もう完全に夏だな、太陽がすっげえ高いところにある。上からありったけの光を降らせて、夏だぞーって叫んでるみたいだ。どっちかって言うと汗っかきだから、その点だけはうざったい。けど、それ以外は何も文句なんてない。おれは夏が好きだ。一番気持ちよく泳げる季節だし、なんたって体が軽い。水飲みながらだったらどこまでも行けそうって思えるんだ、気が大きくなってる証拠。で、今年の夏はいつもとちょっと違う。この間水瀬さんに「好きだ」って告白して、水瀬さんからも「好きだよ」って言ってもらえた。なんだ、その、他のやつらが言ってる「カレシとカノジョ」の関係になったわけ。カレシとカノジョ、思い浮かべるだけでくすぐったくなる言葉だよな。おれは今めちゃくちゃくすぐったい。
カレシとカノジョになったから、ってわけじゃないけど、前みたいに水瀬さんを待たせるカタチにはしたくなかった。おれが誰かを待つのは何とも思わないし、何だったら暇つぶししてりゃいいって思ってるけど、おれが誰かを待たせるのは絶対に嫌だ、カッコ悪いって思ってる。だから今日は普段比三倍くらい気合い入れて、約束の時間よりだいぶ早く待ち合わせ場所まで来たってわけ。合流場所はつい最近できたセブンイレブン前、他にどこにも無いから分かりやすいっちゃ分かりやすい。確か内地じゃやたらめったらあっちこっちにあるって聞いたっけ。榁にもそれくらい店作るつもりなのかな、場所あんのかよって思うけど。
「一海」
待ち人の名前を呟く。現実感ってものがここまで無いのも凄いよな、未だに信じられない。おれと水瀬さんが付き合うことになるなんて。あの後堤防で別れて家まで帰ったんだけどさ、どうやって帰ったのか思い出せねえんだ、マジで。家着いてからもぼーっとしてたけど、親父が帰ってくる時間だって思いだしてさ。体は台所行って、けど頭は水瀬さんのことでいっぱい、心はフワフワって有様でてんでバラバラ。作ってる過程はちっとも思い出せないんだけど、卵ときくらげ炒めたやつと蒸し鶏のサラダ作ったのはやけにハッキリ覚えてる。明らかに心ここに在らずで作った、作ったって言うか手が勝手に動いてできたって感じなんだけど、親父が「うまい」って言ってくれてちょっと嬉しかった。体が料理の作り方覚えてるのって助かるな、マジで。
いや料理のことはどうでもいいんだ、親父に褒められたのも良かったけどそれは別の話だ。あれから三日くらい経ったけどまだ現実感が薄くて、夢なんじゃね? っておれの意識を疑ってる。でもプールで泳いでる時はいつも通りすっげえ現実ーって感じがするから、やっぱり夢とか妄想ではないっぽい。水瀬さんとおれが付き合うことになったなんて、四月のおれに聞かせたらなんて言うだろうな。「お前頭大丈夫か」くらい言われそうだ。大丈夫だって言いきれないから反論できない。彼女のことをちょっとでも思い浮かべると、もうそれだけで心臓の鼓動が速くなるんだから重症だ。付き合えるってのは最高に嬉しいけど、だからこそ、だからこそだ。彼女をがっかりさせるようなことはしたくない。先に来たのだってそのためだ。おれちょっと締まらないとこあるからな、気合い入れてくぞ気合い。
ここまで早歩きで来て熱持ってた脚が、影に入ってるとだんだん冷やされてくのを感じる。ついでに頭もクールダウンしてきた。水瀬さんが来るまでここで待ってれば大丈夫、そう思うとちょっと安心して、別のことを考える余裕が出て来た。カバンに入れたスマホを取り出して「LINQ」にタッチ、真ん中ちょっとした辺りにあるゴクウブラックのアイコンをタップ、ユカリとやり取りしてるメッセージがパッと並ぶ。最後のメッセージはおれの「いってらー」。どこへ行ったかって? 静都の小金。榁とは何もかも比較にならないくらいの都会都会した都会で、馬鹿でかいビルとかがいっぱい建ってるって聞いた。夏の頭に一度出かけると、ユカリは夏休みが終わる直前まで榁へは帰ってこない。
前に一回訊いたんだよな、小金で一か月も何してんのって。結構細かく教えてくれたっけ、前に住んでた家で一人暮らししながら、ハワードと一緒に街をぶらついてトレーナー相手にバトルを吹っ掛けてるって。帰る度に草ボーボーになってるからまず草むしりからせんといかん、みたいなことを言ってたのを覚えてる。電気とか水道とかは止めずに基本料金だけ払ってるそうだ。ユカリは元々小金に住んでて、その時住んでた家にはもう誰もいないんだけど、伯母の明日さんと一緒に手続きをして手放さずにいるとか。毎日勝った負けたでバトルすんのも楽しいもんやで、って言うユカリは、普段よりちょっとだけクールな感じがしたっけな。
おれの水泳部の方はぼちぼちって感じだ。部員はおれを入れて片手の指をギリギリ上回るくらい、大会とかには全然人数が足りなくて出られそうにない。顧問も悪い人じゃあないけど他、確かハンドボール部だったっけ? それと掛け持ちであんまり様子を見に来られない。だからなんとなく集まってなんとなく練習するって流れになるのは自然っていうか必然っていうか。部長がジムでめっちゃ顔なじみのセンパイだったのはよかったな、やりやすい。朝練もあるけど、正直物足りないくらい。おれが組むならもうちょい量増やすけど、湯浅は今くらいでちょうどいいって言ってるし、気にするほどじゃないか。今日もスルッとこなしてきた。肌もちょっと焼けてる感じがする。
右腕に左の掌を当てて熱くなってるなーとかやってたら、前から待ち人現る、水瀬さんだ。おれが手を振ると見つけてくれたみたいで、こっちに向かってまっすぐ歩いてくる。やっぱり水瀬さんだ、どこからどう見ても。ああ、おれホントに付き合うことになったんだな。気持ちがフワッとした感じになりそうなのを軽く咳払いして落ち着けると、すぐ側まで来てくれた水瀬さんを出迎える。
「ごめんごめん、待たせちゃったね」
「いや、おれも今来たばっかのとこ。暑いから陰で涼んでた」
「うん。暑いよね、今日も」
「だよな、榁の夏って感じがする」
「本当にね。けど、自分は夏が好きだよ。一番好き」
「おれも。夏になるとさ、体が軽いって思えるから」
「あ、自分も今同じこと言おうとしてた。体が軽いって」
先取りされちゃったね、透くんに。おれの名前を口にして、水瀬さんがちょっとはにかんで見せた。おおやばい、今ガチでちょっとくらっと来たぞ、気合いを入れ直してなんでもない風を装う。やべえな、やべえって言い方品がなくてイマイチだけど、ホントにマジでやべえ。ちょっと気を抜いたら「かわいい」って口からポンって出てきそうだ。けど「かわいい」なんて気安く言ったら失礼な気がする、だってこう、あれだ。かわいい以上に、綺麗なんだ、水瀬さんは。
それこそ、あの時目の当たりにした、光を受けて煌めく海の世界みたいに。
サッと手が伸びてきておれの前に差し出される。手を繋ごう、水瀬さんが朗らかな声で告げる。よし、いくぞ、と心の中で気を引き締めると落ち着きを取り戻せて、彼女の手をスッと取ることができた……んだけど、手を繋いでみるとやっぱ動悸が収まらねえ。これさ、絶対水瀬さんにも伝わってるよな。ドキドキしすぎって呆れてたりしないかな、ヒヤヒヤしながら顔を上げる。水瀬さんはどうしてたかって言うと、繋いでない方の手の掌をそっと胸に当ててた。胸が痛いとかそういう感じじゃない、鼓動を感じるための仕草って言えばいいかな。おれの瞳を覗き込んで、柔らかく微笑んでる。
「透くん」
「うん」
「自分、ドキドキしすぎじゃないかな」
「えっ」
「ただ手を繋ぐ。それだけでこんなに胸が高鳴るなんて、思ってなかったから」
自然と口が開く。
「おれもなんだ。伝わってると思うけど、一海と手を繋いでから、鼓動がいつもよりだいぶ速くなっちゃって」
「……あっ、本当! 透くんもだったんだね。なんだか嬉しい」
「ちょっとドキドキしすぎ、って感じでさ、一海が引いたりしてないか心配になったくらいだし」
おれが素直にこう言うと、水瀬さんが明るい声を上げて笑った。緊張してたのがうまい具合にほぐれて来たのを感じる。水瀬さんが笑ってるのを見たおれも笑う。笑いは健康にいいって言われてるし、いいことだよな、きっと。いや健康どうこうは今関係ないけど、とにかく笑顔になれるのはいいことなんだよ、おれが思うに。
「こうやって手を繋いでもらってると、ここにいるんだ、って気持ちになるよ」
「一海が、ここにいる」
「ヘンな言い方だと思うけど……海に浮かぶ船が、舫い綱で港に繋ぎとめられてる、みたいな」
「いや分かる。おれ、それすっげー分かるよ」
水瀬さんはヘンな言い方って言うけど、おれはそうは思わない。分かりやすい、すっげえイメージしやすい、他でもないおれがそうだし。隣に好きな人がいるっていう状況を信じきれない心が現実と非現実の間でゆらゆら揺れてて、ほっとくとどっかへ流れてしまいそうなのを、手を繋ぐっていうおれ一人だけじゃ絶対できないことをして現実の方に繋ぎとめる。隣に水瀬さんがいるんだっていう現実に。なんかおれ、今素ですっげえクサいこと考えてるな、ほっとくとスッと出てきそうだ。意識しまくって絶対口に出さないようにしないと。
今日は会って特に何をするわけでもない、辺りを散歩したりしてのんびりしたいってちょっと前に話した。もし水瀬さんがどっか行きたいならおれはどこへだって一緒に行くし、おれが行きたいところへ行くっていうなら目的地は考えてある。星宮神社ならここから結構歩くことになるし、アップダウンもきつくないから散歩にはちょうどいい。お参りするっていう目的もできる。おれなりにちゃんと考えてるんだ、一応。
「どっかさ、行きたいところとかある?」
「どこでもいいの?」
「北極とかはナシで」
「ふふっ。さすがに北極までは行けないよ」
「おれも無理。できれば歩いていける距離がいいな」
「うん、それなら――星宮神社はどうかな」
マジか、考えって伝わるものなんだな。おれの目的地第一候補とピッタリだ。
「星宮神社まで、透くんといっしょに行きたいな」
「いいな。お参り行こう」
「ここから結構遠いし、いいかなって」
「分かる、めっちゃ分かる。歩きたかったんだ、一海と並んで」
「うん。たくさんお喋りできるね」
水瀬さんもおれも行きたいところは同じ、だったら行くっきゃねーだろってやつだ。手を繋いだおれたちが、セブンイレブンの駐車場を出て、海沿いの道を歩き始めた。
おれと水瀬さん、右手と左手、しっかり繋いで一緒に歩く。それ以下でもそれ以上でもない。ただそれだけなのに無性に楽しくて、ちょっと気を抜くと歩きがスキップに化けそうになる。気持ちを落ち着けろって意識してるんだけど、案外難しいな。水泳大会の前とか中間テストの開始直前とかでさ、雑念を振り払って精神統一するのは結構得意で自信あったんだけど。雑念みたいな雑魚散らし技でサッサと散らせるヤワな気持ちじゃなくて、水瀬さんのことが好きだっていうガチの気持ちだからかも知れない。気持ちのボスキャラ、雑魚散らし技じゃ倒せない感じのやつ。
幸いに、って言っちゃっていいのかな、口の方はもつれたりせず割としっかり回ってくれた。水瀬さんがペースを合わせてくれるおかげでもあるな、ヘンなことにならずに喋れてる。あとはアレだ、普段喋りが早くて話題がポンポン変わるユカリと話すことが多いから、誰かと話すのに慣れてるからかも知れない。ちょっとだけユカリに感謝する。けどあいつマジでどんどん話題乗り換えてくからな、ちょっと前だってアレだった。前の日受けた英語の授業のこと話してたと思ったら、いきなり「夏な、映画観にいくねん」とか言いだしたし。いかにも「何の映画?」って訊いてほしそうにしてたからお望み通り訊いたら「ほら、この間貸したったやつ」って返してきたわけだよ。ああこれおれに題名言わせたいんだな、おれだって空気は読める。「あれだ、『ペンギン・ハイウェイ』?」って答えたわけだよ。予想通りユカリがしたり顔で「分かってるやん」って言うんだ。「お姉さんのおっぱい観に行ってくるわ」なんて続けて。声がでけえんだよ馬鹿、なんて言っても無駄なんだよな。あいついつもこんな感じだから。脱線しまくったな、ユカリのことはもういいや、今は水瀬さんと話してるんだし。
「海にいる時の一海、すっげえ楽しそうだった」
「楽しかったよ。海のこと、大好きだし」
「その、いつもあんな感じなのかな」
「あんな感じだよ。気ままに泳いだり、ポケモンと遊んだりしてるかな」
「やっぱか。自然な感じしたから、そうじゃないかって思ってた」
「素になってたかな、って自分も思ったし」
「そっか。けどさ、今の時期はいいと思うけどさ、ほら、暑いし」
「うん」
「この間の……六月の海とか、まだ結構冷たくない?」
「自分は平気だよ。おじいちゃんと一緒に寒中水泳してたから」
「すっげぇ。寒中水泳とか」
「透くん、やったことない?」
「だいぶ前だけどある。ジムの催し物で。一月だったけどマジで死ぬかと思った」
「そうかな? 慣れちゃえば、案外へっちゃらだよ」
「いやいや、それをしれっと言える一海が凄いんだって」
あの辺りにはポケモンがたくさんいるんだ、他とちょっと水質が違うみたいで。だから、自分のお気に入り。水瀬さんが教えてくれた。だからか、見たことないポケモンがうなるほど集まってたのは。だったら他のやつには教えたくないな、ヘタに捕まえに行かれたりしたら面白くない。おれと水瀬さんだけの秘密にしておく。秘密っていいな、なんか水瀬さんと繋がってるって感じがするから。
海のことを話しながら、おれは海の中で自在に舞い踊っていた水瀬さんの姿を思い浮かべる。言葉通り、ため息が出るくらい綺麗だった。ため息が出るってネガティブな意味しかないと思ってたんだけど、初めてポジティブな意味で使う気がする。れっきとした人の形をしてるけど、海で暮らすポケモンみたいに海流を巧みに掴んで、縦横無尽に駆け巡って見せる。容姿も動作も仕草もすべてが美しさのカタマリで、本心から感嘆のため息が出る。この気持ちに嘘偽りはない、おれ自身に誓って。
だから、その、あれなんだ。あくまでおれは水瀬さんを綺麗な人、美しい存在だって思ってて、やましい気持ちは絶対持たないぞって何べんも言い聞かせてる。ホントのところはちょっと自信ない、情けないけど。あのサラシに褌って装いは水瀬さんのお気に入りで思い入れがあるものなんだ、ヘンな風に見るのは失礼だぞ。頭ではそうやってバッチリ理解してるけど、ええっと、あの、やっぱりちょっと刺激が強い。後ろとかほとんど隠れてないし、ぶっちゃけるとほぼ丸見えだし。綺麗だから見てたいけど、こんな気持ちがちょっとでもあるんだったらじろじろ見ちゃいけない。だから、敢えて触れないようにしてたわけで。
「それでね、自分が海で泳ぐときは、いつもあの着装してるんだ。上と下に布を巻いて」
ええっ、水瀬さんの方から触れて来るのかよっ。おれ頑張ってそっち行かないようにしてたのにっ。
「水着も嫌いじゃないんだけど、絹の方が肌触りいいし、ちょっと体が締め付けられる気がしちゃって」
「ああ、まあ」
「それに、全身で海を感じられるのがいいなって。本音を言うと、何も着けないのが一番だけど」
「あの、さ。おれ、ちょっといいか」
「ん? 透くん、どうかした?」
「一海の気持ちは尊重したいしさ、おれがどうこう言うのなんておかしいと思うんだけど、その」
「うーん、そうだね。あの恰好恥ずかしくないの? ってところかな」
「あぁ、えっと……うん、その、ごめん、それ」
「だよね。そう思っちゃうよね」
「ほら、いろいろ見えてるし、背中とか、その辺」
くすくす笑う水瀬さん。悪戯っぽい顔してる。それも素敵だなあって思ってしまうくらい、今のおれは彼女に骨抜きにされてる。ヘナヘナのメノクラゲみたいになってる。
「さすがに、誰かが見てたりするとちょっと気になるけどね」
「や、やっぱりそっか、そうだよな。あんまりジロジロ見ないようにしなきゃ、おれ気を付ける」
「ううん。透くんは特別だよ」
「ええぁっ」
「特別だから、いくらでも見てくれていいんだよ。じーっと、ね?」
「いやあの、おれは」
「ふふふっ。透くん、カワイイね。ますます好きになっちゃった」
「とほほ」
苦笑いしかできねえ。水瀬さんって結構茶目っ気があるというかなんていうか。いい意味でね、いい意味で。
「だけど、ちょっと反省しなきゃ。透くんについ目が行っちゃってたから、自分。ここに透くんがいるんだぁ、嬉しいな、って」
「いや、おれは別に見られてもいいかな。プールとかいつでも他の人いっぱいいるしさ」
「わ、堂々としてる。透くんらしいよ」
水瀬さんは反省しなきゃって言ってるけど、おれはちっとも気にしてない。もし見たいんだったらいくらでも見て構わない。だいたい、おれより体格良いやつなんていっぱいいるし、だからって見られて恥ずかしいってあんま思わない。泳いでる時は他人の視線なんてどうだってよくなるし尚更。ただ、水瀬さんが見てるって意識したら、ちょっと泳ぎ方とか変わるかもしれない。できればちゃんとしたフォームにしたいな、とか。カッコつけたいってほどじゃないけど、でもカッコつけたがってるんだろうな。水瀬さんならこんなトコまできっとお見通しだってのに。
水瀬さんはおれを特別だって言った、言ってくれた。何がどう特別なのかは分からないし、じゃあ遠慮なくガン見するぜなんて気持ちはミリも無い。水瀬さんに失礼だったり品のないことはしたくない。カッコ悪いから。だけど、おれに体を見られて嫌な気持ちになってたりはしないっていうことが分かったのはホッとした。海で水瀬さんを見てから、おれが変な目で水瀬さんのこと見たりしてないか、それが水瀬さんの負担になってたりしないか、ずっと気になってたから。
「使ってる人少ないけど、褌って結構いいよ」
「ちょっと気になる。どの辺りが?」
「体と一緒に気持ちがキュッと引き締まるところ。せっかくだし、透くんもどうかな」
「いや、おれはいいよ。水着の方が慣れてるし」
「そっかぁ。気が向いたらいつでも言ってね、用意するから」
学校じゃ絶対聞けなさそう、できなさそうな会話。水瀬さんって面白いな、腹の底からマジでそう思う。この面白いっていうのは、おかしいとか可笑しいって意味じゃない、そっちの方向じゃないから。会話してて楽しい気持ちにさせてくれるっていうか、もっともっと話したいなって思わせてくれるってこと。隣にいるおれも、水瀬さんにおれと同じ風に思ってもらえるようにしたい、なりたい。今この瞬間そう思われてるってほど自惚れてはないから。ユカリほどテンポよく話せねえし。
ただ同じペースでのんびり歩いて、ただ磯くさい潮風を浴びて、ただ打ち寄せる波の音とキャモメの声を聴いて、ただ水瀬さんと他愛ないお喋りを積み重ねる。特別なことなんて一つもない、どこを切り取ってもただひたすらに日常。でもおれはこの時間一生続いてほしいなって思う。
「自分ね、海が好き。海が大好き」
「水瀬さん」
「朝から海にいて、陽が暮れるまでずっと泳いでる。もし学校行かなくてもいいなら、毎日そうしてたいくらい」
「筋金入りだなぁ」
「なんていうか、泳いでないと落ち着かなくって。透くんと目が合ったあの日もそうだったんだ」
水瀬さんが記憶を振り返りながら呟く。あの日、海岸で目が合った日。
「そわそわして、そのうち体がぽかぽかしてきて、海に行かなきゃって気持ちでいっぱいになっちゃう」
「海じゃないけど、おれもプール行って泳がないと気が散って仕方なくなるんだ。だからほとんど毎日行ってる」
「なんだか似た者同士だね、透くんと自分」
「ちょくちょく通じ合ってる気がするんだよな。おれも星宮神社行きてえって思ってたし」
「以心伝心、だね。確か、今日も朝練あったんだっけ」
「うん。それで家戻ってからソッコーで飯食って出て来た。一海に会えるって思ったら一秒も無駄にしたくなかったし」
「自分も、用事を済ませたらすぐ出て来たよ。透くんに会いたかったから」
「そっか。やっぱり似た者同士だ、おれたち」
「透くんが言うなら、間違いないね」
会話が弾んでるってこういうことなんだろうな、いつもならいちいち小言と茶々を入れまくるおれの中のおれは、退屈そうにそう言うのが精いっぱいだった。
人数が多くても大変だけど、人数が少ないのも困りものだね。水瀬さんは自分のことみたいに困った顔をして言う。おれが水泳部に入ってて、部員の数が泣けるほど少ないって話をしたからだ。大会にもしばらく出られそうにないとかも話した。他の部活も似たり寄ったりで、文化系はどこもかしこももっとえぐいことになってるって秋人が言ってたな。天文部もポスター貼りまくったりしてなんとか人を呼ぼうとしてるらしいし。おれもなんかやって人集めないとな、めんどくさいけど、やらないと部活無くなっちまうし。
「人少ないのはアレだけど、みんな泳ぐの得意だし好きだから、悪くはないな」
「透くんより速く泳げる人っているかな。先輩も込みで」
「いない。センパイ入れてもおれが一番速い。この間タイム測ったから」
湯浅もクラスの中では上から数えた方がずっと早いくらい速いし、センパイたちもすっげえ速く泳げる。けど、おれはその中でも一番速い。数字が出てるから、思い込みとか自惚れとかじゃない。湯浅がおれより速かったらおれは湯浅の方が速いっていうし、センパイたちだって同じ。今はおれが一番速いって分かってるだけ。だいたいおれはまだ満足してないから、タイム測ったときのおれを相手にして、それよりもっと速く泳げるようになりたいって考えるだけだ。
「だからさ、一海はすごいんだ」
「えっ、自分?」
「うん、一海」
「それは……この間競争して勝ったから、とか?」
「それ。おれよりずっと速かった。すげえって」
「まぐれだよ。透くんが勝っててもおかしくなかったよ」
「いいとこまでは行けたけど、一海の勝ちは勝ちだ」
「透くん」
「おれが全力出して負けたの久々だったし、学校で一番速いんじゃないかな」
「もう、透くん。ちょっと持ち上げすぎだよ」
これはお世辞とかおべんちゃらとか、そういうつまらないやつじゃない。全然違うから。おれは水瀬さんをマジですごいと思ってて、ガチで尊敬してる。この間競争したときおれよりずっと速く泳いで、しかもまだ余裕ありますって感じだったし。ホントにとんでもない。もしかしたら、っていうかほぼ確実に、学校にいる誰よりも速く泳げると思う。こんなに速く泳げる人はマジで久々に見た、小学生の時以来かも知れない。中学通ってる時は誰にも負けた記憶なかったから。
「今はそうでも、そのうち透くんに追い抜かれちゃうと思うけどな」
「いつか追い抜いてみたい。だから、一海も今まで通り海でいっぱい泳いで、おれをもっと突き放してほしい」
「透くん、今のかっこよかったよ。ドキッとしちゃった」
「えっ、いや、おれそういうつもりじゃ」
カッコつけたつもり無かったんだけど、口に出してから少し経つとなんかちょっと歯がフワフワ浮くような事言ってる気がする。けど違うんだ、本心から思ってることを言っただけ。おれはもっと速く泳げるようになりたいし、水瀬さんには目標でいてもらいたいって言うか。海中の水瀬さんはプールにいる時よりもっと軽やかに泳げてるのを見たから、まだまだ力を隠してるって思ってる。おれ、いつか水瀬さんに本気を出させたい。本気を出させて、勝つか負けるかっていうガチの勝負がしたい。で、勝った負けたって言って、もう一戦やろうってなる。そういうのがいい。
並んで歩きながら、左に立つ水瀬さんを見る。すると水瀬さんもおれを見て来た。自然と目が合う。なんかこの流れ多いな、目が合うのは嫌いじゃないけどさ。
「えっと、透くん」
「どうかした?」
「大したことじゃないんだけどね、その」
「うん」
「自分、ちょっと身長が高くて」
「あ、本当だ」
「透くんが嫌じゃないかな、って」
言われてみると確かに、おれよりおでこ一つ分くらい背が高くて、肩の位置も結構違う。身長高いんだな、おれの背が低いっていうのもあるけど。回数は減って来たけど、まだたまに中学生と間違えられることもある。童顔だってよく言われるし。背丈は置いといて童顔なのはちょっと気になるな、キリッとした顔になりたいけどやり方分かんねえ。水瀬さんは逆に背が高めで、顔つきもちょっと大人びてる。クールでシュッとした印象ってやつ。いろいろ対照的だ。
おれの顔が子供っぽいのはまあどうしようもないから置いとくとして、水瀬さんがおれより身長高いのは別にどうとも思わない。おれより身長高かったんだ、とは思うけど、ただそれだけ。疑う余地のない事実だし。そもそも誰かと身長差があるのを嫌だとか思ったことは無いな、背が高いからすごい、低いからダメってことでもない。そりゃあバレーとかバスケみたいな身長差がめちゃくちゃ響く運動やってるなら別だけど。水泳ってどうなのかな、身長高い方がタッチするのは早くなりそうだけど、あんまり意識したことない。
「おれは気にしないな」
「本当?」
「本当」
「よかったぁ」
「一海から言われるまでマジで気付いてなかったし」
「透くんならきっと気にしないって思ってたけど、でも、やっぱり不安だったから」
「そんなに気になるもんなのかな」
「うん。自分より背の高い女の子とは付き合いたくないって男の子が多いって聞いてたし」
「なんだろ、今の一海、可愛かった」
「えっ、えっ」
「なんていうか、一海もそういうこと気にするんだな、って」
「あ……うん、その」
「けど、一海」
思ってること、考えてること。それをヘタにいじったりせず、まっすぐストレートに伝える。たぶん、それが水瀬さんへおれの気持ちを伝える最短ルート。
「おれ、今の一海のことが好きだから」
身長どうこうとか、顔つきどうこうとか、細かいこと全部ひっくるめて。おれは、今の一海のことが好き。
ただ、それだけだ。
「――ありがとう、透くん」
「吹っ切れた?」
「うん、スッキリ」
「よかった。気持ちがモヤモヤしてるの、おれもツラいって知ってるから」
「もう大丈夫。雨が降り止んだ後の青空みたいな気分だよ」
透くんが自分のことを好きって言ってくれたこと、大事にするよ。水瀬さんが底抜けに爽やかな笑顔でおれに言う。ああ、いいな。こんな顔が見たかったんだ。おれの言葉で水瀬さんが笑ってくれたっていうのがすっげー嬉しい。今日みたいなこと、きっとこれからもちょくちょくあると思う。水瀬さんの曇った顔を台風一過の快晴に変えられるような言葉を、こうやってスッと伝えられるようになりたい。
いい感じになったけど、今の雰囲気ちょっと照れくさいな。しれっと話題変えよう話題。ユカリがやってるみたいに。
「えっとさ」
「うん」
「一海って部活入ってないの?」
「今は何もしてないかな」
「水泳部どう? 今なら確実にエースになれるけど」
軽い気持ちで勧誘すると、水瀬さんが照れたように笑う。冗談交じりだけど、水瀬さんなら間違いなくエースになれるってのはガチだ、そこは冗談でもジョークでも何でもない。おれより速く泳げるのは証明されてるわけだし、部員の中に水瀬さんが女子だからってぐちゃぐちゃ言うようなアホはいない。万が一いたらおれが詰める。本気で詰めまくる。
「気持ちは嬉しいけど、自分はプールより海で泳ぐ方が好きだから」
「そっか。ちょっと残念だけど、しょうがないか。一海がしたいようにするのが一番だ」
「中学校の時は、何かやろうかなって思ったこともあるよ。ハンドボールとか、ソフトテニスとか」
「どれやっててもサマになりそうだな、一海なら」
「もう、おだてても何も出ないよ。でもね、どれも長続きしなくて」
ちょっと意外だ。水瀬さんって何やってもうまくやれそうなんだけど、なんか理由があったのかな。
「結局、海に戻ってきちゃうんだ」
「まあ他の部活やってたら、泳ぐ時間減っちまうからなぁ」
「それに、家のお手伝いもしなきゃいけないしね」
「大変だなぁ。おれも飯作ったり風呂沸かしたりくらいはしてるけど」
「透くんも家事してるんだ。また似た者同士だね」
「似てるところ多いのかもな、おれたちって」
「だとしたら、自分も嬉しいよ」
それで、今はどこにも入ってないんだ。ゆっちゃんもやってないし、ちょうどいいかな、って。流れの中で水瀬さんの口からユカリの名前が出た。ころっと忘れてたけど、水瀬さんってユカリと友達だったっけ。清楚な水瀬さんと大ざっぱなユカリって合うのかなと思ったけど、お互いの性格が違う方が案外噛み合って関係が長続きするってこともあるかも知れない。ユカリって基本誰とでもすぐ話すようになるし。
「ゆっちゃんって、ユカリのことだよな。四条ユカリ」
「透くん、ゆっちゃん……四条さんのこと知ってたんだ」
「知ってる知ってる。知ってるっていうか、小学校に上がってすぐぐらいからの幼馴染ってやつ」
「そうだったんだ。ゆっちゃん、透くんと知り合いだって一言も言ってなかったから」
「たぶん、一海と話すのに夢中で言い忘れてたんじゃないかな。あいついつもそんな感じだから」
「お喋りしてるとすごく楽しいからね、ゆっちゃん」
「口がよく回るからな。普段何してるんだ?」
「よく一緒に図書館に行ったりしてるよ」
「図書館かぁ、おれもたまに行ったりしてる。ユカリとはいつ会ったんだっけ」
「小学校に上がってすぐだよ。ゆっちゃんが自分のこと助けてくれたんだ」
おれと水瀬さんは別々の小学校に通ってた、これは間違いない。だとすると、学校以外のどっか別の場所で会ったんだろうな。あいつ昔からあっちこっち走り回ってやたら遠いとこにまで出かけて行ってたし、そこで友達作って来たとかしょっちゅう言ってたし。きっと水瀬さんも同じような流れで知り合ったんだろうな。
「もしかしたらだけど」
「うん」
「自分がゆっちゃんと出会ったのも、透くんと同じくらいの時期かも」
「あり得るな。ここでも似てるよ」
「ひとつ繋がりが見つかると、あとからポンポン出て来るね」
「いいな、こういうの」
「いいよね。自分もそう思う」
「それでさ、ユカリって頭いいよな」
「ビックリしちゃうよね」
「うん。マジで」
「テスト前はいつもお世話になってて」
「おれもおれも」
「ね。頭が上がらないよ」
「前に聞いたけど、医者になりたいとか言ってたな」
「自分も同じこと聞いたよ。医学部行くんやー、って張り切ってたなぁ」
ユカリが医者かぁ。手先器用だし頭も回るから心配はなさそうだけど、手術中に「あ、ちょっと切りすぎてもた。ええわ別に」とか言ったりしないよな、いやこのご時世そりゃないな。さすがにそれはない。でもユカリだしあり得ないとは言い切れない、切りすぎてもうまいこと誤魔化して誰にも気づかれなさそうな感じがする。ちょっと怖え。
「ゆっちゃんとはどこで勉強したりしてた?」
「放課後にさ、教室に残って教えてもらってたよ」
「そっか、学校同じだったから」
「うん。あいつ頭いいだけじゃなくて、お節介焼くの好きだから」
「自分もいっぱい親切にしてもらったよ、ゆっちゃんに」
「何でも知っててさ、どうでもいいことまで知ってる」
「勉強と一緒にいろんな話聞かせてくれたっけ。面白いなって思った話、言ってもいい?」
「聞かせて」
「ハネッコってポケモン、知ってる?」
「知ってる知ってる。タンポポの葉っぱみたいなの生えてるやつ」
「そうそれ。ゆっちゃんの住んでた小金の方だとね」
「うん」
「ハネッコの置物を置いてるお店がちょこちょこあったんだって」
「なんでハネッコなんだろ。ニャースとかエネコとかだったらさ、招きネコって感じで分かるんだけど」
「招きネコ、そう招きネコだって」
「えっ、ハネッコが?」
「そう。『葉っぱ』と『ネコ』で『ハネッコ』って考えてる人が多いって言ってたよ」
「『跳ねてる根っこ』だから『ハネッコ』じゃないのか」
「自分もそっちだと思ってたけど、解釈が違うみたい」
「確かに面白い話だな。あれがネコポケモンの仲間に見える人もいるってことだし」
おれから見てネコポケモンっぽいかって言われたら微妙だけど、そういう風に見える人がいるってことは理解できる。ものの見え方なんて人によって全然違うからな、今の風景見てたって、雲を見る人もいれば海を見る人もいる、向こうにある山を見る人もいるだろう。で、雲を見て「白い」って思う人も「デカい」って思う人も「ソフトクリームみたいだ」とか思う人もいる。白いって人の中にも……そういうこと。じゃあ今おれは何をどんなふうに見てるか? それ言う必要ある? ないよな? ない。
「それとね、ゆっちゃんは歌を唄うのが得意で」
「ああ、それ分かる。あいつとたまにカラオケ行ったりするから」
「すっごく上手だよね、いろんな歌を綺麗に歌って」
「しっとりした曲入れたと思ったら次にぶっ飛んだ笑える曲突っ込んだりとか、やりたい放題なんだよな」
「うんうん。自分も歌は好きだけど、ちっともうまく歌えなくて」
「そうなの? 全然そんな感じしないけど」
「もうね、びっくりするくらい音痴で。自分でもね、なんでかな、って思うくらいなんだ」
意外だ。水瀬さんが歌をうまく歌えないって。絶対きれいな声で歌いそうなイメージあるのに。ま、でもそれはおれの勝手な思い込みだし、水瀬さんが音痴だったとして何か嫌かって言ったらそんなことない。おれだってそんな上手に歌えるわけじゃないし。水瀬さんが楽しく歌ってればそれでいい、いや違うな、それがいい。それがいい、だ。言葉選びは大事だな、口に出して言う時は尚更。
「けどあれだろ、笑ったりとかしなくてさ、ノリノリで手拍子したりシャンシャン鳴らしたりするんだろ、ユカリは」
「そう、その通り。だから一緒にいて楽しくて、つい時間を忘れちゃう。うちに時々ご飯食べに来てくれるし」
ユカリがよそで飯食うのは今に始まったことじゃない。おれの家にもしょっちゅう上がってるし、他の友達んところでもよく晩飯食ってるって言ってた。物怖じしないって言うのはきっとユカリみたいな感じなんだろうな。ハワード連れてるの見てても、ポケモントレーナーに向いた性格だって思う。ちょっと前に面と向かって言ってみたけど、ユカリは鼻で笑って「うちはトレーナーにはならへんで」とキッパリ言い切ってきた。あいつはよく口が回るけど舌は一枚しかないから、本心からの言葉だろう。
「自分もゆっちゃんも魚とか貝が好きだから、よく料理に使ってるんだ」
「マジ? あいつポッキーだけ食って生きてるって思ってた」
「そうそう、ポッキーいつも買ってきてるよ」
「一海ん家行くときも買ってるのかあいつ」
「お夕飯の後、別腹やー、って言いながら食べてるね。自分もちょっと分けてもらって」
らしいや。普通に想像できるっていうか、おれの家に押しかけてくるときと同じだ。何も変わらない。どこでも自分のやりたいようにやる。やっぱりあいつらしい。
「じっくり焼いた魚と、あと白いご飯。炊き立ての、うんとあったかいご飯が好き」
「いいな。おれもご飯の方が好きだ」
「それにお味噌汁があれば、それで十分。何もいらないよ」
急だけどさ、朝飯にご飯を食べるかパンを食べるかってあるじゃん。ご飯派とパン派。いや、おれの知り合いでいつもバナナと豆乳ってやつもいるし、おれもたまに冷凍うどん茹でて食ったりするけど、とりあえずどっちかってことで。で、顔とか雰囲気とかで大体どっちかって予想着くんだ。的中率は八割くらい。一海はどっちだろ、なんとなくご飯派っぽいなって思ってたら当たってたわけだ。ほんのり嬉しい。
「一海って和食好きそうって勝手に思ってたけど、かすってたみたいだな」
「しっかり当たってるよ。パンも食べられるけど、ご飯の方が好き」
「パンも嫌いじゃないしたまに食うけど、おれも同じだ」
「おいしいご飯が食べたくて、炊き方とかも調べたりしたっけ」
あ、でも。水瀬さんが口元に指先を当てて立ち止まる。
「ソフトクリーム、ソフトクリームも好き」
一海の視線の先には、「ソフトクリーム」ののぼりを出している売店があった。
何売ってるのかパッと見分からない店ってあるじゃん、看板とかいろいろ出てるけど実際それ売ってんの? ってなるような店。ここもそうだ。外から見るとなんとなくタバコ屋っぽくて、けど店先を見ると駄菓子とかジュースとかも売ってる、奥まで見ると洗剤とか石鹸とかもぼちぼち並んでる、他にもカップ麺とかもある。おまけに昼時になるとなんか弁当とか惣菜とかも並ぶ。おれが生まれる前からあって馴染みだけは深いんだけど、この歳になっても何の店か分かんない。とりあえずおれはコンビニの進化前って呼んでる。コンビニっぽいけどコンビニではない、けど使い方はコンビニっぽいから。このコンビニの進化前には割とお世話になってる。前に洗剤を忘れて買いに来たのもここだし、出かけた帰りにカルピスソーダ買ってくのもここ。
で、このコンビニの進化前、夏になるとなぜかソフトクリームを売り始める。なぜか、って言うほどじゃないな。暑いから涼みたくて買ってくやつがいるんだ、おれみたいに。買いたい人がいるから売る、それで金を稼ぐ。何も間違ってない。間違ってないけど、マジで何でも売るんだなって気持ちにはなる。手当たり次第に売れるモノ売ってるって感じだ。そんなんだからソフトクリームもまあ食えなくはないって感じで大したことないはずって思われそうなんだけど、どういうわけか結構イケる。滅茶苦茶旨くてテレビの取材殺到、べるログに高評価ズラリ、って程でもないけど、少なくとも海凪のモールで売ってるのとは数段違う。甘いんだけど甘さ控えめで飽きない。甘けりゃいいってもんじゃないってことを分かってる。
コンビニの進化前はカビゴンみたいな目つきの婆さんが店番をしてる。開いてるのか閉じてるのか分かんねえけど、客が来るとそっちに顔を向けるからちゃんと見えてはいるみたいだ。扇風機をぶん回しながらぬぼーっと座ってて、カウンターにはちょっと色あせた黒ニャースの置物が置いてある。招きネコだな、さっき水瀬さんと話してた。なんかラジオを聞いてるっぽくて、雑音に混じってお昼のニュースが聞こえてくる。いつも通り、例年通りの風景だ。見るとなんか安心する。婆さん今年もくたばらずに元気でやってんだな、って。
「食べる?」
「うん! 食べたいな」
「おれも食べたい。決まりだ」
ちょっと待ってて、一海にそう告げて前へ出る。あっという間にカウンター前。婆さんはまだおれに気付いてない。こりゃ声を掛けなきゃ分かんないだろうな。もうだいぶ耳遠くなってたし。ってことで、腹にちょっと気合いを入れる。
「おーい、婆ちゃん!」
「はぁあーい」
やたらと間延びした返事、けどおれに気付いたのは間違いない。財布から五百円を摘まんで準備しながら、アイス二つ、とまた大き目に声を出す。味はバニラしかないし、形はソフトしかないし、入れ物はコーンしかない。だから「ソフトクリームのバニラ」とかじゃなくて、全部端折って「アイス」で通じる。ふたつ食べるのかい、訊ねつつももう作る準備を始めてる。一個は別のやつの分、おれがそう返す。小銭を渡す、受け取ってもらう。はいはい、と分かったのか分かってねえのかハッキリしない返事。ぼんやりしてんなぁ、って思うけど手つきは結構しっかりしてて、外面からしてちゃんとしたソフトクリームができあがりつつある。
渡されたソフトクリーム二つを持って水瀬さんの所へ戻る。はい、と右手に持ってた方を手渡す。わぁ、と一海が目を輝かせるのが見えた。何度目だろうな、くらっと来たの。仕草の一つ一つがキラキラしてて、可愛いって気持ちと綺麗だって気持ちと素敵だって気持ちのトリプルコンボで胸がいっぱいになる。気持ちを処理してるのって頭のはずなんだけど、なんで胸がキューってなるんだろうな。心臓の辺り。あれかな、水瀬さんのキラキラが、頭で考えるよりも先に命に直接働きかけてるからかも。おれの命が叫んでる。水瀬さんがキラキラしてるって。
「ありがとう。お金お金っ」
「いいよ。おれも食べたかったし、ちょうどよかった」
「えっ、ホントに?」
「本当本当」
「だったら、今度は自分が何かおごりたいな」
「そんな、気にしなくていいのに」
水瀬さんがソフトクリームにかじりつく。結構大胆だ、でも品がある。しっかり食べてるけどがっついてない、綺麗な食べ方だなって思う。おれソフトクリーム食ってると大抵ぐだぐだになるんだ。水瀬さんはそれがない。あとさ、おいしそうに食べてくれるのを見るとすっげえ嬉しいんだよな、ソフトはただ買ってきただけのモノだけど、これが自分で作った料理だったりすると嬉しさが段違い。親父は割と淡々としててたまに「うまい」って言うくらいだけど、ユカリは何作っても「結構いけるやん」って言う。結構ってなんだよ結構って返すけど、食べる時は大分旨そうに食ってくれるから作り甲斐がある。
とかなんとか考えてたら、自分も買ってたことをコロッと忘れてた。一海に見惚れてたせいだ。せっかくのソフトが溶けちまったらもったいない。カタチがまだちゃんと残ってるのを確認してから、少し大きめに口を開けてかぶりつく。口の中曰く、まず冷たい、キンキンに冷えてる。それから甘い、じわーって広がってく感じの甘さ。最後にすっげえミルク感。ミルタンクの乳の風味がこれでもかこれでもかと言わんばかりに自己主張してくる。そうそうこれこれ、これくらい味が濃い方がいいと思うんだ、おれは。モールとかで売ってるソフトは押しが弱すぎるんだよな。ちょっとうるさいくらいでちょうどいいんだ。
一口食べ始めたらもうやめられなくなって、まあ中途半端なところで止めたら溶けて垂れてくるってのもあるんだけど、とにかく夢中で食べた。ソフトクリームって面白いよな、食べる前からなんかワクワクして、食べ始めたらワクワクがわっと押し寄せてくる。一気にブースト。子供の頃からちっとも変わってない。氷菓自体が栄養のために食べるというよりは楽しみのために食べる物だけど、ソフトクリームのワクワク感は他より一回り、いや二回りはデカい。基本家の外で食うものだからってのもありそう。外でバーベキューとかするとやたら旨く感じるのと似てるかも。
コーンまで全部食い切って、小さく息をつく。食い終わると現実に戻って来た気がするな、花火大会が終わった後みたいな気分だ。ソフトしか見えてなかった視界が元通りの広さを取り戻して、水瀬さんをそこへ入れる余裕ができた。で、水瀬さんはどうしてたかっていうと、おれの方を見てた。じーっと、まじまじと。
「透くん」
「一海?」
不意に名前を呼ばれた、明るく朗らかないつもの声で。でもそこからがいつもと様子が違った。スッと指先が伸びてきてる。えっ、ってなって動けないままのおれの口元に、水瀬さんの柔らかな指先がそっと触れるのを感じて。触れた指先は音もなく肌をなぞって行って、まるで何かをすくい取るかのような動きをして見せる。ひと段落ついたみたいだ、指の動きがピタリと止まっておれから離れていく。指の先っぽ、おれと重なっていた部分に目を向ける。白いものがくっついてる、口に付いてたクリームだって理解するのにコンマ五秒くらいかかった。人差し指はそのまま一海の口へ運ばれていって、それから。
ぱくっ。吸い込まれるようにして中へ消えた。
「クリームついてたよ、透くん」
煌めく笑顔でそう言ってのける水瀬さんを、おれはしばし無言で見つめることしかできなくて。
「一海、おれ……すっげぇドキドキした」
だいぶ遅れてから、やっと反応らしい反応ができた。真顔で言ってたんだろうな、きっと。水瀬さんがツボにハマった時の笑い方、腹の底から笑ってるのが外から見ても分かるあの声で笑ってるのが見えた。
「透くんのことドキドキさせちゃった。かわいいな、透くんは」
「ちょ、一海」
「ふふっ。ごめんごめん。言ってからの方がよかったかな」
「いやいや、言われてからだったらたぶんもっとドキドキしてたから」
こういうの、なんて言うんだっけ。バカップルだっけ? たぶんそれ。おれたちはバカップルだ、今。いいんだよ、これで。よく言うだろ、祭りはバカになった方が絶対楽しいって。
おれと水瀬さん、一緒にいるだけでお祭り騒ぎだ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。