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#10 剣の舞

神社と言えば長い階段。星宮神社もそこは他に倣ってる。ユカリが確か百二十段くらいあるって言ってたっけ。おれもユカリも運動やってるからスイスイ登れるけど、普段体動かしてないやつにはキツそうだ。かと言ってエスカレーターとか付けるわけにも行かないからな、なんか罰当たりって言うか地形的に工事できなさそうって言うか、そもそも風情がないじゃんっていうか。

ともあれ、のんびり一時間くらい歩いて、目的地の星宮神社まで着いたってのは間違いない。おれと水瀬さんは今、星宮神社の境内に立っている。

星宮神社、おれはそんなにしょっちゅう来るわけじゃない。来て年に二回か三回くらいだ。決まって来るのは年明けの初詣と夏の星祭りのときくらい。初詣は親父と二人で、新年になったしとりあえず詣でとこうかって感じで割と惰性っちゃ惰性だ。星祭りの方も、毎年派手にやってるしちょっと参加しとこう、くらいのノリ。大体ユカリと秋人、それから……誰だっけ? 秋人の幼馴染って女子がついてくる。あいつだけ学校違ってたせいで全然名前覚えられない。まともに話した記憶も無いんだけど、確か新高に行くとかって言ってた気はする。もしかすると隣のクラスとかにいるかも。

今年も星祭りがあるのは決まってるっぽい。掲示板とかにポスターが貼ってあった。出店がいっぱいでて、わいわいがやがやって感じのどこにでもありそうな夏祭り。毎年八月の七日にやってて、この日付が違ったことは無い。七月七日の七夕から一か月が経ってるってのがミソだってユカリが言ってた。なんでも七夕に呼び寄せた星の神様がこの地へ辿り着くのが八月七日らしい。神様の割に一ヶ月もかかるのか、悟空みたいにピシュンって瞬間移動かなんかで来れねえのかなって言ったら、ユカリが「そらトッちゃん、風情がないやん風情が」って返してきた。風情かぁ、神社にエスカレーターが無いのと同じかもしれない。

「今日は誰もいないみたい。静かでいいね」

「おれも静かなのは好きだな。気持ちが落ち着く」

けど、と一拍入れてから。

「おれ、特に目的とか持たずに商店街歩いて、賑やかだなあって思うのも好きだ」

「いいね、それも分かるよ」

「なんかて言うかさ、好きの方向が違うと思うんだ。練乳かけたイチゴが好きなのと、沸かしたばっかの風呂が好きなのが違うのと同じで」

「どっちも好き、でも好きって気持ちの種類が違う。透くんの言いたいこと、よく分かるよ」

歩きたいね、商店街。透くんが隣に居たら、いつもの風景も全然違って見えるし。事もなげに言う一海に、おれは胸が高鳴るのを覚える。おれがいるだけで、水瀬さんの見えてる世界は変わるんだって。水瀬さんから見える世界、それを変える力がおれにはあるんだ。自惚れるわけじゃないけど、でも自覚はしておきたい。おれの立ち振る舞いや言葉ひとつで、水瀬さんの世界が色褪せることもより鮮やかになることもあるんだって。

遠慮なく降り注ぐ日光を全身に浴びながらここまで歩いてきたわけだけど、水瀬さんは今見ても全然日焼けした気配がない。ずっと外にいて、半袖のシャツを着ているから肌がかなり外に出てるのに、ちっとも焼けてる様子がない。洗い立ての絹みたいに真っ白で、そっと触れてみても熱を持ってたりしてない。むしろひんやりしてるくらいだ。おれの方はじりじり焼かれてて、腕とか頬とか明らかに熱持ってるなって分かるくらいなのに。

「火照ってるよ、透くん」

おれの考えてることが読まれたのかと思った。頬がきゅーっと冷やされるのを感じて目を見開いた。一海が手のひらを頬にそっと当てて来たんだ。外側は冷たくなる、だけど内側は火が点いたみたいに熱くなる。上は洪水下は大火事なーんだ? ってなぞなぞがあったじゃん、昔。アレに近い。アレがおれのほっぺたで起きてる。なんか落ち着いた風に言ってるけど、胸は全然落ち着いてない。ドッキドキのドキドキになってる。語彙力が死んでるぞおれ、ちっとはしっかりしろ。そんなこと言ったって。

一海がパッと手を離す、遅れて鼓動の高鳴りが収まる。あのままあと十秒続いてたらその場でぶっ倒れてたかもしれない。ほんと、水瀬さんと何かすると心臓が大忙しだ。寿命が縮まるって言うところだけど、一緒にいるとめちゃくちゃ気力が湧いてくるから、そう思うと伸びてる気もする。伸びて縮んで膨らんで、忙しないことこの上ない。落ち着いたかな、周りもちゃんと見えるようになってきた。おれの目の前には三つの社、それぞれにひとつずつ、合わせて三柱の神が祀られている。

海の神様・森の神様・星の神様。心・時・夢の象徴。言葉を覚え始めた頃、親父が神様とそれが司っている物について教えてくれたのを覚えてる。小学校に通ってた頃に自由研究のネタにもさせてもらったから、神様たちのことは人並みには知ってる。面白えなって思ったのが、神様は超レアなポケモンだって説を唱えてる学者がいるらしい。普段何気なく接してるポケモンたちの中に実は神様が混じってるって、漫画みたいでワクワクするじゃん。だからおれ、神様イコールポケモンってのはアリだって思ってる。神様は神様で、ポケモンとは違う。そう思ってるやつが多いってのは知ってる。人間は神様の子だから、ポケモンが神様ってのは受け入れられないとか考えてるやつがいるのも頭では分かってる。

けど、ニンゲンとポケモンを比べて、どっちが神様っぽいか。ハッキリ言うね、おれはポケモンだって思う。

「海の神様が何司ってるか、一海は知ってる?」

「もちろん。言っていい?」

「ああ」

「心や愛、それから縁。そういうのを司るって言われてるね」

「なんていうか、並べてみると『ハート』に関わるもの全部って感じだな」

「ハート……本当だね」

「心も愛も、ハートがモチーフになること多いし」

境内の正面左手に祀られているのは海の神様。ちゃんと海がよく見えるところに祀られてる。愛とか縁とか絆とかに関係が深いから、いわゆる縁結びの神様だってよく言われてる。かつては恋愛成就の願掛けに来るやつが多かった、みたいな話をユカリがしてたな。今はどうなんだ? って訊いてみたら、神様自体アテにせえへん子が増えたみたいや、周り見てみ、お参りする子なんてそうそうおらんやろ、って返された。最初から何もかも全部神頼みってのは締まらないけど、かと言ってミリも頼らないってのも味気ないな、ちょっと。おれだってそうひっきりなしに参ったりするわけじゃないけどさ。

真ん中をすっ飛ばして右手へ目をやると、こっちは森の神様が祀られてる。海の神様が海沿いなら、こっちは山から伸びてる森に沿って社が作られてる。神社作る時にちゃんと考えたんだなあって思う。おれとかよく考えずに適当に並べちまいそうだ。

「向こうは森の神様。時間や空間、もっと大きく世界を司るって話だよ」

「スケールでけえよな」

「言ってみれば、森は陸の海みたいなものだから」

「陸の海って言い方、なんか面白いな。意味も分かるし」

「ゆっちゃんがここに居たら、こうやって手ポンしてたかも」

「あいつ一海にも言ってたんだな、手ポンって」

ユカリが得意げに手ポンやー、うちが名付け親やー、とか言ってる様子がすげえくっきり浮かんでくる。一海の前でもマイペースなんだな、っていうかあいつが自分のペースを崩すとことか想像できねえけど。

三柱あるうちの右と左は、それぞれ森と海の神様。残る真ん中の神様はどんなのかって言うと。

「最後に――星の神様、と」

「『願い』や『夢』……それから、『命』を象徴してる神様だよ」

星宮神社の中央にある一回り大きな社、そこには星の神様が祀られてる。

「真ん中にあるからっていうのがデカいと思うけど、やっぱ星の神様が一番目立つな。格上なのかな」

「海も森も、星の上にあるからね」

「ってことはさ、海と森の方が上じゃね? 星の上にあるんだし」

「透くん、とんちが効いてるね」

吹き出す水瀬さんを見ておれも笑う。ひとしきり笑ってから、また星の神様に目を向ける。

流れ星に願掛けをするとそれが叶うって話あるよな、あれの元になったって言われてるんだ、星の神様は。願いはすなわち夢、眠っている間に見る記憶がごちゃ混ぜになったアレと、将来やってみたいこととかなりたいものとかのアレの両方に繋がってる。榁にはこんな言い伝えがある。星にまつわる夢、星の夢を見ると、見た人に何がしかデカい出来事が起こるって言われてる。それが良いことか悪いことかまでは分からない。吉事と凶事、どっちも起こり得るらしい。一概にいい夢とは限らないのがそれっぽいな、悪いことの予兆にしても、星の夢を見たから覚悟を決めて悪い出来事にぶつかっていけるとも取れるし。

「夢を司るってのはなんとなくわかるけどさ」

「うん」

「なんで命もなんだろうな。おれ、そこだけ昔から分かんなくて」

「命は海の神様じゃないかな、って言う人も多いね」

「だよな。おれもそっちの方がしっくり来る」

星の神様が命を司るっていうのも、まったく分からない訳じゃない。星は宇宙のどこかで生まれて、最期には塵になって消えるさだめにある。星の生誕から消滅までを命になぞらえる人も多い。だから分からなくはない。おれからすると、やっぱり海の神様の方が向いてるんじゃね、とは思うけど。この間一海と一緒に海へ潜って、色とりどりの命が溢れてる姿を見てから、尚更そう思わずにはいられなくなった。

「一海ってさ、よくお参りしたりするの?」

「よく来てるよ。海の神様にお参りしたくて」

「海の神様、か」

「うん。自分は――海が好き、だから」

「一海らしいや。一海らしい」

「大好きな海が、いつまでも自分のそばにあってほしい、そう思ってるからね」

水瀬さんの言う「海が自分のそばにあってほしい」っていうのは、歩いていける距離に海があってほしい、ってだけの意味じゃないことは分かる、おれにだって。人の手が入って荒らされたり、海が受け容れないものを棄てて汚されたりすることがありませんように。海が美しいままであってほしいという願いを込めている。おれも賛成だ。あの鮮烈な世界が、ごみごみしたゴミでぶち壊しにされるなんて真っ平ごめんだ。

「あっ、水瀬さん」

不意に横から声が飛んできて会話が途切れる。誰だろう、反射的に声のした方へ顔を向ける。女子、制服姿の。見覚えはある、かろうじて。誰だったっけ、五秒かそれくらい頭ん中を引っ掻き回して、名前がぽろっと出て来たのとほぼ同時に。

「東原さん」

「環でいいよ、って言っても、水瀬さん真面目だからね」

そう、東原。東原だ。

「こっちは……ええっと、確か隣のクラスの」

「槇村。槇村透」

「そうだったそうだった。羽山くんと一緒に星祭りに来てたのを見たっけ」

「羽山と知り合いだったんだ」

「うん。友達の幼馴染だからね」

東原は友達の幼馴染の友達。おれからするとかなり離れてて、お互い面識がなくてもちっとも不思議じゃない。なのに名前を知ってるのには訳がある。東原はこの星宮神社で暮らしてて、星祭りの時に目にする機会があったから。メインイベントにあたるちょっとした儀式で、紅白の巫女さんの服でビシッと決めて舞台の上に立ってるのを見たことがある。湯浅はなんかあの服が好きだって言ってたな、巫女さんが主人公のゲームもいくつか持ってたような気がするけど、音楽が全然巫女さんっぽくないっていうか、やたらテンション高いやつだったことしか覚えてない。かっけーなぁ、とは思ったけど。

だから、じゃあないけど、水瀬さんと東原が顔見知りってのは面白いなって思った。意外とは思わない、水瀬さんと俺は小中って別々だったし、おれの知らない知り合いがいること自体は何もおかしくない。東原っていう、おれも面識があるやつと知り合いだったっていうのが面白いんだ。知り合いの知り合いが自分の知り合いだったって分かるとさ、どうでもいいことなのにちょっと嬉しくなるじゃん。知らない道ずーっと歩いてたら急に知ってる道に出て来た時のアレ、アレに近い。

「一海と東原、顔見知りだったんだな」

「中学が同じだったから。二年の時、クラスで一緒になって」

「それだけじゃないでしょ、水瀬さん」

「えぇっ、他になにかあったっけ」

間の抜けた一海の声。あんまり聞いたことなかったから、ギャップがあっていいな、可愛いな。いや、一海は全部可愛いんだけど。

「忘れたとは言わせないよ、剣道部に入ろうとしたときのこと」

「ああ、あの時の」

「剣道部に? 一海が?」

「そう。二年になってすぐぐらいの、部員を募集してる時だったかな。水瀬さんがウチに見学へ来てくれて」

進級してから新しく始めたいって人はずいぶん少なかったし、よく覚えてるよ。東原の言い分はもっともだ。大抵のやつは一年の時に帰宅部含めて入る部活を決めて、それを途中で変えるってことはしない。文化系だったらまだあり得るかもしれないけど、運動系、それもずぶの素人がついてくのはしんどそうな剣道部に途中から参加しようなんてやつはそうそういないに決まってる。決まってるんだけど、一海はその空気をぶち破って途中から入部しようとした。東原が覚えてるのも当然だ。

東原が中学の時に剣道部にいたってのは、まあ自然だなって感じだ。言ってなかったけど、東原は縦長の竹刀袋と馬鹿でかい鞄、たぶん防具とかが入ってるやつを地べたに置いて立ってる。ああ、こいつ剣道部員だなって見ただけで分かる。水泳は荷物少ないからいいけど、剣道は持ってくもん多いから大変だよな。

「二年生になってから、って人はずいぶん少なかったし、よく覚えてるよ」

「普通は、一年生の時から続けるからね」

「けど、あれだな。剣道やってますって言われたら、納得できる雰囲気はあるよな、一海は」

「やってないよ。だとしたら、髪はもっと短くしなきゃ」

「ほら、やっぱり分かってる」

東原って結構普通に喋るんだな。秋人から聞いてた話だともっとカタそうなイメージだったんだけど。思い込みってアテにならねーな、気を付けよ。おれだって一海といる時とユカリといる時と秋人といる時で接し方とか全然違うし、誰に対しても判子押したみたいに同じように接するやつの方が珍しいな、よく考えたら。

「一海が剣道部に行った時のこと、聞かせてほしいな」

「見学してもらって、もし良かったら軽く稽古していかない? って」

「うん。それで、竹刀を貸してもらって、軽く素振りを……」

「そこから! そこからだったよ」

「お、なんかあったみたいだな」

「あったあった。予備の竹刀を渡してからが本番」

「ふんふん」

「最初の二、三回は、初めて素振りする人の振り方って感じだったんだけど」

「まあ、実際初めてだったわけだし」

「それからすぐひゅんひゅん振るようになって」

「マジか。素振りって結構コツ要るよな」

「要る要る。基本にして極意、だからね。みんな目の色変えちゃった。凄いのが来た、って空気でね」

「あわわ、東原さん、言いすぎだって」

「足さばきも同じ。軽く教えただけであっという間にモノにしたんだから。絶対経験者だーって」

「へぇー。あ、ちょっとごめん」

「どうかした?」

「東原ってさ、剣道やって結構長いの?」

「小学校に上がってすぐぐらいから始めたから、もう十年くらいかな。長い、ってほどじゃないかなって思うけど」

「十分長えよ。その東原から見て一海が凄かったってことはさ、相当だったんじゃね?」

「相当! 相当だよ。トントン拍子で模擬戦やろうってことになって、私が相手になったわけ」

「副部長さんがいきなり出てきて、『ええっ』ってなっちゃったよ」

「私ね、水瀬さんと、どうしても打ち合ってみたいって思ったから」

その時の東原、副部長だったのかよ。ガチじゃん。未経験者相手に副部長やるようなやつが相手になるって普通に考えたら無茶苦茶だよな、しごきとかと思われてもおかしくない。けどなんか違うのが伝わって来るんだよ、東原の前のめりな様子見てると。調子に乗ってるやつをシメてやろうだとか、部活の上下関係を分からせてやろうだとか、そういうしょうもない理由じゃない。一海を見た東原は、本気でやり合いたいって思ったんだ。おれには分かる、水泳で競争しようって言われた時、本気でやるぞって気になったから。

「経験の差がハッキリ出たね。当たり前だけど、自分の完敗だったよ」

「完敗は誇張しすぎだって、一分半も競り合ってたのに。あと一歩で私が一本取られるところだったもん」

どこまで追い詰めたんだよ一海は、東原ってその時でも六年か七年くらい剣道やってたんだろ? ずぶの素人じゃパーンって面打たれて即一本、即終了が普通じゃん。東原って試合で手を抜くタイプには見えないし、真剣に一海を討ち取る気でやってたはず。すごいな、一海。元からかっけぇって思ってたけど、かっけぇ度がさらにパワーアップしてる。可愛いし綺麗だし格好いいしで、一海って無敵だな、どこにも隙が無い。

「結局、入部は見送りますってなっちゃったけど、もし入ってくれてたら、大活躍間違いなしだったはずだよ」

「そんだけやれたのに入らなかったのか。なんでだ?」

「情けないけど……その、面を付けてると、頭がぼーっとしてきちゃって」

「それは私も同じっ、慣れれば大丈夫だって」

「東原さん?」

「私、まだ諦めてないからね。水瀬さん」

「わ、わっ」

「新高にも剣道部あるし、私もいるし、一緒にやろうよ」

「似合ってると思うけどな、おれも。一海と剣道って」

「もう、透くんまでそんなこと言って」

水瀬さん、たじたじになってる。ちょっと便乗気味に言ったけど、一海ならいいとこまで行けそうってのは本気で思ってる。あくまでおれがそう思ってるだけだから、水瀬さんが本当にやりたいことをするのが一番だってのは当然だけどさ。

ふと。東原ってどうして剣道やってるんだろうな。なんかきっかけとかあったのかな、おれが水泳やってるのは、泳ぐのが好きだから。泳ぐのが好きだから水泳やってるのか、水泳やってるから泳ぐのが好きになったのかは分からない。ポケモンが先かタマゴが先かってやつ。ポケモンはタマゴから生まれてくるけど、タマゴはポケモンがいないと見つからない、産まれない。どっちが先か分かんねえって話だ。おれはポケモンが先じゃね? って思ってるけど。それはそれとして、東原のきっかけを聞いてみたい。別に失礼じゃないよな、しれっと訊いてみよ。

「あのさ、東原」

「ん?」

「おれの知り合いにユカリって女子がいるんだけど、そいつも合気道やってるんだよ」

「合気道かぁ。武道つながり、だね」

「だよな。純粋に興味あるんだけど、なんで武道、っていうか剣道やろうって思ったのか聞きたい」

気になったことそのまま訊く癖あるやんな、ユカリにそう言われたことがある。だよなって自覚はあるけど、訊きたいことあってさ、それが別に失礼なこととかじゃないって思ったら、素直に訊いた方がいいんじゃねって考えてる。訊かれた東原はどうだろ、気持ち嬉しそうな顔してるように見える、待ってましたって感じの。なんか話して聞かせてくれそうな雰囲気する。

「だよね。人が『戦う』ってことをしなくなって結構経つのに、武道をやる理由、気になるよね」

東原が言ったみたいな視点は無かった。けどその通りだ、そういう意味でも気になる。人間同士が直接戦うってのは珍しい、戦うって言ったら即ちポケモンバトルで、それで決着をつけるのが普通ってイメージをおれも持ってる。東原の言う通りだ。

「お母さんが昔剣道やってて、私が小さい頃に教えてくれたんだ」

「母さんが、か」

「そう。最初はお母さんが教えてくれるのが嬉しかったんだけど」

「うん」

「だんだん、剣道自体が面白いなって思ってきて」

「なるほど」

「それが今もずっと続いてる感じかな。もうお母さんはいないけど、星になって見てくれてる気がするから」

ふう、とため息を吐く。そんな東原を見る。そっか、東原も母親居ないんだ、ただそれだけを思う。特別だとは思わない。おれとかユカリとか、あと上月とかだって同じだから。同じだからなんだって言われたら、どうもしない。思ったからどうするってのは止められても、思うってことを止められる人間はいないから。

境内に並んだ木には蝉がいっぱいくっついてるみたいで、ミンミンミンってやかましい合唱がずっと続いてる。夏だな、夏だよな、この風景。蝉って確か、土ん中に三年くらいこもってから外に出てきて羽化して、それから一週間くらいで寿命だって聞いた。短いなって思う、人間の一週間は何回も何回もやってくるから。けど蝉からしたらどうだろう、短いって感じるのかな。案外そうじゃかったりして。ニンゲンの寿命にしたって、千年生きるって言われるキュウコンからしたら短いものだって感じるだろうし。そのキュウコンにしても、星が生まれてから死ぬまでを思えば、瞬きするくらいの短い時間でしかない。

生きるってなんだろうな、死ぬってなんだろうな。夜寝付けない時とか、スマホでロード待ってる時とか、ディグダが地面から顔出すみたいにふっと思うことがある。もちろん答えなんて出るわけなくて、だだっ広い海に取り残されて木切れに掴まってるような気持ちになるだけ。それでも思うことは止められない。思ったからどうするってのは止められても、思うってことを止められる人間はいないから。

「そうだ水瀬さん、訊きたいことあったんだ」

「えっ、自分に?」

「お父さんたち、水瀬さんに迷惑かけたりしてない?」

「ええっと、特に無いけど……」

「いきなり家に押しかけてきたりとか、収容するとかどうとか変なこと言ったりとか」

「大丈夫だよ、何も起きてないから」

おれがぼーっと考えてる横で、なんかちょっとノリの違う話が始まってた。一歩前に出てぐっと顔を近づける東原と、苦笑いをする水瀬さん。家に押しかけるだの収容するだの、穏やかじゃないですねってやつだ。水瀬さんに訊くのも謎だけど、東原がそういうこと訊くのも重ねて謎。謎×謎で謎の倍々ゲームになってる。

「博物館行くと、たまに杉山さんと館長さんが話してるくらい」

「それならいいんだけど、心配になっちゃって」

「あのさ、横から悪い。東原の親父が一海になんか用事あるのか?」

「一年くらい前に杉山さんの……ああ、杉山さんって言うのは、案件管理局の人なんだけど」

「案件管理局か」

不審な人、怪しいものを見かけたら、すぐにお近くの案件管理局までご連絡ください。緊急時には122番、122番までお電話を。どのテレビ局でも二時間に一回くらいは流れてるCM。同じ声をもう十年くらい使い回してるはずだから、イントネーション含めて全部覚えちまってる。覚えてるけど、じゃあ122番に電話したことあるかって言われたら、ない。一回も。なんかこう、よく分かんないけど危ないもの、フツーじゃないものを管理してて、そういうのからフツーの人とかポケモンを隔離してる人たちだってことは知ってる。案件管理局。

「杉山さんの同僚だっていう女の人が、水瀬さんを収容するかもしれない、って言ってたから」

「は? なんで一海が?」

「わかんない。結局無かったことになったみたいだけど、それから気になって気になって」

「分かんねえな。一海をおれたちから隔離してどうするつもりだってんだよ」

「傍迷惑な話だよね、まったく。水瀬さん、剣道と水泳が上手な普通の女の子なのに」

「東原さんったら、持ち上げすぎだってば」

さっきとはまた違う感じの苦笑いを浮かべた一海の隣を、水色の風船みたいなものがひゅうんと飛んでいくのが見えた。なんだあれ、おれが目で追っかけようとするよりも先に、二色の声が左右の耳から飛び込んでくる。

「フィオネちゃん、こっちに来たみたい」

「あ、縹(はなだ)!」

ニンゲンの頭ってのは結構よくできてるな。水瀬さんが口にした「フィオネ」ってワードと、東原が言った「縹」ってワード。この二つが同じものを指してて、どういう意味かってのを割とすぐにはじき出しちまう。飛んできたのはポケモンのフィオネ、そいつは縹って名前が付いてて、名付け親はたぶん東原。要は東原の連れてるフィオネってことだ。

縹は東原の肩の辺りへ着くと、おれのことを物珍しそうに見てる。星宮神社にしょっちゅう詣でてる一海と違っておれは滅多に来ないから、こいつ誰? って感じなんだろう。じゃあ、ってことでおれも縹のことを見る。フォルムに見覚えはある、全然知らないポケモンってわけじゃない。

「フィオネかぁ。前に商店街で連れ歩いてるやつ見たっけ」

「それ、たぶん私の妹だよ」

「マジか。ってことは、妹もフィオネ連れてるんだ」

「そう。海に住んでるポケモンで、星宮神社の巫女はフィオネを一人前に育てなきゃいけないってしきたりがあるの」

古くさいしきたりは別として、可愛い子供みたいなものだけどね。縹の頭をなでながら言う東原の顔は、そのまんま言葉の力強い裏付けになってる。おれはポケモンを捕まえたことも連れたことも無いけど、学校の行事か何かで触ったり遊んだりしたことはある。コミュニケーションがうまく行かないこともあったけど、うまく行くと今の縹みたいな顔してたのを覚えてる。東原の言う「可愛い子供みたいなもの」の「可愛い」は、見た目とか仕草とかじゃない、大切な存在だって意味なんだ。

東原と戯れてた縹が彼女の元を離れてフワフワ飛んでいく。行った先は真ん中の社。賽銭箱の向こう側まで飛んでいくと、左右にフラフラ飛んではこっちを見て、かと思ったら視線を奥へやる。あっちこっち目移りしてる子供みたいだ。人間の子供そっくりな振る舞い。

「縹、遊んでほしいみたい。それじゃ、私はこれで」

東原の背中を見送りながら、後に残ったおれと一海が言葉を交わす。

「いつも真ん中のお社に行くんだよね。何か気になるみたい。海の神様が祀られてるの、こっちから見て左側なんだけどね」

「まああれだ、海に住んでるからって海にしか興味がないってわけでもないじゃね? 空に興味があるやつだっていそうだし」

「そうだ、透くん。フィオネっていえば、どこかからたくさん集まって、夜の海で一斉に光ることがあるんだよ」

「へぇ、そんなことあるんだ」

「最後に観たのはずいぶん前だけどね。星空みたいでとっても綺麗だよ」

いつか、二人で一緒に観られるといいね。

ああ、おれもそう思う。心から、本当に。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。