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緑色の空を見た

今からもう二十年以上前のことです。小学二年生くらいの頃、私は誕生日のプレゼントに新しい自転車を買ってもらいました。

当時の私は新しい自転車が嬉しくて、学校から帰ってくるとすぐに自転車に乗って遠くまで出かける、ということを繰り返していました。

とは言っても、子供だったので実際にはそう遠くまで行くようなことは無かったのですが、もっといろんな場所に行ってみたいという気持ちはありました。

 

迎えた土曜日。その日私は母親におにぎりを作ってもらい、自転車で行けるところまで行ってみようと朝から出発しました。

普段行くことのない橋を渡り、隣町まで自転車を走らせました。私の住んでいる所より少しだけ都会めいていて、見ているだけで楽しかったのを覚えています。

この辺りも普段来ることのない場所でしたが、その日は時間がたっぷりあったので、さらに進んで行くことにしました。

 

途中の空き地でお弁当のおにぎりを食べ、また自転車を漕いで先へ進んでいきます。どの辺りを走ったのか覚えていませんが、相当遠くまで行ったのは確かです。

当時の私は新しくなった自転車に夢中で、こいつに乗っていればどこへでも行けるしそこからすぐに帰って来られる! と謎の信頼を寄せていました。

しかもその日は土曜日で、明日も日曜日でまた休みだということで、テンションも上がっていたのだと思います。

 

どれくらい走ったでしょうか、ずっと自転車を漕いでいたのでさすがに少し疲れてしまい、たまたま見つけた公園で自転車から降りて休憩することにしました。

公園の名前は「こいしかわ公園」だったと記憶しています。入口に石造りの看板? があり、中へ入る時に目に留まった記憶があります。

今調べてみても同名の公園は見つからないですし、「小石川」という地名は岡山の方のもので、当時私が住んでいた埼玉県では聞いたことのないものです。

 

ベンチに座って休憩することにしたのですが、そこでふと私は小さな違和感を覚えました。その正体は視線の先にありました。

公園なので当然ですが、遊具が設置されていました。しかしその遊具というのが変わっていました。異様だったと言った方がいいかも知れません。

正方形のブロックをいくつも積み上げたもので、私の住んでいた二階建ての家より高くなっていたのです。柵などもなく、落ちたら無事では済まなさそうな高さでした。

 

ここの近所の人はこんな危ないもので遊ぶのか? と目を白黒させていると、今度は公園の向こうにある家に目が向きます。

一戸建ての家だったのですが、二階に扉が付いていたのです。それだけならまだしも、扉の前には床や手すりなどもなく、開けた瞬間すぐ落ちる構造になっていたのです。

二階なので外から入るためのものではないですし、中から外へ出るためのものでもなさそうです。何の意味もない扉、そうとしか言えませんでした。

 

さらにその隣のアパートを見ると、今度は三角形の窓がありました。窓というのは四角というイメージがあったので、それに真っ向から反する形に驚きました。

今にしてみると三角形の窓ぐらいはあってもおかしくないかな、と思う反面、アパートの窓すべてが三角形というのはさすがに不気味だとも思います。

窓を三角形にするお洒落なアパートというわけでもなく、むしろ築四十年くらいの古ぼけた建物だったのも異様さに拍車を掛けていました。

 

そんな時、私はふと空を見上げました。特に理由はなくて、ただ何気なく顔を上げただけだったように思います。

空が、緑色をしていました。

汚く濁った池のような緑色が空に広がっていて、太陽も雲もどこにも見えませんでした。緑色の空だけが延々と広がっていたのです。

 

空が緑色になる、という光景は見たことがありませんでしたし。あれ以来一度も見たことはありません。

尋常ではない空の様子にぎょっとして、きょろきょろと辺りを見回します。見回すごとに奇妙な建物や造形が目について、なおさら落ち着きません。

一体ここはどこなのか? 自分の知っている場所と地続きになっているのか? と不安に駆られました。

 

不安な時は感覚が鋭くなるのか、はたまた意識が過剰になるのか、誰かに見られているような感覚に見舞われました。

周りには確かに誰もいないのに見られているような感覚だけが募っていき、余計に不安な気持ちが膨れ上がっていったのを今も生々しく記憶しています。

急いで自転車に飛び乗って、来た道を引き返して無我夢中でペダルを漕ぎました。

 

必死になって自転車を走らせていたからだと思います、相当遠くまで行っていたはずなのに、三十分くらいで隣町まで戻ってこられました。

空は夕焼けの橙色でしたし、三角の窓や二階の扉が備え付けられた家も見当たりません。誰かに見られているような感覚も消えていました。

帰宅が遅くなったことを母親に心配されて軽く叱られましたが、正直なところそのことにすら安心していました。

 

それ以来しばらく遠乗りはしませんでしたが、中学生になった頃にもう一度行ってみようとしたことがありました。

しかし、当時の記憶を頼りに道を辿ってみてもあの奇妙な街にはたどり着けず、「こいしかわ公園」も見つかりませんでした。

 

あれはいったい何だったのか? 今でも時折考えてしまう、不気味な体験でした。