるとか。
「こないだ商店街のパン屋行ってきてん」
「沢島パン?」
「それ、沢島パン。でな、新作売ってたんよ」
「うん」
「あのな、虹色やってん」
「虹色?」
「イチゴとか、ブルーベリーとか、レモンとかが渦巻いとって」
「うわぁ」
「緑は抹茶、茶色はチョコ、オレンジはオレンジまで分かったけど、青はほんま何味か分からんかった」
「青もあったんだ」
「あってん。青いパンとかうち初めて見たわ」
ユカリと水瀬さんが仲良いとか、ユカリから聞いたことはない。一緒に登下校してるけどそういう話が出たことは一度もないな。けどそれが普通だし、おれがユカリに話してないことだってある。だからフツーにユカリと水瀬さんは友達だったんだなって思うだけ。
水瀬さんが日曜のことを言い出す気配はちっともなかった。おれのことあんまり気にしてないのかな、ややこしいことにならなきゃそれでいいやって思うけど、ちょっとだけしっくりこない気持ちもある。一言苦情言いたいとかあってもおかしくないのにな、おれの方が申し訳なくなる。でもあれだ、水瀬さんがおれに何か言うより関わり合いになりたくないってなら、おれがどうこう言う筋合いはない。
気にするのはやめよう、気にしないでおこう、って思うと余計に気にしちゃうのが人間って生き物なんだ。寝ようとすると寝れないとか、忘れようとすると忘れられないとか。何かをしないようにするように意識するってことは、その何かが頭の中にいつも残ってて、結局その何かのことばっかり考えてるってことでもあるんだ。心は距離を置こうとしてるのに頭は執着してくっついてる。心と頭って別々なんだよな、おれも時々混ざるけど別々なんだ。
ああ、ダメだダメだ。水瀬さんが気にしてないっぽいのはいいけど、今度はおれが水瀬さんのこと気にしてる気がする。ちょっと気持ち切り替えないとな、スイッチしてかないと、スイッチ。
机って硬ぇな、枕にすんの無理あるよな、やっぱ。
学校帰りにカフェ寄るのんってオシャレちゃう? とかユカリが言い出したんだ、いつものノリで。言うほどオシャレとかでもないっていうか、ペリドットって割としょっちゅう行ってなくない? っておれは思うわけだけど、そのまま口に出すとビミョーな顔して見せるんだ。で、こう言う。おもろないやっちゃなあ、って。似たようなやり取りをそこそこやってるからおれだって学習する。まあなあ、とかテキトーに合わせてユカリに付き合う。別に苦でもないし、ペリドットに行くって提案は賛成だ。
カフェと喫茶店って何がどう違うんだろうな。カロス辺りの言葉を翻訳したら喫茶店になったけど、現地っぽさを出したいところがカフェって言葉をまんま使い始めて、結局どっちも馴染んだとかなのかな。ペリドットは頭にカフェが付いてる、カフェ・ペリドット。おれが生まれるずっと前からあるって聞いたっけ。親父と朝飯食いに行ったこともある。あの時は二人でやってたけど、今は一人だけになってるんだよな。
「な?」
「ん?」
「学校帰りのカフェって、ええやろ?」
「喉乾いてたしちょうどよかった」
「せやろせやろー、トッちゃんはうちにもっと感謝してええねんで」
「感謝感謝」
「雑やなあ」
「お互いさまってことで」
「よう言うわ」
おれの前にはアイスパープルコーヒーが、ユカリの前にはグリーンアップルソーダのグラスが置かれてる。軽く露を吹いてていかにも冷たそうだ。ここ、コーヒーがやたらたくさん種類あって色もいっぱいあるんだけど、おれはパープルコーヒーが好きだ。他のコーヒーより甘さが先に来て、それからちょっと遅れてほろ苦さがじんと舌に広がってく。腹減ってる時はここにマトマサラミのピザトーストも付けるんだけど、今日はこの後晩飯食うからナシ。また合わせて食いたい。
「まあでも、行こうって言ってくれなきゃ来てなかっただろうし」
「うちが行きたかっただけやねんけどな」
「それがユカリだし」
「一人で飲んでても味気ないやん、おいしいっちゃおいしいけど味気ないやん」
「分かる」
「行く先いっつもペリドットになってまうけど、それはしゃあないな」
「ここ以外に喫茶店とかカフェっぽいのないしな」
「昔は向こうにもあってんけどなぁ。うちが字ぃ読める頃になったら閉店してもうて」
「建物そのまま残ってるからいつかまた開いたりして」
「また開いてくれると、私も嬉しいんだけどね」
「あ、店長さん」
「いつもご贔屓にしてもらって、ありがとね。四条さんも、槇村くんも」
一人でペリドットの仕事を全部やってて忙しいはずなんだけど、こうやってしれっと会話に混ざってくることがあるのがペリドットのマスターだったりする。すげえな、いつ見ても余裕って感じがする。
「なあ店長さん」
「うん。どうしたの?」
「なんやかや言うてな、うちはペリドット通うと思うんよ。向こうの店開いても」
「ありゃま、嬉しい事行ってくれるね」
「せやけどな、一回くらいは向こうの……あ、思い出した、ラピスラズリ、ラピスラズリや」
「そう、喫茶ラピスラズリ」
「そっちへ行くと思うんよ。冷やかしに、コーヒーでも飲んだろ的な」
「私も行きたいな。お休みの日が重ならなきゃいいんだけど」
「それや、店長さんなんで? 相手同業者やろ?」
「うん、喫茶店だからね。向こうはラジオも流せるよ」
「せやろ。せやのにや、店開いたらお客取られるとか普通思うやん」
「きっと、ラピスラズリに通うって人は出てくると思うよ。でも、それでいいよ、私はね」
「うちそこが分からんねん。競争相手おったら嫌とちゃうん?」
「四条さんの言いたいことも分かるけど、私はね、競い合える相手がいるっていいことだって思ってるんだ」
競争相手がいる方がいいってマスターの言葉、おれは分かる。川村と一緒に泳いでるとよく言われるんだ、隣で自分より早い相手が泳いでるとスピードが上がるって。対抗心、それも健全なやつ。ユカリが言いたいことも分かる。お客を取られたら取られた分だけ収入が減るわけだし、マスターにとっていいことじゃない。どっちも正しい、っていうか正しいっていうか、理がある。そう、理がある。一回使ってみたかったんだよなこの言い回し。
別のお客さんが来た。ありゃま、ごめんね、マスターが一言断ってそっちに歩いてく。ユカリはどうしてるかな、顔を見てみる。別に不満とかじゃなさそうだ、ふーんって感じの表情。自分とは別の意見もあるんだなあって顔に書いてある。ユカリは自分の好きなようにしたがるけど、相手に何かを強制することはしない。相手も自分の好きなようにすりゃいいって考えてる。この辺、おれたちは似た者同士だなって思う。ユカリがソーダを一口飲む。ソーダもうまいから迷ったけど今日はコーヒーにした。夏になったらおれもソーダにしようって思う。
「トッちゃんさ」
「うん」
「こないして喫茶店でぐだぐだするのんってさ」
「ぐだぐだ」
「都会で言うたらモールで時間潰すようなもんなんやろな」
「それ、田舎でも同じじゃね」
「あー」
「モール以外にも行く場所あるか、モールしかないかの違いだけで」
「せやなあ。トッちゃんの言う通りや」
「ユカリがまんま納得するとか珍しいな」
「うちかて一本取られたら手ポンくらいするで」
「なんだよ手ポンって」
「あれや、左手を受け皿みたいにしてやな、右手で握り拳作りーのして、ポンって振り下ろすやつ」
「言い方は初耳だけどどんなリアクションかは分かった」
「今うちが名付け親になった」
「名付け親って」
「手ポンはどうでもええけど、ここも悪いとこちゃうしええんとちゃうん」
「海凪にあるドトールも好きなんだけどな、おれ」
「あ、ドトールで一個思い出した」
「何?」
「自分、ドトールって外国の会社やと思ってるやろ」
「違うのかよ」
「ちゃうで、こっちの会社。生まれも育ちも」
「マジで?」
「マジやマジ。ウィキペディアに書いてあったもん」
「あれだあれ、ヨーシュッテンじゃねーのそれ」
「甘い甘い。ちゃんと出典付いとったから」
「マジか、またいらねー知識が増えた」
「なんでや、話のまくらになるやろ」
「どんな話だよ」
マスターがてきぱきと飲み物を作ってカウンターからシュッと出す様子が見える。新しく来たお客はおれたちと同い年っぽい高校生の女子二人。右にいるやつはハニーレモンソーダ、左にいるやつはフルーツミックスオレか。どっちも見覚えはない。制服はユカリと同じだから同じ新高だと思う。左にいるやつは隣にプリンも一緒だ。あのピンク色したボールみたいなポケモン。見るからに弾みそうだよ、ってどうでもいっか。
店長さん今ひとりなん? バイトさんおらんの? ユカリがマスターに言う。遠慮なしっていうか気安いっていうか。ついこの間円満退職しちゃってね、今はもう旅に戻ってるよ。マスターは苦笑いしながら答えてる。ペリドットは不定期にバイトを雇ってるんだっけな、榁に来たトレーナーに手伝ってもらうってカタチで。人手が足りないといろいろ大変そうだ。やること多そうだしなあ、喫茶店って。他所の人に手伝ってもらういうんも融通効かへんで大変やな、ユカリのコメントはもっともだ。
「あのなトッちゃん、うち今めっちゃハマってるアーティストおるねん」
「誰?」
「PuRiKaって人。母音が小文字で子音が大文字」
「母音ってどっちだっけ」
「あいうえおの方」
「あーそっちだった」
「前はニコニコに動画上げてたねんけど最近はユーチューブに上げてるねん」
「おれも最近ようつべばっかだな」
「自分ようつべ派なん?」
「派閥とかじゃないけど短くて言いやすいし」
「うちは正式名称で言いたい派やねん」
「ポポスくん」
「ちょい待ち、思い出した。せーので言おや。せーのっ」
「ビビジランテソンテネグロホメストーニカルマンドーレポポスくん」
「ビビジランテソンテネグロホメストーニカルマンドーレポポスくん」
「お前なんで覚えてんだよ」
「合ってるやろ?」
「合ってるけど」
「ほらぁ、そういう自分かて覚えとるやん」
「親父が全巻揃えてるんだよ、ぼのぼの」
「フェネックやめるのだ! うたうたいになるのはやめるのだ!」
「混ざってる混ざってる」
「でな、フェネギーくんと違ってPuRiKaさん歌めっちゃ上手いからな、暇あったら投げ銭してるねん。インターネット投げ銭」
「どっからそんな金出て来るんだよ」
「バイト。うちジムでトレーナーやってるから」
「ああそっか、それは分かる」
「結構貰えるんよ。リーダーに感謝やで」
おれもトウキさんとは何度か話したっけ。普段どんなことしてるのかってあんまり知らないんだけど、あっちこっちから来る挑戦者の相手をしてるわけだよな、ぜってー大変だって思うんだ。けど疲れてるっぽいとことか見たことない。タフな人だよな、見た目通り。ああいう風になれたらいいなって、心の中でおれも思ってたりする。
「じゃ、うちはグリーンレモンティー」
「わたしはこれっ、ストレートラムジュースください」
「かしこまりました。ちょっと待っててね、すぐ作ってくるから」
「はぁーい」
「まだ六月なのにあっついねー。うち汗かいちゃった」
「もう夏だよね、夏手前って感じだよ」
「夏のちょっと前? ちょっと夏? こなっちゃんだけに?」
「まりちゃん、それ毎年言ってるよ」
「鉄板ネタってやつ。お盆になったらお墓参り行くようなものよ」
「えーっ、微妙な例えー。あ、でもこの間行ってきたよ、お墓参り」
「妹の?」
「そう、小雪の。おばあちゃんが遊びに来てくれたから、みんなで行ってきたんだ」
「うちも今度行こうって言ってたけど、まーた仕事入っちゃったーって言い出しそう。お父さんいっつも仕事だもん」
店ん中に電話ボックスあるってなんか面白い。電話ボックスってだけで珍しいのにそれが中にあるってここ以外で見たことない。海凪のドトールには置いてなかったもんな、電話ボックスなんて。隅っこに置いてるテレビの画面みたいなのが埋まったテーブルもそう。やっぱ他で見かけたことなんかない。変なものがいっぱいあるんだ、ペリドットには。
「あのさ」
「ん?」
「今日朝教室来てたじゃん、おれの」
「見とったん?」
「たまたま見えた」
「うん」
「話してたの水瀬さんだっけ」
「カズミちゃんやな」
「友達だったんだ。おれ知らなかった」
「せやねん。家離れてるけどな」
「そっかぁ」
「自分カズミちゃんとなんか絡みあるん?」
あるっちゃあるけど、あんなことユカリに言える訳なんてない。実際絡んでるわけじゃないから、絡み無いって言っても嘘にはなんないはず。
「ないない。話したこともないから」
「そかそか。それやったらええわ」
「どんなキャラなの? 水瀬さんって」
「自分とは合わんと思うで」
「いや、おれもそうだろうなと思ってるけど」
「せやろな」
「ユカリに言われると微妙な気持ちになる」
「素直で優しいええ子やな。それでええ塩梅にクール。別嬪さんやしなあ」
「別嬪さんって何? どういう意味?」
「綺麗な人や言う意味の静都ことばやな」
「また無駄知識が増えた」
「この調子でトッちゃんの脳内をしょうもないネタで埋めていこか。いらんこと考えへんように」
「いらねーこと考えてる度で行ったらユカリの方が高えよ」
しょうもないこと、どうでもいいことつったらアレだけど、ユカリの話題の広さっていうか知識の多さは結構マジですげえと思ってる。大体知ってても知らなくても生きてけるようなことばっかなんだけど、聞いてて単純に面白い。本読みまくってるのとネットで調べものしまくってるからだって言ってたな。勉強好きなのがいい方向に出たのかも。
「あ、せや」
「どうした」
「夏んなったらうち小金行くわ」
「今年もかぁ。恒例だな」
「恒例行事やしな」
「毎年だもんな」
「うち居らんようになるけど、宿題ちゃんとやりや」
「毎年やってるじゃん、ちゃんと」
「海でふざけて泳いだりしたらえらい目に遭うからな、気ぃ付けや」
「行かねーよ。泳ぐときはプールだって決めてるから」
「肉ばっかり食べてたらあかんで」
「ユカリはポッキー控え目にな」
「口の減らんやっちゃなあ」
「お前が言うなって」
ユカリは毎年、夏休みになると榁を離れて静都の小金へ行ってる。七月中に出て戻ってくるのは八月の終わりくらいだから、ほとんどずっとここに居ないってことだ。最初の内は小うるさいのがいなくなって気楽、みたいに思うわけだよ、毎年。けど八月の半ばくらいからなんか物足りなくなってきて、終いには早く帰って来いよって思うようになる。空気みたいなやつだよ、自分で言う通り。
今日は晩飯何作ろうか。っていうか親父いないからおれの分だけになるんだよな。だったらユカリ呼ぶのもありだな、あいつも食べたいものハッキリ言ってくるタイプだし、結構変わった物オーダーしてくるから飽きなくてかえって助かる。
「今日からさ」
「うん」
「親父、出張でいないんだけど。どうする?」
「ほなうち行くわ。明日さん仕事で遅なる言うとったし」
「そっか。なんか食いたいもんとかある?」
「今すぐは思い浮かばんけどぉ」
「けど?」
「買い物してたら思い浮かぶかも知れんわ」
「じゃ、行くか」
「行こ行こ」
ユカリが席を立つ、おれも続く。商店街で食べるもの買っておれの家へ行くって流れだな。
「ほんじゃ、割り勘しよか」
「いいけどさ、どっちも三百円だぞ。意味なくない?」
「割り勘して結果的に三百円になったっちゅうことで」
「カタチの問題?」
「そ。カタチの問題やな」
別に驚くことなんて何もない、これがおれたちの普通、なんてことない日常の風景ってやつなんだ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。