年が明けてちょっとの間の浮かれた感じ、おれは嫌いじゃない。学校行かなくていいし、テレビ点けたらどこもお祭り騒ぎだし、外歩いててもなんかめでたい感じするし。その前の週とか後の週とかと、気候とか何か特別違うってわけじゃないのにな。周りも浮かれてるし、おれもしれっと混ざっててもいいやって思ってる。
「トッちゃんさぁ」
「うん」
「最近ヨソから来る人増えたと思わん?」
「トレーナーだよな、みんな」
「せや。今日かて船に山ほど乗っとったし」
家にいるのはおれとユカリ。親父は今日から仕事で本土に行ってて、戻ってくるのは明々後日だったかな、しばらく家に居ないのは間違いない。年が明けて一日経ったら即仕事ってキッツいよな、って思う。おれも大人になったら同じ感じになるのかな、年明けくらいゆっくりしてえな。仕事があるのは悪いことじゃないって頭で分かってても、休みもロクにとれないんじゃしんどいよなって気持ちが先に来る。
ユカリとは昼前から港で合流して、船で海凪まで出かけたわけ。で、海凪のモールで飯食って、あちこちのショップをテキトーに冷かして、日が傾くくらいに榁まで戻って来た。年明けにユカリと海凪のモールに行って飯食う、ってのを割と毎年やってる。フードコートに入ってる麺屋の塩ラーメンが妙に美味くて、ユカリもその隣にあるコナモン屋の「八足焼き」をやたら気に入ってて、どっちも別にすげえご馳走ってわけじゃないのに年明けの楽しみになってる。ヘンな習慣だよな、年始にわざわざ船で出かけていってフードコートで飯食うとかさ。
「でさ、自分船で言うとったやん」
「三号に勝てねーって話?」
「まーそれもあるけど、もっとちゃう話」
「一海のこと?」
「それ、それや。あれホンマ?」
「マジだよ。一緒に初詣行ったっての」
ウイスキー多めのソーダ割りをユカリがあおる、つられて焼酎の水割りを流し込んだ。どっちも酒入ってるけど、少なくともおれは飲んでない時と同じくらい頭が回るって自覚がある。ユカリも同じだろうな、飲んで酔っ払ってるとこ見たことないし、せいぜい笑い声がデカくなるくらい。元からデカいからあんま変わんねーし。ナッツとか煎餅とかチーズとか並べて酒飲むってのも毎年恒例。大抵つまみは食い切れなくて、ユカリに持って帰ってもらうってところまでセットで。
「一海ちゃんと初詣行ったんやろ、自分」
「うん」
「二人きりでおる時間めっちゃ長かったわけやん」
「人気のない時間に出かけたからな」
「まぁせやろな、陽ぃ昇ったら星宮神社アホほど混むやろし」
「割と間一髪だったな、帰り道でやたら人とすれ違ったから」
「で、一海ちゃんとなんか進展あったん? あったんやろ?」
前みたいにユカリがグイグイ寄せてくる、顔を。これも分かってるよな、分かった上でおれにしっかり言わせようってハラだ。こういうのユカリっぽいなあって思うし、付き合い長いからもう大体分かってる。ヘンにぼかすと却ってツッコまれて言いにくくなるからハッキリ言った方がいい。言いにくくなるってのはあれ、誤魔化しにくいとかじゃなくて、ユカリが満足するような「面白い」言い方をするハードルが上がってくってこと。静都のやつは面白くないものには寒い反応しかしないからな、ハードル上がる前に先に言った方がアドバンテージになるってわけ。
「あったぞ、ちゃんと」
「ってことは――寝たん?」
「お前直球過ぎ」
「だって回りくどいん嫌いやもん。同衾なされたんですか? とか訊かれても嫌やろ?」
「そっちの方が嫌だな」
「で、実際どうなん?」
「さすがにそこまでは行ってねえけど」
「なーんや、まだか」
「キスはした」
「はぁあー、そっかぁ。初めて?」
どうすっかな、ホントは夏に一回してるんだけど、ユカリが欲しがってる答えはそっちじゃない気がする。別に全部正直に言う必要はねえよな、「今年に入ってから」って意味じゃ初めてってのは合ってるし間違ってない。
「だな。どっちも」
「ホンマのホンマに初めてやんな」
「一海とは、って意味だけじゃなくて、キス全部ひっくるめて、ってこと?」
「うんうんそうそう。自分整理して言うてくれるから助かるわ」
「もうちょっとユカリん中で整理してみろって」
「へぇー、やるやん自分。あ、これは『できるやん』って意味の『やる』やで」
「そこは補足しなくても分かるぞ。そういう雰囲気だったし」
「どっちから切り出したん?」
「おれの方、かなぁ」
「自分見栄張ってんと違うん」
「一海の方から持ちかけたって言いたいのかよ」
「絶対そうやって、自分そんなグイグイ行かれへんやろ」
「ホントだってば」
「ふぅーん。ま、そういうことにしといたろ」
どっちが先に誘ったって言うか「しよう」って言い出したかとか、ユカリのやつ絶対ツッコんでくると思ってたんだよな、こういう話好きそうだし。実際どっちが言いだしたのかって訊かれたら、ハッキリおれの方からだって言えるような感じじゃなかったな。年末に「一緒に初詣行かない?」って誘ったのはおれだから、そこまで辿ると一応おれが言い出したってことでいいかも知れない。
じゃあ、その、二人で一緒にいてどうだったか、どっちがリードしてたかって話になったら、おれが一海を引っ張るってのとは全然違う感じだったけど。
「ところでトッちゃん」
「なんだよ」
「一海ちゃんと海行ったことあるんやろ」
「夏場はしょっちゅう行ってたな」
「見たらわかると思うけどや」
「うん」
「一海ちゃん乳でっかかったやろ?」
「いきなり何言ってんのお前」
「ええやん別に、うちの方が先に見てるねんから。一海ちゃんの乳」
「乳乳うるせーよ」
「でさあ、訊くけどさあ」
「うん」
「うちとどっちがおっきかった?」
「一海」
「ちょっとさぁ! 自分さぁ! そこでなんで即答するん? 十秒くらい悩む仕草とか見せたらええやん」
「いや、マジで大きかったんだって。見たことないくらい」
「てか自分、女子のおっぱいとかそもそも見たことないやろ」
「昔ユカリと風呂入った時以来?」
「あん時まだうち全然膨らんで無かったやん、ワンチャントッちゃんの方がでかかった可能性あるし」
「無いって無いって」
「まあそらええ。しゃあないわ、一海ちゃん乳でかいんは事実やもんな」
一海とユカリってどんな風に付き合ってるんだろうな、これだと一緒に風呂入ったりとかしてそう、じゃなきゃ互いの裸なんて見る機会ねーし。一海が海で泳いだあと着替えるの見たとかもありそうだ。ユカリの前だったら普通に着替えたりしてそうだもんな、一海。あの巻いてるサラシと褌、どんな風に解くのかな。見せてくれって言ったらしれっと見せてくれるだろうけど、なんかそういうこと言うのこっぱずかしいし。てか、見てるこっちが恥ずかしくなりそうだ。
おれがグラスを空けて隣を見ると、ユカリも同じくらいのタイミングで空けてた。酒強いんだよなこいつ、大概おれより飲むのにいつもケロッとしてる。目を見ても酔ってるって感じはこれっぽちもなくて、顔がいつもより気持ち赤いくらい。別にする必要ねーけど、片足立ちしてもバランス崩したりしなさそう。おれはどうだろ、頭は回ってるけど、普段より微妙にぼーっとしてるかも。こういうこと自覚できるってことは、まだ飲み過ぎとかじゃなさそうだけど。
「なあユカリ」
「なに?」
「一個訊きたいんだけどさ」
「質問一回百万円やで」
「レート高すぎじゃね?」
「冗談や冗談。どないしたん」
「一海とさ、いつから友達だったっけ」
「んー、小三とかそれくらいやったかなあ」
「随分前からって言ってたよな」
「せやな。言うた記憶あるし」
「それでさ、一海のことなんだけど」
前からずっと気になってた一海のこと。一海のことだけど、一海に直接訊くってのはできなかったこと。
「一海が喋れなかったっての、本当なのか」
小鳥遊が言ってた「一海は口をきけなかった」って言葉。それがずっと引っかかってて、どんな時でも頭をよぎって。一海と付き合いの深いユカリならなんか知ってるかもしれない、だったら訊いてみようって思った。切り出すタイミングをずっと探してて、お互い酒も入った今なら話しやすいんじゃねって、おれはそんな風に思ってて。
言われた方のユカリはって言うと。
「誰から聞いたんや、そのこと」
一瞬で目付きが変わった、明らかに。今までのふざけてた感じじゃない、マジ話するときの鋭い目になってる。間違いなく酒飲んでるはずなのに、今までずっと麦茶でも飲んでたって言われても信じそうなくらい、嘘みたいにこっちをしっかり見据えてる。事情を知らなきゃ気圧されそうな射抜くような眼差し。普通の様子じゃない、普段のユカリとは全然違う姿を見せてる。
ああ、やっぱ訳アリなんだな、そう納得できるくらいには異質で。けどこうなるだろうって、また別の角度からも納得してて。
「小鳥遊ってやつ」
「小鳥遊……男子やんな、確か」
「そう。別のクラスにいる」
「あいつか、あいつ」
あいつ。ユカリの口から漏れた声のトーンのキツさ、隠そうともしない刺々しさは、ユカリも小鳥遊のことを知ってるんだって自然に思わせて、しかもいい関係なんかじゃなかったって考えさせるには十分すぎた。なんかあったのかな、いやこれ絶対「なんか」あったな。そうじゃなきゃこんな反応するわけない。小鳥遊が一海のこと苛めてるの目の前で見たとか、それくらいネガティブなやつだ。
「なあ、それ一海ちゃんに訊いた?」
「訊いてない。ユカリに訊いた方がいいって思ったから」
「ちょっとでもそれっぽいこと言うたりもしてへん?」
「してない、まったく」
「ああ、せやったらええわ。あんまな、言うてええことと違うから。自分、その辺ちゃんと分かってるもんな」
少し声のトーンが落ち着いた感じがする、おれが一海に直接何か言ったわけじゃないって分かったからだろうな。一海のこと心配してるんだな、おれがヘンなこと訊いて昔のこと思い出させたりしてないかとか。ユカリの方が付き合い長いもんな、おれが知らない頃の一海をユカリは知ってるってことだし。面と向かって言わなくてよかったってマジで思う。さっきみたいなユカリ、今までほとんど見たことなかったし。
「あのな、一海ちゃん気にするから言わんとって欲しいねんけど」
「うん」
「昔は人前で声出されへんかったん、これは間違いないわ」
「やっぱそうだったのか」
「周りにうちしかおらん時とかは喋れるねんけど、周りにようけ人おったら声出んようになる言うて」
「学校で喋れなかったのはそのせいで」
「せや。生まれつき声出えへんのとはちゃう。声は出せるけど、皆の前で話されへんだけや」
「思い出したんだけどさ」
「なに?」
「なんとか……分かんねえや、なんとかカンモク症とかってやつ?」
「それ。よう知ってるやん自分、それで合ってるで」
「そっかぁ、そういうことが」
「病院で診てもろたりして、今はもう普通に喋れるっちゅうわけや。別になんか他の人とちゃうところあるわけやないから」
空になったグラスを振って、もう一滴も残ってない、って仕草を見せる。飲む? おれが訊ねる。水割り作って、濃い目で、ユカリが返す。おれとユカリのグラスをまとめて持ってって、おれは焼酎の、ユカリはウイスキーの水割りを作る。おれもユカリも飲む時は絶対ソーダ割りか水割りなんだよな、熱いものと甘いもので割るのは好きじゃないってのが同じ。この飲み方し始めたのどっちが先だったっけ? おれだった気もする、ユカリだったかも。どっちが真似したって訳じゃないんだよな、きっと。単に自分の好きな飲み方が相手も同じだったってだけで。
持ってったグラスをユカリに渡した。ユカリはおもむろにグラスに口つけて、グイグイ勢いよく流し込んでる。半分空けたくらいでグラスを折り畳みテーブルに音立てて置いて、顔を上げてこっちを見てきて。なんだろ、いつも酒飲んでる時より一回りくらい顔赤いな、気のせい? 気のせいじゃない気がする。気のせいじゃなくてマジでいつもより赤い気がする。気がするのかしないのかどっちなんだよって感じ。
「ペース速かったかも、ぐらぐらするわ」
「飲み過ぎじゃね?」
「かも。身体も熱ぅになってきた」
「トイレ行かなくて平気?」
「ん。そっちは大丈夫や、今日は」
「酔ってると感覚分かんなくなるから、早めに行った方がいいぞ」
「分かっとるって。同じ失敗は二度せえへんのがうちや」
「ま、それもそっか。てか、もうグラス空じゃん」
「なんやろな、今日は飲みたい気分やねん。グイグイっと」
「そういう日はおれもあるな」
「へぇ。あるんや、トッちゃんにも」
トッちゃん。おれの名前を呟いたユカリが、こっちに――おれの方に寄り掛かってきた。寄り掛かるだけじゃない、あれあれ、なんて言うんだっけ、こういう時のそれっぽい言い回し。思い出した、しなだれかかるってやつ。腕を腰の方に回してきて、絡みつくように体を寄せてくる。大丈夫かよ、って思いながら受け止めて支えた。瞳を潤ませたユカリがおれを見てる。さっきとはまるっきり違う方向で、普段見ないような目つきしてて。
なあ、少し掠れた声で呼ばれる。何? って返すおれ。普通じゃねえな、とも思ったし、ユカリらしくねえな、とも。酒入ったからってこういうことしてくるキャラじゃねえって思ってたから、おれの中のユカリは。
「自分さあ、一海ちゃんとキスした言うてたやん」
「さっきの話?」
「せや。一海ちゃんがどないやったんか分からん、けど」
ユカリの目が潤んでる、泣いてるのとは違うけどウルウルしてる。やっぱりらしくない、ユカリがこういう目するとか思ってなかったし。そういう目しながら、目線はブレずにまっすぐおれの方向いてて。なんだろな、この空気。おれどうしたらいいんだろ。
「うちと比べてみいひん? どっちがええ塩梅か」
比べる、ってどういうことだ、そういうことか、「そういうこと」しかあり得ねえよな。
それにこの様子だと――もっと「先」へ行こうとしてる。
ユカリがひときわ強く寄り掛かってきた。それこそソファに押し倒そうってくらいに。眼鏡を隔てた向こうの目が妙にとろんとしてる。全然考えもしなかった流れ、マジで戸惑ってる。ユカリどうしたんだ一体、なんか悪いもんでも食ったのか、酒飲み過ぎて羽目外してんのか、それとも食い物でも酒でもないなんか別の理由があんのか。理由は分かんないけど、おかしな状況になってるってのは間違いない。
「ええやんトッちゃん、ちょっとくらい」
「ユカリ」
「気持ちええのん嫌いやないやろ? 悪いもんとちゃうで」
違うな、これは違う。なんとなく、でこの空気に呑まれちゃいけない。おれの考えをきっちり言わねえと伝わらないやつだ。おれはこうするんだって決めたら、ぐらぐら揺れてた気持ちが落ち着いた。
寄っ掛かってくるユカリの肩を少し強めに掴む。ぐっと腕に力を入れて、そっとゆっくり元の位置までユカリを戻す。体温が伝わるくらいにくっついてたおれとユカリの間にハッキリ距離ができる。ユカリの目の色が変わるのが見えた。さっきのやつよりも、いつも見てるのに戻った感じの目をしてて。
「なあ、ユカリ。聞いてくれ」
「おれたちってさ、そういうのじゃないだろ」
きっぱり言う。きっぱりだけど、怒ってる感じにはならないように。実際怒ってないしな、ユカリがなんか腹立つことしたわけじゃないし。ただちゃんと伝わるように言わなきゃなって思っただけ。諭すとか諌めるとか、そういう言い方意識する。口で言って分からないやつじゃない、ユカリはそこまで無茶苦茶なやつじゃないって思ってるから。
ユカリからふっと力が抜けて、俯き加減で目線を外す。あっ、これはいつものノリに戻ったな、パッと見ただけで分かるくらいテンションが変わった。気持ち気まずそうな顔して、手持ち無沙汰をごまかすためにソファのクッションを抱いてる。ちょっとの間黙り込んでから、ぽつりと呟くような声で。
「ごめん。なんかうち、いつもより酔ってるみたいやわ」
「何しとるんやろ、こないなことしてええこと一つもあらへんのに」
しゅんとしてるユカリ、すっげえ珍しい。珍しいっていうか、今初めて見たかも。いっつもイケイケだもんな、ユカリは。おれの言いたいことがちゃんと伝わったって分かったから、これ以上責めたり詰ったりはしない、てかする気もないし。いつもより酒が入ってテンションがヘンな方向に上がっただけだって分かってるから。おれだって飲み過ぎたら訳分かんないこと言い出したりしてさ、今度はユカリに「アホか」とか言われるかも知れねえし。
酒入ったら気が大きくなることあるもんな、おれはそう言ってからソファを立って、台所で冷たい水を新しいグラスに汲んで持ってきた。何も言わずにユカリへ差し出すとすぐ受け取って、ごくごく一気に飲み干す。これでさらに頭が冷えたらしい、いつものシャキッとした顔に戻って、またおれに目線を向けてきた。
「すまんな、世話掛けて」
「別にいいって、お互いさまだし」
「あのな、なんていうか、あんなことしてから言うても説得力あらへんけど」
「うん」
「勘違いせんといてほしいねんけど、うちがトッちゃんのこと好きやとか、そういうのとちゃうから」
「分かってる。そういうのじゃねえって」
やっぱり飲み過ぎはアカンな、ユカリが笑って言う。まあ、それは言う通りだ。
なんでこんなに飲みたがってたのかは、おれにはちょっと分からなかったけれど。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。