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#11 海洋古生物博物館

あと五十ーっ、息継ぎのために顔を上げたら聞こえたセンパイの声。もうそんなとこまで来たのか、あと二百くらいあるかな、泳げるかなって思ってたけど、体感はアテにならない。息も切れてきたしそろそろ上がりてえっていう気持ちが七割くらい、まだプールの中にいたいって気持ちが三割くらい。体の状態と気持ちが完璧には噛み合ってない。昔からちょくちょくある。苦しいなって思ってるのにまだ泳いでたいって感情だけが先走るの。大抵は体の方が声がデカいから、心を黙らせてプールサイドに上がってる。

壁にタッチ、流れでプールサイドへ。腕の力で全身持ち上げるこの時だけ、体の重さがいつもの五倍くらいに感じる。小さい頃は体が重いんじゃなくて腕が疲れてるって感覚が分かんなかった、水吸って重くなってるんだって信じてた。次俺行くよ、センパイがプールへ飛び込む。運動部って上下関係厳しいんだっけ、普通は。センパイになんか言われたりとか全然しないな、元々ジムの顔なじみしかいないってのもあるけど。泳いで、交代して休んで、また泳いで。たまにタイムを計ったり。淡々と黙々と練習の繰り返し。おれは好きだ。

邪魔にならないっぽいところにどっかと座り込む。ケツが石焼きにされるみたいだ、ついでにやたらチクチクする。ちょっと手を突いたらあっと言う間にザルみたいな跡が残る。学校のプールって全部こんな感じなのかな。ジムみたいに室内に作ってる学校とかあってもいいのに。直射日光、ぎらぎら陽光。じりじりっていうかめりめりって感じで肌が焼けてく、錯覚じゃなくてマジで焼かれてるのを感じる。風呂入る時鏡見ると水着んとこだけ白くてあと真っ黒。こっぱずかしい、けど泳いだなーって達成感はある。だから嫌いじゃない。

皆木先輩が泳ぎ終わって上がってきた、おれの隣に来る。お疲れーっす、適当に挨拶。おう、手短な返事。いつ知り合ったっけ、確か小二の時だった気がする。平泳ぎの型が間違ってて、先生から「皆木の泳ぎ方を見なさい」って言われたのが名前知ったきっかけだったはず。それからずっとジムで一緒に泳いでて、気が付くと部活も一緒にやってる。

「やっぱ速えな、透は」

「おれ、もっと速くなりたいっす」

「相変わらずだな、そこんところは」

「先輩だって同じじゃないですか」

年上だからって威張るようなタイプじゃない、けど誰彼構わず下手に出るタイプでもない。おれも誰かにとっての年上になるならこんな感じがいい、言わないけど思ってる。

「最近さぁ、ジムなんだけどさぁ」

「はい」

「あいつ、川村のことたまに見てるんだ」

「川村っすか。四年の」

「四年の」

「はい」

「あいつといると息苦しいってさぁ、年少連中が言ってて」

「ああ、それ分かります」

「分かるのか」

「だって川村、いつもガチじゃないですか」

「お前が言うなって感じだけど」

「そうっすかね」

「まあ、でも俺も分かるな。息苦しい。俺も息苦しい」

「はい」

「けどなぁ、川村がどうこうって訳じゃねえから」

川村といると息苦しい、同い年のやつらがよくそういうこと言ってるのを聞く。川村がそれにガン無視決め込んでるのもセットで。おれは川村が他のやつらに合わせる必要はないと思う。川村はどんな時も本気で、自分に足りないものを足りるようにしたいって気持ちを漲らせてる。おれには分かる。川村と対峙すると、おれの何もかもを見てるってのが伝わってくるから。

「おれも、川村がなんか変わるべきとは思ってないです。少しも」

だから、川村を空気とか雰囲気とかのフワッとしたもので押し潰すわけには行かない、そんなの勿体ない。ただ泳げればいい、そのレベルに留まってるおれとは違う何かを持ってる。あいつは持ってるんだ。自分が持ってないものを別の誰かが持ってることに嫉妬するほどガキじゃないし歳食ってもない。そういうのはカッコ悪いって思ってるから。おれは川村がどこまで行けるか見てみたい。

「透」

「はい」

「お前さぁ、話聞けるし泳ぐの速いし、部長やってもいいんじゃね」

「部長っすか。おれで良ければ」

「真面目に返すな真面目に」

「すんません」

「冗談だ冗談、今のうちはな」

水泳部でこうやって練習してるけど、大会の予定とかはない。人数足りてないから。実力付けてもそれをお披露目できる機会が無いのは、まあ勿体ないかなって気持ちはある。けどおれ、本音を言うと大会出るより練習で好きなように泳いでる方が好きだから、内心悪くないなとも思ってる。意気地ねえって言われそうだけど本心は本心。自分に嘘はつけないから。

昼前に解散。更衣室で水着を脱いで制服に着替える。湯浅とか二宮の雑談を横で聞いてる。ガチャが渋いとかペリドットに新しい子が来ただとか、右から入って左から出てくような、今消費されて即記憶から抜けてくような話ばっか。小学生ん時とは全然違うな。やれ下の毛が生えただの皮が捲れただのアレがでかいだのちっこいだの、くっそどうでもいいことやんややんや言ってたんだ、おれ含めて。あれなんだったんだろうな、着替えする時いつも思い出す。早くオトナになったヤツが偉い、そういう空気があった。あいつらどうしてるかな、榁の外でオトナになってんのかな。

お先っす、センパイたちに断り入れて、蒸した更衣室から出て行く。外を歩き始めた途端額に汗が滲む、あっちぃ、タオルでそっと拭う。夏の空気と汗の匂いが入り混じって鼻を揺らした。親父、今日は遅くなるって言ってたな、飯要らないとも。これから出かけるし、買い物はしなくて良さそうだ、夜は家にあるもん組み合わせてテキトーになんか作ろう。野菜炒めか何か。

「あれ、小鳥遊じゃん」

「槇村」

思考がパッと切り替わる。目の前に小鳥遊が居た。声をかける、小鳥遊が振り向く。

「槇村、君」

「そっちは涌井か」

居たのは小鳥遊だけじゃない。涌井もいた。涌井、涌井操。ジムのスイミングスクールで顔見知りだった女子。小中って別の学校通ってたけど、新高に上がってこっちでも顔を合わせるようになった。絡みがあるって言えば、スイミングで時々話すくらいか。なんで小鳥遊と一緒にいるんだろ、純粋にそう思う。関係作るポイントがスッと出てこなかったから。

小鳥遊を真ん中にしておれが左手に着いた。なんで学校来てたの? おれが訊く。補習受けてた、涌井と一緒に。小鳥遊が答える。補習って言っても赤点取ったとかじゃないから、涌井が付け足す。そう言や夏休み入る前になんか言ってたな、受けたいやつ向けに追加の講義があるとかどうとか。小鳥遊と涌井が出てたのは多分それだろう。

「槇村君、さ」

「ん」

「ジムで泳いでて、水泳部でも泳いでるわけ?」

「そういうことになるな」

「好きなんだ、本当に」

「他にやることもねえしな」

まあ、今日はこの後出かけるつもりなんだけど。あんまり行かない方向にある、一度も行ったことのない場所。おれだけじゃない、水瀬さんも一緒だ。現地で落ち合うことになってる。水瀬さんは先に行ってるって連絡があった。会えるのが待ち遠しい、こっから走っていきたいくらいだ。バス乗らないと行けないからバス停で止まるけど。

「いつも一緒にいる――四条さんは?」

「あいつ? 小金行ってる」

「小金って静都の?」

「そう。あいつさ、毎年夏休みんなると榁出て小金行くんだ」

「へえ……そうなんだ」

「槇村見てると、俺も泳ぎたくなってくるな」

「ジムのプールならいつでも使えるぞ。一回三百円」

「んー、考えとく。バイトあるし」

「小鳥遊ってさ」

「うん」

「何のバイトしてるんだっけ」

「コンビニ。品出しとか」

「ああ、あそこか。最近できたやつ」

「内地でもやってたから、その流れでできるかなって」

バイトかぁ。おれもした方がいいのかな、欲しい物がないわけじゃないし。だけど家事やらないと回らねえし、部活もあるし、金なくて食い詰めてるってほどでもない。この辺、外出て自分で金稼いでた小鳥遊とかの方がキッチリしてるんだろうな。少しだけ焦りみたいな気持ちが生じるけど、何を焦ってんのかは分からない。焦ってるって言うより、見たことない知らない場所を怖がってるって方が正しいか。小鳥遊と違って、おれはまだ社会ってものに触れてねえから。オトナじゃないんだ、おれはまだ。

「この間だけど」

「この間?」

「水瀬さんと一緒にいたよな、お前」

「うん、まあ」

「この際だから訊くけど」

「付き合ってるのかって?」

「えっ」

「そうだよ。付き合ってる」

「あ、ああ……そうか」

小鳥遊から訊かれるより先におれから言ってやった。なんかこう、付き合ってんのかよ、どうなんだよ、みたいな会話すんのめんどくさいじゃん。別に隠したり嘘ついたりする必要なんてないよな、実際付き合ってんだから。

「小鳥遊お前、もしかして水瀬さんのこと気になってたとか?」

「そういうわけじゃない。それは違う」

「違うのか」

「ただ、水瀬と話してる槇村を見て、その」

「そっか。水瀬さんと槇村君が、か」

いいんじゃない、そう言いながらカバンからペットボトル入りの麦茶を取り出した涌井が、おもむろに口を付けて飲むのが見えた。キャップをきつく締めてカバンへ突っ込むと、肩口くらいまで伸びた髪をちょっとうざそうに後ろへ流す。昔から変わらない涌井のクセ。割と当たりのきついやつだけど、おれにはそれほどでもない。昔から顔合わせてるからかな、ただ知り合いってだけなんだけど。

「あのさ」

「ん?」

「涌井ってさ、小鳥遊と知り合ったんだ」

「たまたま小学校同じだったから。高校入って再会した、って感じ」

「なるほどな。おれの同級生、知ってるやつほとんど出てって戻ってきてねえな」

「戻ってくる方が例外なんだよ、こういうのは」

「ま、いい例外かどうかは別だけど」

「涌井っ、お前なあ」

こういうとこ。涌井はこうやって結構心にクる物言いをするんだ、いつも。やり過ぎって思うこともあれば、まあ言われてもしょうがねえなって思うこともある。小鳥遊がなんでトレーナー辞めて戻ってきたかって考えたら、普通こんなこと言えねえよ。それを言っちまうのが涌井のキャラ。おっかねえ。小鳥遊の声色がちょっとマジだ。

なんとかも歩けば棒に当たる。棒っていうかバス停。おれバス乗ってくわ、そう言おうとする前に、岸辺に珍しいポケモンがいるのが目に飛び込んできた。なんだっけ、あの、ラクロスみたいな名前のポケモン。首長くて殻背負ってるでかいやつ。

「あれだっけ? 小鳥遊のラプラス」

「あいつ。ヒマそうにしてたから泳がせてた」

そうだラプラス、ラプラスだあれ。ラクロスとラプラス。最初と最後が合ってるからほぼ正解だな、正解ってことにしとく。小鳥遊が連れてるんだ、すげえな。あんな強そうなポケモンに言うこと聞かせてるんだよな、なんで小鳥遊はトレーナー辞めちまったんだろう。それくらいじゃ全然足りない世界ってことなのか。無茶苦茶だな、おれには絶対無理だ。

「すげえな、ラプラスとか」

「もう五年になるんだ。俺の一番付き合いの長い相棒ってやつ」

「ねぇ、連れてってくれるんでしょ、遊覧」

「そう焦んなって」

ラプラスに乗って、ってやつだ。おれも知ってる。小鳥遊と涌井、なんだかんだで仲良いな。小学校ん時の知り合いだもんな、再会したら話したいことだってあるだろ。二人で好きなようにやってくれればいい、おれも自分のしたいことをするだけだし。

「そんじゃ槇村、悪いけどあのラプラスは二人乗りなんで」

「行ってこい行ってこい。おれは別の用事があるから」

涌井と小鳥遊が堤防の階段を下りていく。見送ってく前にバスが来た。券を取って席に座る。おれの行先? バスの電光掲示板見ればわかる。

「海洋古生物博物館前行き」

 

「スバメちゃんねー、もうすっかり元気になったんだ」

「よかったわね。優美が見つけてあげたおかげよ」

「エーテル財団の人たちがねー、ケガを治してくれたんだよ」

バスに揺られる。席はガラガラ、道はガタガタ。外の風景はどんだけ走っても変わり映えしない。ガードレール、右手に海、左手に山、たまに民家。無限ループしてんじゃねって思う。ループって言えばさ、最近秋人とゲーセンで格ゲーやるようになったんだよな、もう二十年くらい前に出たっていうめちゃくちゃ古いゲーム。だけどハチャメチャでやっててくっそ面白い。どっちかが一発食らわせたらそっから無限コンボが始まるの、同じ技をずーっと繰り返すループハメ。笑うよな。けどおれもできるからどっこいどっこい。だからある意味バランス取れてて、なんだかんだで真剣勝負ってやつになる。

海洋古生物博物館まではあと二十分ちょい。スマホも持ってるけどバスん中で見てると酔うからパス。窓の外をぼけっと見つめながら、一昨日水瀬さんと商店街をぶらついたときのことを思い出す。

デボンコーポレーション。おれの親父が勤めてる会社の名前。毎日船に乗って海凪まで行って、そこにある支社で働いてるらしい。親父の仕事は営業、会社が作った商品をあっちこっちに売り込むやつだ。営業三課の課長だって名刺には書いてある。一課と二課が何売ってるのかは知らないけど、三課は医薬品を売ってるってのは知ってる。風邪薬に胃薬、あと酔い止めとかも。親父がたまに試供品をもらって帰ってくるからよく知ってる。

営業は中に籠っててもできないから、よくあっちこっちに出張してる。東は関東、北は深奥まで。一度出かけると一週間くらい帰ってこないこともざら。親父が出払ってる間はおれ一人で留守番。味気ないからしょっちゅうユカリを呼んでる。ユカリの伯母さんも忙しいって言ってたっけ、行くわ行くわー、って言って来てくれる。たまに来ねえ時あるなと思ってたけど、そん時に一海ん家とか行ってたってわけだな。で、毎回ポッキーとか買って持ってくる。あいつ自分の家で飯食うことあるのかな。あるにはあるけど少なそうだ。

おれの親父はこんな感じだな、そこで水瀬さんにバトンを渡したっけ。その代わりにってわけじゃないけど、水瀬さんも家のことを話してくれた。

(出海(いずみ)さん、だっけ。叔母さんだって言ってたな)

叔母、母親の妹。関係的にはそうなるらしい。一海は叔母の出海さんって人と生活してるんだってさ。ユカリん家にいるのは伯母さんの明日さん。こっちは親父の姉貴らしい。伯父と叔父もそうだけどすっげー紛らわしい、たまにどっちがどっちか分かんなくなる。親戚ってのは同じだからもういいや。四年前に爺ちゃんを亡くしてから一つ屋根の下で暮らすようになったって説明してくれた。元々は内地の方で働いてたけど、仕事を辞めて地元に帰ってきたらしい。

出海さんか。どんな人なんだろ。水瀬さんが言うには「キャリアウーマンっぽい感じの人だよ」だとか。頭の回転早くて、子供の頃から秀才で通ってたとか。でかい会社で研究の仕事をしてたって言ってたしかなり凄い人っぽい。今も別の仕事してて基本日付跨いでから帰ってくるし、出張も多いらしい。おれの親父と似たようなもんだ。

おれは親父と、一海は出海さんと、ユカリは明日さんと。片親っぽいのばっかだな、おれたち。珍しくもなんともないけど。テレビかなんかでやってたな、親のどっちかとか親戚の誰かと暮らしてて両親が揃ってない家庭が四割以上だって。なんでそうなるのかまでは知らない。そこでチャンネル変えたから。

「次は終点、海洋古生物博物館前、海洋古生物博物館前です」

もうすぐ目的地に着く。海洋古生物博物館、どんな所なんだろうな。一海は小さい頃からしょっちゅう遊びに行ってるって教えてくれた。爺ちゃんと館長が親友同士でその繋がりだってさ。口数少ないけどいい人だよ、水瀬さんが言うなら間違いない。

古代の海に住んでた生き物の資料を展示してる博物館だってことは分かる、名前に全部書いてあるし。それだけだと物足りないって考えたのかは知らないけど、小さなアクアリウム、いわゆる水族館も併設されてる。近海で保護された水棲ポケモンが暮らしてるって聞いた。あれかな、一海と一緒に泳いだ辺りに迷い込んだポケモンだったりするんじゃね、って思う。見たことない、名前も知らないポケモン、うなるほどいたし。

おれは別に海が嫌いとかじゃない。博物館の展示を見たりするのも結構好きだ。社会見学で海凪の科学博物館行くってのが学校行事のお決まりコースなんだけど、おれは割とマジで楽しみにしてた。実際楽しかったし。海が青い理由とかもあそこで勉強したっけ、青い光だけを通すからって書いてあった。海凪だけじゃなくて、榁にも小さな博物館があるってことはずっと前から知ってた。行くことだってできた、だけど行かなかった。ちょっと遠いから、バス乗れないから、雨降ってるから、暑いから、体がだるいから、買い物行くから、秋人ん家行くから。都度都度いろんな理由を付けて、海洋古生物博物館には行かなかった。

たぶん、行けば展示見てすげえとか言うと思うし、夢中になると思う。海にまつわることだし、好きになるって自覚はあった。自覚があったから行かなかったんだと思う。恐れてる? 少しだけ違う、畏れてる。畏怖。海と同じこと。知ってしまうと自分が変わってしまう、そんな気がしてた。感情が大きすぎて直視できないもの、おれにとっての海はそんな存在だった。

今日は水瀬さんが一緒にいてくれる。彼女が隣にいてくれれば、おれは自分を見失わずにいられるって思える。博物館で直接落ち合うことになってるから、ちょっとドキドキだ。水瀬さんといてドキドキしないタイミングなんてないけどさ。

バスから降りる。手をかざして強い日差しを少しでも遮る。本当にやべーくらい暑いんだよな、榁の夏って。眩しさに思わず目が細まる。目が光に慣れてきて少しずつ瞼を開くと、博物館の掲示板前に人影が見えた。輪郭が浮き彫りになって、やがて色もはっきり見えてくる。白い肌に黒い髪、海のように煌めく瞳。一海だ、一海がいる。頭で理解するより先に駆け出してた。心が一海に会いたがってる。

「一海ーっ!」

「透くん」

口を付けていたアクエリアスのキャップを締めてカバンへしまう、それが終わるか終わらないかってタイミングでおれが彼女の前まで駆けつけた。一息だけ呼吸してから顔を上げる、顔を見る、視線を結ぶ。

「悪ぃ、待たせちまった」

「ううん、今来たばっかりだよ。ほんと、ついさっき」

一海の声が弾んでる、おれの心も弾む。今日も水瀬さんに会えた、それだけで嬉しくなる。おれって単純だな、自分で思ってたよりずっと単純だ。目の前に水瀬さんがいて、おれのことを見てくれてる。たったそれだけでこんなにウキウキしてるんだから。

「こうやって、ほんの少しだけ透くんが来るのを待ってる時間も、すごく楽しかった」

おれは、できることなら一海を待たせたるようなことはしたくない。でも、おれを待ってる間の時間を一海が楽しいって思ってくれたなら、その気持ちは大事にしたい。一海に待ちぼうけを食らわせるようなことはしたくないっていうおれの気持ちも変わらないけど。

すっと出て来た水瀬さんの手。おれの手を取ってそっと力が篭もる。一海の気持ちに応えたい、おれはその一心でぐっと手を握り返した。まだドキドキはする、鼓動がいつもより速いって自覚してるから。でも、自然なことに思えるようにはなって来た。おれが今ここにいていいんだとか、水瀬さんと手を繋いでいいのかとか、そういう戸惑いとか躊躇いは感じなくなった。一歩ずつ進んでいく、不器用でも、遠回りでもいい。いつか、もっと自然だって感じられるようになれる日が来てほしい。その時もきっと、おれはドキドキしてると思うけど。

「行こ」

一海の声がおれを動かす。手を引く一海に遅れまいと前へ出る。行く先には海洋古生物博物館、ガラス張りの石造り、いかにも博物館って感じの建物が見える。一海が押し開けたドアをくぐって、思い切って中へ踏み込んだ。

まず出迎えたのはでっかい化石、おれが両手を目いっぱい広げても足りないってくらいの馬鹿でかい生き物の化石だった。歩み寄って説明を見てみる、マンタインの始祖とされているポケモンの化石、的なことが書いてあった。びっしり詰まってる細い骨は軟骨なんだってさ、こんなに綺麗に残るもんなんだな。マンタイン、この間一海と海で泳いだときに見たっけ。まだ子供のちっこいやつだったけど、今おれの目の前にいる祖先のカタチは確かに残してる。変わっていく環境に合わせて少しずつ生き方を変えながら、今日まで歴史を紡いできたんだ。あいつもきっと、その一ページを担うことになるんだろうな。おれも人間の歴史に一文字くらい関われたらいいんだけど。

見て、シビルドンの先祖だよ。水瀬さんが朗らかな声を上げて指差した先には、それっぽいフォルムのひょろ長い化石が展示されてる。シビルドンって? 知らないポケモンだったから訊ねた。でんきうおポケモン、海でも陸でも生きられて、おまけに電気を作る能力があるんだって。おもしろいよね、海のポケモンなのに電気を使えるって。確かに珍しいよな、海のポケモンで電気使いって言ったらランターンしか知らなかったし、一海の言う通りだ。で、このシビルドンの祖先ってのは、進化の過程で水中で生きる能力を減らして、代わりに陸で生きる能力を増やしていったって書いてある。この頃にはもう肺があって、地上でも息ができるようになってたらしい。生きる場所を増やすために自分を作り変えてくってとんでもないな、生きるってことへの執念というか貪欲さって言うか。

マンタインの始祖、シビルドンの先祖。ここまでは今も生きてるポケモンの昔の姿だ。中には今はもうどこにもいないやつだっている。シビルドンの二つ隣に展示されてる「ルナスピス」ってのもそれだ。サメハダーにルナトーンを横向けにしてくっつけたみたいなフォルムをしてる。見つけたやつも「これルナトーン」じゃんって思ったんだろうな、「ルナ」で繋がってる。もし生きてたらどんな技使ったんだろ、ムーンフォースとかぶっ放せたりして。結構強そうだな、生き残っててほしかった。おれ、バトルしないけど観戦するのは好きだし。大技の撃ち合い、見てるだけで気持ちいいじゃん。だから好き。

逆に今も昔もちっとも変わってないってのもいる。貫禄あるよね、一海が指差した先に居たのは「ジーランス」って名前のポケモンだ。化石っぽい色してるけど水中をぬめーっと泳いでて、ぬぼーっとした顔でどっかを見てる。はす向かいにあるルナスピスと同じ時代に生きててその頃の化石も大量に見つかってんだけど、生きてるやつと骨格とか歯形とかちっとも変わってないらしい。こんだけ形を変えずに生きてるってのもすげえよな、おれが一海に言う。自分ってのをしっかり持ってるんだね、一海が返す。ホントだよ、自分確立しすぎ。自分探しとかと一番縁遠そうだ。

「ここの館長さんなんだけどね」

「うん」

「昔大きな財団で働いてて、そこでポケモンの化石を復元する研究をしてたんだって」

「化石を復元ってマジ? そんなことできるんだ」

「できるよ。ほら、あっち見て」

「あれ……キマワリの進化前か何か?」

「違う違う、リリーラっていう別のポケモン」

「リリーラ、か。花みたいな見た目だな」

「だよね。だから分類もウミユリポケモン。大昔の海に住んでたんだよ」

水槽でゆらゆら花弁っぽい触手を揺らしてるリリーラを見る。キマワリとは特に関係ないっぽい。よく見たらフォルムもそんなに似てなかった。ただ花の部分がデカいってだけしか似てねえや。一海がおれに知識を伝授してくれる。化石が多く見つかって、復元に成功した例が結構多いとか。見た目は鮮やかで綺麗だけど、キノコの類が綺麗なやつほどやべえのと同じように、近付いた生き物をとっ捕まえて食うらしい。おっかねえ、今の海に居たらやばかった。似たようなポケモン、おれが知らないだけでいるのかも知れないけどさ。

けど、と下の案内板を見ながら思い直す。リリーラの近くにいるのは「アノプス」ってポケモン。泳げる虫って言い方が一番しっくりくる、いかにも古代のポケモンですって感じの顔してる。こいつも復元に成功して現世によみがえったわけだけど、案内板曰く「今の海では生きていくことは困難とされています。これは、当時と水質が大きく変わったためです」らしい。復活したのはいいけどもう故郷では暮らせないって、やるせないな。リリーラも同じような理由で今の海にはいられないとも書かれてる。里帰りもできないなんてな、沈んだ声が出た。せめて、ここがこの子たちの故郷になってくれればいいね。一海の言葉で、ちょっとだけ救われた思いがした。

「こっちは知ってるぞ。カブト、だよな」

「その通り。ふたり一緒に並んでるね」

もう三年くらい前かな、アローラって言う南国の地方で生きた個体が見つかってニュースになったの。ほとんどが化石になってるんだけど、たまに普通に生きてるやつが見つかるってのがすげえって思う。このカブトも片方は生きて見つかった個体だって書いてるな。もう片方は化石から復元されたそうだ。生きた個体のすぐ横で見つかって、生きてる方を連れて行こうとしても化石から離れなかったもんだから、化石も持っていく素振りを見せたらすんなり着いてきた、と。博物館で復元されてからは、どっちも同じ水槽にいてどこにも行こうとしないとか。そういうわけで、ここには二体のカブトがいつも並んでる。案内板はそう伝えている。

併設されてるアクアリウムってのはあれだな。化石っぽくないポケモンの姿が見える。おれが一番最初に見た水槽にはサニーゴがいた。これは知ってる、えーっとアレだアレ、ああ思い出した、カービィだカービィ。カービィみたいな色と顔してるんだこのポケモン。綺麗で可愛いって言われててさ、任天堂が長いことキーホルダーとかぬいぐるみとかいっぱい作って売りまくってるんだけど、野生個体の方もその人気に便乗して乱獲されてるらしい。おまけに頭の角が宝石みたいで珍重されるからその線でも手酷くやられてるって聞いた覚えがある。ここにいるサニーゴも角がボキボキに折れた瀕死の状態で保護されたとか、ろくでもねえ話だ。胸糞悪い。サニーゴはおれのことじっと見てる。やっぱ人間不信になるよな、おれはそういうことしないから、せめてそれだけ伝わればいいんだけど。

こっちはなんだろ、覗き込んだ先にはポッチャマがいた。例によって案内板に見つかった時のエピソードが書いてるな、流氷に乗って旅してた? ハチャメチャなやつだなこいつ。旅って言うかそれ漂流だろ、漂流流氷。生体が昔の生き物の「ペンギン」によく似てるから、分類も「ペンギンポケモン」だ。ユカリが見に行くって言ってた映画は滅びたはずのペンギンが街に大量発生して大ニュースになるって筋書きだって聞いた。そりゃ騒ぎにもなるよな。あと秋人が観たっつってた映画で、ペンギンが復活して家で飼われてるシーンがあるとか言ってたな。なんだっけアレ、晩飯の献立何にするか必死に考えてたから題名出て来ねえや。

「見てみろよ一海、あいつちっこいのに貫禄だけはいっちょ前……あれ? 一海?」

一海に声を掛けようとして、いつの間にか隣からいなくなっていることに気が付いた。マジでいない、横にも前にも後ろにも。一海、一海ーっ。声を上げてみるけど返事は無い。館内には誰もいなくて、ただおれがいるだけで。歩いて探してみても見つからない、入口辺り、別の展示スペース、休憩室。一通り見て回ったけど一海の姿はどこにも無かった。どこへ行ったんだろう、ついさっきまで近くに居たのに。気持ちがそわそわしてくる。中にいるはずなんだけど姿が見えない。どうなってんだ。

きょろきょろ辺りを見回してみる。あるところでぱっと目が留まる。ドアが開いてた、不自然にちょっとだけ。中の光が暗めの館内に漏れてる。なんだろう、こっちへ来いって言ってるみたいだ。一海が見当たらなくてなんでもいいから手がかりがほしいおれの思い込みかも知れなかったけど、他に捜せそうなところはない。中に入ったのか? 確か一海はしょっちゅうここへ遊びに来てて、館長とも顔なじみだって言ってたな。スタッフルームとかにしれっと入っててもおかしくない。部外者のおれが入ったら怒られそうだけど、怒られるくらいなら別にどうってことない。一海を探すのが先だ。

そーっとドアを押して中へ進む。やっぱこれ進入禁止だよな、一般人は。そう思いながらも足を止めることはせずに、どんどん奥へ進んでいく。中は事務室か何かだと思ったら全然違ってて、パイプラインがいくつも走ってる感じ。よく分かんねえけど、水族館の裏方とかこんな感じっぽい気がする。アクアリウムも併設されてるんだっけ、ここ。それの維持管理に使われてるやつかも知れない。コツンコツンと歩くたびにアルミっぽい足音がする。ごうごうと音を立てる機械があっちこっちで見つかる。どっちにしろ一海がいそうなのはこっちしかねえし、行くしかねえ。

またドアだ。向こうに誰かいるかもしれないしバーンって開けるのはやめとこう、静かにドアを押す。向こう側はまたパブリックスペースになってるみたいだ、係員に見つかる前にここを出ちまおう。何でもない風を装いながら出口を潜ってドアを閉める。はーやれやれ、結局中に一海はいなかったな。どこへ行ったんだろう――

「……これ、なんだ」

ひとつながりになってた思考がぶった切られて、目の前の光景に何もかもすべてを持っていかれて。

海。海が見える。鮮やかなブルーの世界を、無数のポケモンたちが自在に泳ぎ回っている。あれはコイキング、隣にいるのはヒンバス、向こうでわーっと群れを成してるのは確かヨワシとかいうやつだったはず、でかい顔して悠々と泳ぐサメハダー、空を飛ぶ鳥みたいに舞うマンタイン。前に海の中で見たのとよく似た光景が広がってる、暗い部屋の中で、青い光が溢れているのがハッキリ見て取れる。

高さ、いや深さか。それが違うからだろうな、前に見た時とは雰囲気が違う。具体的には光の当たり方が違う。もっと海の奥深く、生身の人間では辿り着くのが難しい場所を見ている気分だ。ぞくぞくする、カタカタ体が震えてるのがめちゃくちゃハッキリ分かる。抗いがたい魅力、理性が溶かされてく。この間一海と食べたソフトクリームが太陽の光で融かされてったみたいに。呑まれそうだ、海に、海へ。呑み込まれて飲み込まれて、おれと海がひとつになる。息をするのを、息をしなきゃいけないことを忘れるくらいだった。

苦しい、息が苦しい。思わず息を吐く、視界が明滅するのを感じた。違う、ここは海じゃない、博物館だった。博物館の中に海があるわけがない。これは水槽、馬鹿でかい水槽だ。正しくない認知を改めて、大きく息を吸う。落ち着いて、落ち着くんだ。胸を膨らませて、肺の中の空気を入れ替えて。海に呑まれそうになったおれの心を、在るべき処、ないといけない場所へ懸命に引き戻す。海をこの目で視た時、背中がぞくぞくしたのを自覚する。身を任せればあっという間に奥まで引きずり込まれそうな、海っていう途方もなくでっかい存在。

おれは海をどう思ってるんだろ。嫌いじゃない、嫌いなんかじゃない。もしおれが海を嫌いだっていうなら、眼前に海が広がるような場所にいつまでも居られっこない。まったく反対、完全に逆。海のことが――好きすぎる。少し考えただけで、いろんな感覚が覚束なくなるくらい。好きすぎて触れられないものってあると思うんだ、自分が触れて穢したくないとか、考えるってだけで抵抗があるようなこと。例えが合ってるのか分からないけど、好きな野球選手からサインしてもらったボールでキャッチボールとかできないって人多いだろ、あれに近いんじゃないか。おれはそう思う。

頭の中を埋め尽くしそうになった海をなんとか押しのけて、他のことを考えられる余地がちょっとだけできた、そう思ってた。

「――一海……?」

少しだけできた隙間を一瞬で潰して、他のも全部どっかへぶっ飛ばすような光景を捉えた瞳。まだちゃんと動いてるのが不思議なくらい、あり得ないものを見てる。

水槽の中を泳いでる、一海が。海で泳ぐときのサラシに褌、あの恰好でゆらゆら泳いでる。ぐっと潜水したかと思うと、こっちに向かってすいすい泳いでくる。おれのことに気付いてる、おれの目を見てる。瞳の向こうでキョロキョロしてる戸惑う心、それをがっちり掴んで離さないって目だ。一海がいる、水槽の中に。他のポケモンたちに入り混じって、まるで彼らの仲間のように。誰も一海を怖がったりなんかしてない、ここにいるのが普通だろって顔してるやつばっかだ。口を半開きにしたまま水槽の前で立ってるおれ、アクリルガラスを隔てたすぐ向こうにまで一海が近付いてきた。

微笑んでる、にっこりと、小首をかしげて。口から微かにこぼれる小さな泡が水面へ昇っていく。おれはまだ驚いてる、驚いてて何も言えない。何か言わなきゃ、頭だけが先走って、三人四脚してる心と体がすっ転ぶ。「一海」、かろうじて彼女の名前だけが言葉になって出て来た。目を細めて笑った一海が、辺りで泳ぎまわるポケモンたちへアプローチした。テッポウオの群れの先頭に立つと、彼らを率いて水槽の中を遊ぶように舞う。のんびり泳いでいたでっかいラブカスみたいなポケモンの側へ寄っていって、その体を慈しむみたいに撫でる。どこからともなく現れたジュゴンを見つけて、横に並んで息を合わせて泳ぐ。

楽しそうだ。ただ、楽しそうだった。

陸にいる時だって一海は抜群に綺麗だけど、海中の一海は文字通り桁が違う。綺麗って一言で言い表したくない、美しいって言葉の方がまだニュアンスが近いって感じる。行方を追いたくて、目を見開いて食い入るように見つめる。一海はおれの前に姿を見せてから一度も息継ぎせずにずっと潜ってるけど、息が苦しそうな様子はちっとも見せてない。本当に、そぶりさえ。周りを泳ぐポケモンたちみたいに、水の中にいるのが自然だって錯覚しそうになるくらいだ。一海はおれと同じニンゲンで、ポケモンとは違うんだって分かってるはずなのに。

ジュゴンと離れた一海が向かってくる。アクリルガラスへ身を寄せると、手のひらをピタリと貼り付けた。何度目だろう、吸い込まれていくみたいにおれも近付いて行って、一海が広げた手のひらにそっと自分の手を重ねた。一海の顔が、晴れを迎えたキマワリみたいにパッと笑顔が咲くのが見えた。嬉しそうな一海から片時も目が離せない。息、苦しくないの? ジェスチャーで一海に伝える。うん、一海が素直な子どもみたいに大きくうなずく。ちっとも苦しくなんかない、ずっと水の中にいたっていい。そんな顔してる。アクリルガラスの上から肌を重ね合って、一海とふれあう。おれは一海のことが好きなんだってこと、自覚せずにはいられない。

ふと、一海が上を指さす。上へ行くの? そう返すと、透くんも上へ来て、と告げられた。分かった、すぐに行くよ。おれが水槽から離れる仕草を見せると、一海の方も安心して水面を目指して泳いでいくのが見えた。見ると向こうに階段が見える、あれを登ればこの真上に出られるはず。急がなきゃ、っていうか急ぎたい。一海の声を聴きたい、一海に声を届けたいから。階段を駆け上がる、一海があそこにいた理由を知りたい。なんでだよ、ってツッコむとか怒るとかじゃなくて、純粋にどうして居たのか、居られたのかを知りたい。おれの知らない世界があるみたいで、一海がそこで自由に遊んでる。その一海から話を聞いてみたいっていう、おれの気持ちだ。

階段を上りきって目の前にあったドアをゆっくり押し開く。仄かな水の匂いがした、それといくつかのポケモンの匂い。あっ、空気が変わったなって感じた、物理的に。中へ入った途端、馬鹿でかいプールが目に飛び込んできた。下の水槽と繋がってるって一瞬で理解する。じゃあ一海はここにいるはず、呼んでみよう。

「一海ーっ!」

おれの声が水を越えて届いたっぽい、予兆みたいに小さな泡が上がったかと思うと、ざばあ、と平らだった水面がパックリ割れる。珠のような水滴を跳ね飛ばして、中から一海が姿を現した。一海だ、一海に間違いない。水際まで寄って大きく身を乗り出す。手で顔を拭った一海がゆっくり瞼を上げて、おれの姿を瞳に捉える。仕草ひとつひとつがただ瑞々しくて、見ているだけで胸が全力疾走したあとみたいになる。おれなんかが見てていいのかな、思わずそんな気持ちになるくらいの。

「透くん、見つけてくれてありがと」

「急にいなくなったから、どこ行ったんだろって思ったよ。ちゃんといて良かった」

「ごめんごめん。透くんのこと、ちょっとビックリさせたくって」

「すっげービックリした。でかい水槽とか、ポケモンいっぱいいるのとか、あと一海にも」

「ふふっ。このアクアリウム、すごいでしょ。年に三回か四回しか開かないんだ」

「すげえや、ホントに。けどさ一海、なんでこんなところに居るんだ? っていうか、居ていいのか?」

「大丈夫だよ、よくここで遊ばせてもらってるからね。海が荒れてる時とか、他に人がいる時とか」

無邪気で屈託のない、真夏に全力全開で咲いた向日葵みたいな笑顔。おれをビックリさせたかったって言う一海はホントに楽しそうで、驚かされる側のおれもただ楽しくて。おれ、ビックリさせられるのあんまり得意じゃないんだけどな。一海の「ビックリさせたい」っていうのは、きっと「驚くくらいすごいものを見せてあげたい」っていう意味なんだと考えた。それなら納得、何もかも現実離れしてる凄いもの見せてもらった。海の中を息しながら見られる、自由自在に泳ぎ回るたくさんのポケモン、彼らとひとつになって水中を舞い踊る一海。退屈なものなんてひとつもない、驚きしかない光景だったよ、確かに。

「あんなに長く潜っててさ、息、苦しくならないの?」

「うん、平気だよ。まだまだ潜ってられるくらい」

「そっか。おれ、ずっと息止めてて大丈夫なのかちょっとだけ心配だった。一海は平気そうだったけど」

「心配させちゃったみたいでごめんね。でも」

「でも?」

「透くんが自分のこと心配してくれたんだ、って、ドキッとしちゃった」

おれの方は一海のこと見るたびに胸が騒いでるぞ、って思わず言いそうになった。なんだろうな、おれと一海、見てドキドキして、見られてドキッとして。似た者同士って言えばいいのかな、おれは一海のことが大好きで、一海もおれのことを好きだって言ってくれてる。具体的に言葉にして頭ん中で思い浮かべるとやばいくらい気恥ずかしい、こういうのを初々しいとか初心とか言うんだろうな。言葉って何気なく使ってるけどちゃんと見てみると結構核心を突いてるって思う。

だってこんな気持ち、今まで生きてて初めて感じるんだから。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。